第14話 姫様の真実ver.2
宴の終わりは、あまりにも静かだった。
魔王一行が去ったあと、大広間には音がなかった。
さっきまで鳴っていた楽団の演奏も止まり、
料理の香りだけが、場違いなほど豊かに漂っている。
国王は王座の上で、まるで魂を抜かれたように項垂れていた。
「……行ってしまわれた、か」
誰にともなく漏らしたその言葉に、誰も返事をしない。
返事をできない、というほうが正しい。
貴族たちは青ざめて互いの顔をうかがい、
騎士たちは空気を読みかねて目線を泳がせていた。
ただひとり、姫ミレリアだけは、背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。
さっきまでの、か弱げで控えめな“王家の花”の顔ではない。
目の奥に灯った光は、冷たく冴えている。
ミレリアは静かにスカートの裾を翻し、王座の前に進み出た。
「父上」
柔らかな声だった。
だが、その響きに込められた硬さに、
近くにいた侍女が思わず喉を鳴らす。
国王は顔を上げた。
「……ミレリア。お前……」
何かを言いかける前に、
ミレリアは王座の両脇に控える騎士たちへ視線を向けた。
「――扉を閉じなさい」
短く放たれた命令に、大広間の全員がはっとする。
「は……姫殿下?」
「聞こえなかったのかしら? この場にいる者の、出入りを禁じますわ。
衛兵隊長、全扉を閉ざし、外側からの出入りも制限なさい」
躊躇いかけた騎士団長は、一瞬だけ国王を見る。
王は曖昧に口を開きかけ――
だが、ミレリアの真っすぐな視線に射抜かれ、言葉を飲んだ。
「……騎士団は、命ずる通りに……」
「はっ!」
重い扉が次々と閉じていく。
外からの光がわずかに遮られ、
燭台の炎だけが揺れる空間となった。
ざわめきが、波紋のように大広間を満たす。
「な、なにを……?」
「姫君、これは一体……」
「扉を閉めるなど……!」
ミレリアは振り返らない。
ただ王座の前に立ち、静かに父を見上げた。
「父上。本当に、もう少し賢いお方だと思っておりましたわ」
国王の肩が震える。
「……ミレリア?」
「魔王陛下がどれほどの覚悟でこの場にお越しになったか。
そして、それを貶める言葉を、
あなたが“叱責だけで済ませたこと”も。それは私もですか。」
かすかな後悔がないまぜになった表情。
言葉は穏やかなのに、
そこに含まれた刃は鋭かった。
貴族たちの喉が一斉に鳴る。
「お、お待ちください姫様。我々は、ただ……」
「黙りなさい」
その一言が、雷鳴より重く広間に落ちた。
ミレリアはゆっくりと振り返り、
貴族たちを見渡す。
さっきまで、
魔王と四天王を“畜生”だの“野良犬”だのと罵っていた男たち。
王家の姫を“妾の子”と笑った者たち。
彼らの顔から、さっと血の気が引いていく。
「あなた方、本当に――愚かですわね」
静かに、吐き捨てるように言った。
「この数年、私が何をしていたと思いまして?」
貴族の一人が、乾いた笑いを漏らした。
「な、何をと仰られても……姫様は王宮で花として……」
「飾られていただけだと?」
ミレリアの瞳が細くなる。
「ではお聞きしますけれど――
北方の交易路の関税を、誰が再編したかご存知でして?」
別の貴族がはっと息を呑む。
「そ、それは、財務卿が……!」
「“財務卿と一緒に”ですわね」
ミレリアの声は微笑みすら含んでいた。
「あなた方の領地を通る商人たちの荷を、
ひとつずつ検めさせていただいたのも、
“つい先日”のことですわ」
数人があからさまに顔を強張らせる。
「税を誤魔化し、
魔族領との交易を“私的な利”に変え、
王国に収めるべき金を、自分たちの懐に入れていた者たち」
ミレリアは、名も呼ばずに視線だけを滑らせた。
その視線が触れた貴族は、
揃ってぎくりと身を震わせる。
「……く、くだらぬ中傷ですな。証拠もなく――」
「証拠、ですって?」
ミレリアは侍女に軽く顎をしゃくった。
待っていたように、一人の侍女が前に進み出る。
彼女の後ろには、書類束を抱えた文官たちと、
鎧姿の騎士たちが続いていた。
「ここに、あなた方の領地から押収した帳簿と、
裏取引を証言した商人たちの供述書がありますわ」
侍女が恭しく差し出した書類を、ミレリアは片手で受け取る。
ぱらぱらとページを捲りながら、
あくまで柔らかく言葉を継いだ。
「お名前を読み上げましょうか? それとも、ご自分で名乗ります?」
場の空気が、悲鳴の一歩手前でねじ切られた。
「ひ、姫様……これは、一体誰の許しを得て……」
「王命もなく、このような真似を――!」
「王命?」
ミレリアは首を傾げる。
「もちろん、父上のご署名もいただいておりますわよ?」
国王がはっと顔を上げた。
「ミレリア、それは……!」
「北方交易の見直しの件、“書類に目を通された”はずですわ、父上。
読まずに印を押されたのだとしても――
それは、責任を放棄したということですわね?」
国王は何かを言い返そうとしたが、
喉が詰まったように声が出ない。
ミレリアはふっと目を伏せ、そして顔を上げた。
「本当に、もう少し賢いお方だと思っていましたわ。
“姫”の身でいられれば、
何のしがらみもなく――魔王様のもとへ嫁げたものを」
その一言が、
広間の空気をまったく別の色に染めた。
貴族たちが凍りつく。
国王は、娘の視線から目を逸らせない。
「ですが、こうなってしまっては――
あなた方を“生かしておく”わけには参りませんわね」
ミレリアは片手を軽く挙げた。
「近衛騎士隊」
「はっ!」
ずらり、と鎧の音が響く。
王座を守るはずの近衛騎士たちが、一斉に向きを変え、
貴族席を取り囲んだ。
「ちょ、ちょっと待て! 貴様ら、誰の騎士だと――」
「姫殿下の命に従うのが我らの務めです」
隊長格の騎士が、短くそう告げる。
その声音には、迷いがなかった。
ミレリアは、静かに貴族たちを見下ろす。
「魔王陛下を“畜生”と呼び、
私を“妾の子”と貶め、
この国の誇りを泥に塗った者たち」
一歩、前へ出る。
「これまでの不正、横領、脱税、密輸。
全部ひっくるめて――罪人として、お裁きいたします」
「ひ、姫様! 我らは代々続く家柄で――」
「騎士たちよ、目を覚ませ! 我々はこの国の柱だぞ!」
「柱?」
ミレリアは喉の奥で笑った。
「腐った柱は、早いうちに折ってしまうのが一番ですわ。
放っておけば、家ごと崩れるでしょう?」
文官の一人が進み出て、声を張った。
「第一、第三、第五騎士隊、前へ!」
「はっ!」
「対象の貴族を拘束、財産を凍結。
関係者の身柄をすべて確保せよ。
逃げようとする者は、その場で取り押さえろ」
騎士たちが動くたび、貴族の悲鳴が上がる。
「や、やめろ! 私に指一本触れれば、お前たちの……!」
「こ、これは不当だ! 法に訴えて――」
「わ、我が領の兵が黙っていないぞ!」
「その“兵”の指揮権も、昨年から王都に移っておりますわ」
ミレリアがさらりと告げる。
「知らなかったのかしら? あなた方が、“書類を読まずに”
署名なさったおかげで」
絶望の色が、数人の顔に広がった。
一人の太った貴族が、必死に国王へすがりつく。
「陛下! どうかお止めください! このような真似が許されては――!」
国王は、震える手で玉座の肘掛けを握った。
だが、その視線はミレリアを見ている。
娘の瞳の奥に宿るものを見て、
彼はゆっくりと目を閉じた。
「……私は」
かすれた声で、国王は言う。
「私は……この国を、まとめられなかった」
ミレリアは何も言わない。
ただ、その告白を静かに聞いていた。
「お前が……本当にそこまでしていたとは、知らなかった。
いや……知ろうとしなかったのだろう」
手が、膝の上で震えている。
「ミレリア。お前は、私よりも――王にふさわしい」
ミレリアの瞳が、わずかに揺れた。
「父上」
「今日のことの責は……私にある。
魔王陛下に詫びる資格も、もはや持たぬ男だ」
国王は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、その場で膝をつく。
「王冠を……お前に譲ろう」
静まり返った大広間で、
その宣言だけがやけに鮮明に響いた。
騎士たちが息を呑み、侍女たちが目を見開く。
ミレリアは目を伏せ、ほんの短い間だけ沈黙した。
やがて、顔を上げる。
「……本当に、もう少し賢いお方だと、思っておりましたのに」
言葉は厳しい。
だが、そこには微かな哀惜も混じっていた。
「ですが、この国を“恥ずかしくない国”にするには――
誰かが血をかぶらなくてはなりませんわ」
ミレリアは父を見据えた。
「その役目、引き受けましょう」
ゆっくりと踵を返し、
拘束されつつある貴族たちへと向き直る。
「これより先――
魔王陛下と、その眷属を侮辱した者。
この国と王家の名を貶めた者。
そのすべてに、“王の名において”裁きを下します」
貴族の一人が、震える声を上げた。
「ま、魔王に媚びるおつもりか、姫……いや、陛下……!」
「いいえ」
ミレリアは迷いなく言い切った。
「魔王様に恥ずかしくない国でありたいだけですわ。
――いつか、もう一度。
この国の者として、胸を張ってお会いできるように」
静かな宣言だった。
だが、その奥で燃えるものは、
誰の目にも明らかだった。
四方から、騎士たちの「了解!」という声が返る。
拘束される貴族たちの悲鳴と怒号が、
豪奢な大広間に濁って反響した。
ミレリアはそれを背に受けながら、
ふっと小さく息を吐く。
「……本当に、愚かですわ。
私が“姫”のままでいられれば、
どれほど楽に――魔王様の隣に並べたでしょうに」
誰にも聞こえないほどの小さな声だった。
だが、その瞳には確かな決意が宿っている。
「いいえ。構いませんわ」
やがて、真っ直ぐに顔を上げる。
「この国を整えます。
魔王様に、胸を張って『再びのご縁を』と申し上げられる日まで
絶対に!魔王様のお嫁さんになるのは私です。誰にもわたしませんわ。」
新たな王の誕生を告げる鐘は、まだ鳴らない。
だが、この夜――
王国の実権は、確かに姫ミレリアの手へと移った。
そして、魔王と四天王を嘲った貴族たちは、
一人残らず“罪人”として名を刻まれることになる。
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