第2話 聖都グラーデ

──時は流れ、十年後。


 推定十八歳となったミコトは、レザリオ教の洗礼や通過儀礼を経るため、国の中心部にある聖都へと向かう準備を整えていた。


 レザリオーレの民は皆、時期が来るとこの洗礼を受ける必要がある。


 同じくして聖都へと向かう予定の友人達は、ミコトよりも先に村を出発した様子だ。先ほど、何人かで団体となって歩いていく姿を我が家の窓辺から見た。


 相変わらず、村の外側に建つ小屋の見晴らしは良い。村と違い、周りに塀が無いのだから。


 あれ以来、友人達とは少しずつ疎遠になっていった。


 当然の事だ。秘密や隠し事を続けるというのは、少なからず違和感を与え、不信感に繋がるからだ。


 ミコトは「はぁ……」と、ため息をつくと、母がよく立っていた台所を見つめる。

 

 一年前、母は寿命で消えた。



 人類は不死ではあるが、不老ではない。


 かつて孤児だった赤子のミコトを拾い上げた際、すでに初老を迎える頃合いであった母だが、比較的、いやかなり早い寿命である。


 レザリオ教によって定められた寿命の平均は八〇歳で、消えた母は六〇歳そこそこであった。


 横になり、意識が遠のく母の隣で、ミコトは静かに涙を流す。


 光子となって消えゆく母を共に見送った司祭様によると、何かしらの罪を犯した者は、地域の司教や国を代表する大司教が集う会議によって罪を判断され、場合によっては寿命を縮める処置が下されるそうだ。逆に、信仰心や忠誠心、実力の高さが評価されると、寿命を延ばす恩恵が贈られるケースもある。


 無表情で淡々と言葉を発する司祭様からこの話を聞いた当時は「今ここで話す事か?」とも思ったし、耳を疑ったものだ。


 が、しかしどうだろう。


 死後、何日かが経過し、次第に冷静さを取り戻していったミコトは、思い当たる節を熟考する。 凄腕の冒険者だった母は、用心棒の仕事を熟す傍ら、遠出しては妙な物を持ち帰ってきたり、ミコトが寝ていると判断した隙に何時間か書斎に籠ったりと、自分もよく知らない空白の一面が確かにあった。実力を認められ、母の外出中は村の用心棒の仕事をミコトが代理で行う事も多々。


 そんなある日の戦闘中、この地域では出現しないはずの凶悪な魔物との戦いで大きな傷を負ってしまったミコトは、その場に駆けつけ助太刀に入った母の特殊な力を目にする。


 あれほど苦戦した凶悪な魔物の群れが、紙切れのように次々と斬り伏せられる事に対しての驚きではない。その後の、傷ついたミコトに対する処置のほうだ。


 魔術が効力を発揮しないはずのミコトの身体にできた生々しい傷が、母が翳す手の中で乾いていき、深く響くような痛みは表面的な軽いものへと軽減されていく。


 これは直すというより、治すといったものだ──と母は言い、翳した手を静かに離す。


 とはいえ、その際はまだ若干痛みを感じていたのだが、なんというか、効き目の良い薬草を塗った上で、傷の治りを二日~三日ほど早めたような体感だった。


──母が狂乱し、弱り果てて消えたのは、この数日後の事である。



「いってきます」


 出発の準備を終えたミコトは、台所に向かって外出の挨拶をした。


 教会での朝の祈りをさぼり、聖都まで続く細い砂利道を走るミコトの心は踊っていた。


 生まれて初めての都、豪華な街並み、村人以外の人間、美味しい料理。


 そして、レザリオ教の大聖堂。


 一抹の不安を意識しないよう、そういった明るい事を連想しながら、田舎道を駆け抜けていく。


 その道中、聖都へと向かう村の友人達を追い越した。


「先に行ってるぜ」


 疎遠になっているとはいえ無言で追い越すのは、今後の村での生活に支障をきたす恐れがあるため、念のための挨拶だ。


「なんだアイツ」「相変わらず変なヤツ」とでも言いたげな表情や仕草を横目に、走る速度を上げていく。


──通過儀礼中も、俺の体質がバレないよう工夫しないとな……まぁ、大丈夫だうけど……


 その希望的観測とも取れる余裕の所以は、この先に組み込まれている予定にあった。


 歴史などの一般知識や未取得の一般魔術などを、わずか一日の内に取得するのだ。


 それは、学習や鍛錬といった習得というより、大司教による一方的な付与に近いものなので、自ら物理的、精神的に何かをするという事は一切ない。故に取得と考えていい。


 教官の話を適当に聞き流した後、紋章のえがかれた背中を大司教に見せて、知識や魔術を頂戴し、そのまま帰るだけだ。──まあ、祝福の紋章を持たない俺は、何も取得できないが……


 無論、ミコトの背中にえがかれている紋章は母の施した偽物だが、直に肌を見せるわけではない。背を向けるだけだと村人から聞いていた。仮に見られたとしても問題はない。以前のように墨で塗られた絵ではなく、現在は落ちない刺青となっている。ぱっと見では分からないだろう。


 毎日泥だらけで帰ってくるミコトを見かねた母が、今後の為を想い施した処置だ。


──雑木林を抜けると、ミコトの心臓が高鳴る。



 聖都グラーデ。


 大聖堂を中心とした聖都の街並みを囲う広大な壁には、複雑な形をした巨大な門が幾つも佇んでおり、壮大で、まさに圧巻の一言である。


「村の塀の十倍はあるな…」


 想像を遥かに上回る聖都の規模感に圧倒され、ひとたび足を止めたミコトは「よし」と、息を吐きながら発し、再び走り出す。一抹の不安は、既に意識から無くなっていた。


 門の前に着いたミコトは、改めてその門の作りに感動して足を止める。


 その壁にびっしりと刻まれた豪華な石彫りの数々を、ボーっと眺めていた。


 これらの石彫りは新世界の創成期を表現しており、千年前──かつて世界を崩壊の寸前まで陥れた竜王や、その絶望に立ち向かいし四人の英雄を象った彫刻が施されている。中でも、四人の内の一人が天高く掲げる美しい剣は、光を放っているかのような表現がされており、それを持つ英雄の一人からは特別、強い神聖さを感じた。


「──凄いよな! ぁこの門!」


 門番の兵が、外壁を見つめて立ち止まっているミコトに話しかけながら近づく。


 田舎臭い所作を恥じたミコトは、再び前を向き、歩き出そうとする体勢へと身を改める。


「ははは、君はラーデ村の出身者だろ? その田舎臭い様子と独特の服を見れば分かるさ。俺と同郷だよ」


 ズバリと言い当てられたミコトは、苦笑を浮かべながら「すみません」と会釈する。


 そのまま「人の流れがある門の前で立ち止まるとは何事か」と咎められた風の弱々しい態度に擬態し、客観的に見て、会話を続けにくい雰囲気の生成を試みた。


 しかし、ミコトの姑息な処世術は全く意味を成さず、同郷の子供の到来に喜ぶ兵は、お構いなしに話を続けるのであった。


「村の塀の十倍の高さはあるよな! 俺は職業がら見慣れたもんだが、初めて見ると凄いよなあ、この石彫りとか特に!」


──さっきの俺と同じ事を考えてやがる……と、思考の一致を感じたミコトは、諦めて会話を続けることとし、話ついでに気になった部分を訊く。


「本当、凄いですよねーこの石彫り。ちなみにこの、剣を掲げている人は誰なんですか?」


 これを訊いたのは間違いだったのかもしれない──と、ミコトは瞬時に察した。兵の表情が、無知の者の愚かさを見るそれだったからだ。


「おいおい、今時の村の連中は不勉強だねえ!」


 今のラーデ村の若者を代表させられ、連帯責任のように貶された仲間想いのミコトは腹を立てたが、すぐに気持ちを落ち着かせる。


「す、すみません。不勉強なのは俺だけでして……」


 皆と比べて、自分が勉強不足だという自覚はあった。苛立ちを抑え、冷静になれたのはその責任感故である。人類に隈なく配布される教本も、実際は読んだフリを続けていた。興味をそそられたのは、その教本に描かれている綺麗な挿絵の数々だけだ。中でも、千年以上前まで存在した、魔物の変異種であるエルフやドワーフといった様々な魔人が記されているページは、なんというか、壮大な物語を予感させて好きだった。


 黙り込んでしまったミコトを見かねた兵が、言い過ぎたかもしれないなといった風のため息をつき、話を続ける。


「──ゴホン、その聖剣を掲げた人物は、現・教皇様ご本人だと言い伝えられているよ」


 その発言に驚愕したミコトは、当然の疑問を投げかける。


「……え? って事は、あの大聖堂に住まう教皇様は、えっと──」


「一〇〇〇歳を超えているな! ははは!」


 ミコトが疑問を投げ切る前に、兵が大げさに腕を組み大声で笑いながら答える。


 その慣れた回答は、待ってましたと言わんばかりのものだった。


「おっと、大勢が門に向かってくるようだな。君はもう行きなさい。神の祝福を」


 会話の欲を発散し、先ほどまでの興奮が消え失せた門番は、外側を振り向く。


 終始一方的であった話を突然区切り、ついでのように祈るその様に、若干の冷たさを感じたが、仕事とはこういうものなのだろう──という、プラス思考と切り替えの良さで、湧き出た感情を折りたたみ、ミコトは門での物語を終えた。

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