【カクコン11参加】『追放されたオークは人族の街で肩もみ屋を開きたい』
まさつき
はぐれ者の追放
前編 掟か、追放か
季節は春だというのに、暖かさは未だ森の奥へはやってこない。生い茂る樹木に隠されたオークたちの集落だけを、季節の精霊が訪ね忘れているかのようだった。
だが、寒々しい風景の中でただひとつ。里長の屋敷からは猛暑の如き熱気が漏れている。怒りに気炎を上げる、老人の声である。対して、受け応える青年の声は、そこだけ春の陽射しが照らすようで――
評定の場であった。里長を筆頭に居並ぶオークの長老たちを前にして、対面するのはただ一人。オークの若者が茫洋とした態度で座していた。
「ついほお? どういう意味や?」
いったい何を怒っているのか。老人が口にする単語の意味などまるで分からないといった風に、若者は飄々として受け応えた。
「追放や、ついほう。オクオ、おまえはこの里を出て行けゆうことや。掟に従わんと毎日毎日ぶらぶらしよって。おまえのような道楽モン、もう野放しにしはできん。里の者らに示しがつかん!」
覇気に溢れる叱責だ。
この年、百歳を迎える里長の大ジジは、少々腰が曲がっているとはいえ、オークの隠れ里随一であった戦士としての強さを、未だその声音に色濃く宿している。
となりでは大ジジの妻である大ババが、夫の言葉ひとつひとつにコクリこくりと頷き続けた。まるで眠っているように穏やかな顔であるが、薄目からのぞく瞳は黒くて鋭い。やはり、厳しさを秘めている。
居並ぶ補佐役の長老衆も顔が渋い。この呑気な若者の手前勝手には、皆ほとほとに手を焼いてきたのである。
「いやいやいや、ワイもしっかり働いとるやろ。獣狩りには加わっとるし、なんなら皆より狩りの腕は確かなくらいや」
老人たちの怒りなどどこ吹く風と、オクオは抗弁する。しかも、言葉の中身は本当だ。戦闘種族のオークの中にあっても、オクオの強さは群を抜く。類い稀な膂力、それを支える恵まれた体躯、武芸の腕前にも生まれついての天賦の才があった。
しかし――
長老たちは皆一様に、首を横に振る。深く長い溜息を吐いて、大ジジは呆れた声でオクオに問うた。
「分かっとらんなあ……よう聞け、オクオ。もっと肝心な仕事があるのは分かっとるやろ……〝人狩り〟や、人狩り。なぜ加わらん、なぜ怠ける?」
言われてようやく、気づいたらしい。眉をハの字にしてばつの悪い顔を作ると、オクオははぐらかすような言い訳をした。
「あ、ああ……そりゃあその、ワイは荒事は苦手なもんで……特にその、人狩りいうんは、ちょっと……」
「獣も人も同じや。儂らオークのたつきの道を、なんと心得とる?」
呆れながらも重い声で大ジジは若者を諭す。これで分かってくれればと願う老人の優しさが滲むのだが、いつの世にもあるように、想いは若者に届かなかった。
「獣と人は違うやろ。ワイら種族は違っても、同じ神さまからもろた言葉を話す仲同士や。ワイには無理――」
オクオの声が尻すぼみに小さくなる。そんな方便など通じる道理はないと、オクオにも分かっていたからだ。
だがその言い訳が、再び大ジジの心に油を注いでしまったらしい。
「ええかげんにせい! オークにとって、女を攫ってくるのは里の生き死にがかかっとるんや! お前の母親とて、人族の女と聞いとろうがっ!」
火を吹く故老の声に、耳どころか心まで痛くなるところを突かれてしまう。オクオの生まれとて、結局はオーク族の掟、人族狩りの習慣無しにはありえない。そうしなければ生き残れないほど、オークという種族は女の数が極端に少ない。群れを維持するのに、異種族の女を攫うことは必然なのだ。
だからこそ。自分が勝手であることなど、オクオ自身もよく分かっていた。しかし、無理なものは無理なのだ。それほどに、オクオというオークの男は〝荒事〟を好まなかった。自分でも不思議なほどに、忌避しているのである。
とはいえ、里を治める者としてそれを認める道理も、大ジジたちには無い。
「もうこれ以上は我慢ならん。いいか。明日まで一晩猶予をやる。里を出ていくか、掟に従い里で生きるか、腹くくってよう考えい!」
床板に大穴が空くかというほどの足音を立てて、大ジジは立ち上がった。軽く二メートルは超える長身と、大木を粗く彫ったような体躯の老人は、大きな口元から二本牙をむき出し、厳しい目つきでオクオを下に睨んだ。
そうして、ふいに顔をそらすと、怒りを収めた穏やかな足取りで評定の間を出ていった。大ババも「よおく、考えるんだよ」と一言残し、長老衆と共に部屋を去る。
残されたオクオは、しばし茫然と座した。
やがて、里長付きのオークの少年が現れ「お帰りを」と促された。うなだれて立ち上がり、屋敷を去ろうとオクオは歩きだす。見送りは当然に、無い。
外へ出たとたん、冷たい風がオクオの頬を撫でた。明るい気持ちであれば、その冷たさの中に春の兆しを感じたかもしれないが、オクオの心は沈んだままだ。
オクオは「掟、追放、掟、追放……」と、占いで花びらを一枚づつむしるように独り言ちながら、里外れにある森の中の自分の小屋へと帰っていった。
§
森の奥、さほど大きくはないオークの集落とはいえ、オクオが里外れにある自分の小屋に着くころには、日は既に沈みかけていた。闇を好む妖魅たちの目覚めの気配が木々の間に漂い、若者の歩みは知らず足早となった。
オクオは独りで暮らしている。そこは里外れというよりも、森の中に家を構えているというのがしっくりくる場所だった。訪れる者はめったにいない。誰もいないはずの小屋から洩れる灯かりを見て、オクオはきまり悪く呟いた。
「あ……しもた」
里長から追放を突きつけられたせいで、すっかり忘れていた。今日は昼から来客の約束があったのだ。明かりが点いているということは、だいぶ待たせている証。小屋の戸口を開けるや、二間あるうちの奥の部屋から若い女の声が飛んできた。
「おそーい! 今日は私が来る日だって覚えてるよね?」
文句を言うが、声色に怒りは滲まない。
オクオは急ぎ居間と台所を兼ねた部屋を抜け、寝起きをしている小部屋を覗き、顔を出した。オークらしい簡素で大きな寝台の上に、女が一人で寝そべっていた。亜麻色の髪を背に流し、濃紺のローブをまとった客人である。
女は顔を上げると、暇つぶしに読んでいたらしい背の厚い魔導書をばたりと閉じて、オクオを軽く睨んだ。髪からのぞく長い耳が、ひくりと動く。
「おう……すまんな、ドミナ。ちょいと野暮用があったんや。すぐに支度するから、少し待っとって」
しおらしく応じるオクオの態度を見て、ドミナと呼ばれたエルフの女は一瞬、怪訝な顔をした。身を起こしながら懐から簡素なかんざしを一本取り出す。両手を後ろ手にして、艶やかな長髪をまとめあげる。寝室を出ていくオクオの背中に「見るんじゃないよ」と声がかかった。
「おばはんの裸なんぞ、興味ないて」
寝室を背にしてオクオは軽口を返した。いつもと違う歯切れの悪さを、自分でも感じてしまう。薬棚を確かめ、大事な香油を切らしていることを思い出した。ローブを脱ぐ衣擦れと、寝台の軋みが聞こえる。支度を終えて寝室に戻ると、ドミナは半裸姿をうつ伏せにしていた。
「悪いな、白磁草の香油を切らしとるんや」
「構わんよ、お肌の具合は絶好調だ。それより、今日は首周りを頼むよ。調べ物のし過ぎで、最近ちょっとね――」
オークの太い指先が、エルフの細首に触れた。そのまま軽く圧をかけながら、両手で肩甲骨や背筋の具合を確かめていく。心地よさげにドミナは、小さな息を「ふぅ」と吐いた。
「こりゃあ首より、背中からきとるな。座り仕事のし過ぎや。もうちょっと体動かさんといかんぞ。ドミナはもう年なんやから……」
とたんに、ドミナの機嫌が斜めになる。
「あのね……私はまだ二四〇。まだまだ、麗しいお年頃なんですけど? まったく、月も恥じらい雲に隠れる美女に向かって、なんたる言い草だよ」
「ワイには月がビビって雲に隠れる女傑にしか見えんがなあ――あ、すまん、ちょっと堪えて」
言いながらオクオの指先が背中の一か所に止まった。親指の力を軽く強めて、ぐりぐりと柔肌を揉み始める。意地の悪さからではない。施術の一環だ。
「イーっ、たたたたたた……あぃ-っ! 殺す気かーっ」
足をばたつかせるドミナの抗議などまるで構わず、オクオは少しづつ指先をずらしながら丁寧に背中の肉を揉み続ける。
「力まんと、呼吸を楽にせい。余計に痛むぞ」
じわりと、女の背中に汗が浮く。顔を赤らめながらドミナは、素直に吸って吐いてと深い息を繰り返した。そのうちに――
「あれ? なんかスッキリした。さすがだなあ、オクオ」と、すっかり機嫌を直してしまう。
オクオは施術の手を止めると、用意しておいた清潔な晒布を手に取った。ドミナの背中に布を当て、こすらないよう優しくしながら、浮いた汗を拭っていく。
「おまえやっぱり、施術の才能があるんじゃないか」
「そうかなあ。ま、先生の教えが良かったとは思うがな」
「私はちょっと、コツを教えてやっただけだよ」
笑みに安息を交えて、ドミナは褒める。オクオの顔からもようやく曇りが抜け、明るい色が戻りはじめていた。
しばしの間、オクオの手技は続いた。ドミナの悲鳴と、やすらかな吐息が夜の森に繰り返しこぼされる。足裏と足の指先一本一本がほぐされるたびに轟くドミナの奇声は、森のこづえに眠る鳥たちを夜闇の空に追い立てるほどだった。
やがて訪れた静寂の中にあるのは、ドミナの心地よさ気な息遣いと、施術の後片付けをするオクオがたてる物音だけだ。
手製の香草茶を二揃い持って台所からオクオが戻ると、ドミナはローブを着直し居住まいを正していた。おもむろに、エルフはオークに問いかける。
「――それで、今日はいったいどうした? やけに暗いじゃないか、おまえらしくもない」
「ワイかてな、悩み事ぐらいあるんや。いや、悩みやなくて……困っとる」
そう言ってオクオは、里長から言われた追放の件をドミナに語り聞かせた。
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