第6話

灰色の影が迫る。速い。 だが今の奏多の目には、その動きがスローモーションのように焼き付いていた。

高い知力(INT)による思考加速か、あるいは死線をくぐった経験則か。


――軌道が読めた。直線的すぎる。


奏多は反射的に右へ跳んだ。一瞬前まで自分がいた空間を、ネズミの怪物の前歯が切り裂き、岩盤へと突き刺さる。

ガギィン! 飛び散る火花。

直撃すれば即死(ゲームオーバー)は免れない破壊力だ。

だが、恐怖と同時に頭の芯が冷えていくのを感じる。

納期直前の致命的なバグに遭遇した時の感覚と同じだ。焦っても解決しない。

まずは仕様(あいて)を理解し、脆弱性(じゃくてん)を突く。

岩に食い込んだ牙が抜けず、ネズミがジタバタと藻掻いている。

好機(チャンス)だが、この小さな身体で、あの硬い皮膚にダメージが通るのか?

いや、あるはずだ。どんなに堅牢なシステムにも、必ずセキュリティホールはある。

奏多は走り出した。逃げるためではない、懐に飛び込むためだ。

ネズミが強引に牙を引き抜き、振り向こうとする。

その瞬間、硬い皮膚がよじれ、首筋が露わになった。

そこだけ、灰色の装甲がなく、薄桃色の柔らかな肌が見えている。

そこだッ!

地面を強く蹴る。子犬の跳躍力と侮るなかれ。俊敏(AGI)の値は、不意を突くには十分な速度を叩き出していた。


「グルルァッ!」


喉の奥から、自分でも驚くほど獰猛な唸り声が迸る。顎を限界まで開き、スキル【噛みつく】を発動させる。


「ギャッ!?」


ネズミの驚愕と、奏多の牙が喉笛に沈み込むのは同時だった。

温かい生体反応。鉄の味。こみ上げる不快感をねじ伏せ、決して離さない。

ここで離せば殺されるという野生の本能が、顎の力を極限まで強める。

一点突破。バイタルエリアを破壊しろ!


《特定行動により、新スキル【急所突き Lv.1】を習得しました》


脳裏にログが走ると同時に、牙がさらに深く、致命的な深さまで突き刺さる。 ネズミが暴れ、爪が奏多の脇腹を掠める。鋭い痛み、HPバーが削れる感覚。それでも奏多は首を激しく左右に振り、傷口をさらに広げた。


「ギ、ギィ……ッ」


数秒の攻防。 やがてネズミの動きが痙攣に変わり、糸が切れたように脱力した。

ドサリと重い音が洞窟に響く。 奏多は荒い息を吐きながら、動かなくなった敵から離れた。口の中に残る血の味が、これがゲームではなく現実だと突きつけてくる。

はぁ、はぁ……。勝った、のか?

へたり込みそうになったその時、視界にファンファーレのような輝きと共にウィンドウが展開された。


《経験値を獲得しました》

《レベルが上昇しました。Lv.1 → Lv.2》


全身を駆け巡る温かい奔流。脇腹の傷が、見る見るうちに塞がっていく。

レベルアップによる全回復(リフレッシュ)。 身体の奥底から力が湧いてくる。

さっきまで震えていた小さな前足が、今は確かな勝利の感触を掴んでいた。

恐怖は達成感へ。そして自信へ。 奏多は倒したネズミを見下ろした。

可哀想という感情はない。食べるか、食べられるか。それがこの世界の仕様(ルール)だ。そして今、自分は生き残った。

さて……こいつをどうする?

奏多はネズミの死体を観察した。 今の自分にはナイフもない。

だが、この硬い皮を剥ぎ、肉を得なければ食料にはならない。

どこから手をつけるべきか? 関節の継ぎ目は? 筋肉の構造は? SEとしての分析思考(アナライズ)をフル回転させ、死体の構造(アーキテクチャ)を読み解いていく。

構造解析完了。処理手順を確立。

その思考がまとまった瞬間、再びシステム音が鳴った。


《対象の構造理解により、新スキル【解体 Lv.1】を習得しました》


なるほど、そう来るか。

必要な行動や思考に合わせて、最適なスキル(アプリ)がインストールされる仕組みらしい。 これなら、今の姿でもなんとかなりそうだ。

SE兼・冒険者(犬)である奏多は、覚悟を決めて獲物に歩み寄った。生きるための次なる作業フェーズが、始まろうとしていた。

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