第五章:ネオンと安物の奇跡

(主人公視点)




日低屋であれだけの衝撃を受けたディアが、その後しばらく口を利かなかったのは予想外だった。

丼を空にしたあとも、何度かレンゲを手に取っては置き、唇をきゅっと結んだまま。


ふだんの彼女なら考えられないほど静かだった。



外に出ると、雨はすっかり上がっていた。夜の街はネオンと湿ったアスファルトの反射で明るい。


ふと思いついて「ちょっと寄り道しようぜ」とディアに声をかけた。


彼女は一瞬、訝しむように眉をひそめたけれど、結局無言でついてきた。



~~~



連れてきたのは、商店街のはずれにあるゲームセンターだ。

自動ドアの向こうは、眩いほどの色彩と電子音、そして微かなタバコの匂い。

子どもや学生、スーツ姿のサラリーマンまでごちゃまぜで騒いでいる。

ディアは店に入った瞬間から明らかに顔をしかめていた。


「こんな……うるさいだけの場所、何が楽しいのです?」


「まあ、見てろよ」


あきれた様子のディアを連れて、クレーンゲームのコーナーへ。

ガラスケースの中に詰まった景品は、ぬいぐるみやらキーホルダーやら安物ばかりだ。

でも、俺にはこの空間が子どもの頃からの聖地だ。

両親が忙しかった夜、俺は小銭を握りしめてここで遊んでいた。


「これ、やってみるか?」


「結構ですわ。あんな、埃っぽい綿の塊など──」


「ま、そう言わずに。見てな」


そう言って百円玉を三枚投入する。

UFOキャッチャーのアームがゴトゴトと動き出す。


狙うのは、ケースの奥にあったクマのぬいぐるみ。

子どものころに必死で欲しがったやつと、どこか似ていた。


一回、二回、三回……アームは微妙に空振りする。

ディアはしびれを切らしたように「そんなものに価値はありませんわ」と鼻で笑った。

その態度に少しムキになって、さらに小銭を追加。



六回目、ようやくアームがクマの片腕をがっちり挟んだ。


「……っしゃ!」


ガラス越しに、くたびれた茶色いクマが落ちる。

その瞬間だけは、子ども時代の自分に戻った気がした。

景品取り出し口からクマを引っ張り出し、すぐ横にいたディアに差し出す。


「ほら、お前にやるよ」


ディアは一瞬きょとんとした。

さっきまでの冷たい瞳が、わずかに揺れる。



「……え?」



指先を伸ばし、戸惑うようにクマのぬいぐるみを受け取った。

その手が、かすかに震えているのが見えた。


「子どもっぽい趣味ですわね……」


そう言いながらも、彼女はクマを落とさないよう、そっと胸の前で抱えた。

両腕でしっかりと。

今まで見たことのない、どこか弱い表情──いや、正直に言えば、ちょっと嬉しそうな顔を、俺は見逃さなかった。


「そのクマ、ちょっとレアなんだぜ。なかなか取れないから、頑張ったんだ」


「……ふぅん。どうでもいいことに、必死になるのですね、あなたは」


口ではそう言っている。でも、クマのぬいぐるみに指を滑らせる仕草が、妙に丁寧だった。

俺はなぜかそれが面白かった。



「ま、たまにはそういうのもアリだろ?」



~~~




ゲームセンターを出たあとも、ディアはずっと無言だった。

でも、歩道の灯りに照らされたクマの毛が、ほんの少し濡れているのを見て、俺はこっそり笑ってしまった。たぶん、彼女なりに「嬉しい」と思ってくれていたのだろう。



ブランドも金額も関係ない。小さな景品一つで、ディアの顔から仮面が少しだけ外れた気がした。



その夜、彼女がどんな気持ちでこのクマを抱いて帰ったのか、俺には想像もつかなかった。

ただ、あの一瞬だけ、たしかに俺たちは同じ景色を見ていた気がする。



きらきらと眩しいネオンの中で、安物の奇跡が生まれた。

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