第2話
倒れている男の様子を観察する。
鎧の紋章は削り取られているが、その仕立ての良さは隠せない。
鍛え抜かれた体躯。
剣ダコのある手。
ただの冒険者ではない。
高位の騎士か、あるいは貴族か。
「……う、ぁ……」
彼が再び、苦しげな声を漏らす。
重度の脱水症状だ。
今すぐ水分を与えなければ、命に関わるだろう。
「少し待っていて」
私は彼から視線を外し、庭予定地である乾いた地面を見据えた。
この地下深くには、巨大な水脈が眠っている。
王都にいた頃、地質調査のついでに大陸全土の水脈マップを頭に入れておいたのが役に立った。
「【水脈操作・直結】」
私は右足を、トンッ、と地面に踏み降ろす。
その瞬間、地下百メートルにある岩盤に、直径十センチの孔(あな)が穿たれた。
圧縮されていた地下水が、逃げ場を求めて猛烈な勢いで上昇する。
「圧力調整、噴出口形成」
「フィルター設置、不純物除去」
ボシュゥゥゥゥッ!!
私の目の前で、大地が爆発したかのように水柱が上がった。
いや、爆発ではない。
制御された、美しい噴水だ。
空高く舞い上がった水は、太陽の光を浴びて虹を作りながら、私の足元に降り注ぐ。
乾いた砂があっという間に湿り、水たまりができ、やがて小さな池となっていく。
「……な、なんだ……!?」
倒れていた男が、水音に反応して顔を上げた。
彼の瞳が、限界まで見開かれる。
無理もない。
死の荒野と呼ばれた場所で、突如として清冽な水が湧き出したのだから。
「飲んでいいわよ」
「ミネラルバランスも調整しておいたから、体にいいはずだわ」
私は池の縁(ふち)に、即席の石造りのカップを生成し、水を汲んで彼に差し出した。
男は震える手でそれを受け取ると、貪るように飲み干した。
「……っ! う、美味い……!」
「なんだ、この水は……体が、内側から浄化されていくようだ……!」
彼は二杯、三杯とおかわりをした。
そのたびに、彼の顔色がみるみる良くなっていく。
私の『地形編集』は、土壌や水質そのものを最適化する。
この水は、王都の王族が飲んでいる高級ワインよりも、遥かに純度が高く、魔力を帯びているのだ。
男は、ふらつきながらも立ち上がった。
その長身が、私の上に影を落とす。
改めて見ると、整った顔立ちをした美青年だ。
鋭い眼光には、武人特有の覇気が戻っている。
「……貴女が、この奇跡を起こしたのか?」
彼が、信じられないものを見る目で私を見つめる。
「奇跡? ただの井戸掘りよ」
「ちょっと深めに掘っただけ」
「井戸掘り……だと?」
彼は、勢いよく吹き上がり続ける噴水を見上げた。
その水量は、小さな川を作らんばかりの勢いだ。
「王宮魔導師団が十人がかりで儀式を行っても、荒野に水一滴出すことすら叶わなかった」
「それを、貴女はたった一人で、一瞬にして……?」
「それに、この屋敷はなんだ? 数時間前、ここには何もなかったはずだ!」
男は、私の背後にそびえる白亜の邸宅を指差して叫んだ。
どうやら、彼が気を失う直前には、まだ私は到着していなかったらしい。
「家がないと不便だから、建てたの」
「野宿は肌に悪いし」
「建てた……? これを?」
「……一瞬で?」
男は愕然として、膝から崩れ落ちそうになった。
常識が崩壊する音が聞こえてきそうだ。
王都の人間たちも、私の作業現場を直接見ていれば、彼と同じ反応をしただろうか。
いや、彼らは結果しか見ない。
「出来て当たり前」だと思っていた連中だ。
それに比べて、この男の反応は新鮮で、少し心地よかった。
「礼を……言わせてくれ」
男は、濡れた地面に膝をつき、私に向かって深く頭を下げた。
それは、臣下が王に対するような、最上級の礼だった。
「私の名はジークフリート」
「かつて、王国騎士団長を務めていた者だ」
ジークフリート。
その名には聞き覚えがある。
王国最強の剣士と謳われながら、ある日突然、反逆の汚名を着せられて姿を消した英雄。
「……そう」
「私はリディア。元聖女よ」
「聖女リディア……!」
「貴女があの、不遇の聖女か……噂は聞いていた」
「だが、これほどの力を持っていながら、なぜ冷遇されていたのだ!?」
ジークフリートが、憤りを露わにして拳を握りしめる。
「王家は、目の前の宝石を石ころと間違えて捨てたのか」
「この力は、国一つを興せるほどの『神の御業』ではないか!」
彼の言葉には、熱がこもっていた。
王太子に「土臭い」と罵られた私の力を、彼は「神の御業」と呼んだ。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
承認欲求なんて、捨てたつもりだった。
でも、自分の仕事を正当に評価されるというのは、悪い気分ではない。
「大げさよ、ジークフリート」
「私はただ、快適に暮らしたいだけ」
「いや、貴女は命の恩人だ」
「それに、この荒野に水をもたらし、城を築いた」
「貴女こそが、真の王たる器かもしれん」
ジークフリートは、真剣な眼差しで私を見上げた。
「リディア様」
「どうか、この命、貴女に使わせてはもらえないか」
「行くあてのない身だ。貴女の盾となり、この場所を守りたい」
元騎士団長が、私の護衛に。
願ってもない申し出だ。
私は『地形編集』で攻撃もできるが、背後を守ってくれる存在がいるのは心強い。
それに、広すぎる家には、話し相手がいた方がいい。
「いいわよ、採用」
「ただし、給料は現物支給よ」
「美味しいご飯と、快適な寝床は保証するわ」
「……今の私には、それ以上ない報酬だ」
ジークフリートが、久しぶりに笑ったような顔をした。
その笑顔は、存外に少年のようなあどけなさを含んでいた。
「さて、従業員も増えたことだし」
「夕食の準備でもしましょうか」
私は、噴水の周りに広がり始めた水たまりを見た。
水があれば、作物が育つ。
保存食の干し肉ばかりでは、力が出ない。
「ジークフリート、野菜は好き?」
「野菜……? しかし、ここには草一本……」
「今から生やすのよ」
私は、ニヤリと笑って袖をまくった。
さあ、次は農地改革だ。
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