第八話:予知妨害・深層域 ― 未来の闇に潜る者

1 紗雪の“本気”


 歩道橋の上で向かい合うふたり。

 紗雪の表情から、いつもの柔らかさは完全に消えていた。


「遥斗くん。……これ以上は、本当に危険だよ。

 あなたの未来視を強制進化させれば、精神が壊れる可能性だってある」


「それでも進む。

 紗雪が止める理由を隠し続ける限り、俺は……止まらない」


 紗雪は一瞬だけ目を伏せ、深く息を吸う。


「……わかった。

 あなたがそこまで言うなら、わたしも覚悟を決める」


 そして顔を上げたとき——

 その瞳は、以前とまったく違う光を宿していた。


「予知妨害・深層域(ディープ・ジャミング)

 これが……わたしの“本気”」


(深層……域?)


 遥斗の背後で、風景がわずかに揺れる。

 まるで世界そのものが“紗雪の観測領域”へ入り込んだような感覚。


「あなたの未来視は、確率の“表層”を拾っている。

 でもね、遥斗くん……」


 紗雪の声が、どこか遠くから響くように聞こえる。


「わたしは……**確率そのものを“書き換える”**ことができる」


2 世界が揺らぐ


 次の瞬間、未来視が暴走した。


――階段が崩れる未来

――風が吹き荒れ、体が持っていかれる未来

――誰かが歩道橋に入ってくる未来

――車が歩道橋の下で事故を起こす未来

――紗雪が泣き叫ぶ未来

――紗雪が笑う未来

――紗雪が消える未来


 映像が“現実のような鮮明さ”で迫り、脳を焼く勢いで連続再生される。


「ぐっ……! これはっ……!」


 未来視が、情報ではなく“痛み”として襲ってきた。


 紗雪は動かない。

 しかし、世界が揺れている。


「これが深層域。

 未来を予知する前に、あなたの脳が“破綻”するよう設計してあるの。

 あなたは情報を選んで未来視するけど……

 そもそも“選べないほどの情報量”を送り込めば、それは不可能になる」


「くっ……!」


(選べねぇ……!

 未来視のアルゴリズム自体が……こじ開けられて……!)


「わたしの目的はひとつ。

 あなたを“一歩も動けない状態”にすること。

 そうすれば、父親を殺す未来は永遠に訪れない。」


 淡々と語る声は冷静だが……

 その奥には、痛みがあった。


3 “並行未来”の幻影


「深層域の効果はまだあるよ、遥斗くん」


 紗雪が手をかざす。


「——並行未来(パラレル)の幻影」


 周囲の空気がねじ曲がり、遥斗の周囲に“もう一人の紗雪”が現れた。


一人は泣き、

一人は怒り、

一人は微笑み、

一人は無表情。


そしてすべてが話しかけてくる。


「遥斗くん、お願い……このまま帰って」

「あなたは危険。わたしが止めるしかない」

「ねぇ、未来を変えたいよね? 一緒に行こうよ」

「あなたが父親を殺す未来……私は知ってる」


(っ……!

 声まで、未来視とリンクしてる……!

 これはただの幻じゃない……

 未来の“可能性”を具現化して、俺に干渉してきてるんだ……!)


 “並行の幻”のひとりが、遥斗の肩に触れた。


 冷たい。

 幻影すら“触れられる”レベルで現実に干渉している。


「……紗雪。

 こんなことまで……できるのか」


「できるよ。

 あなたを止めるためなら……何でもやる」


 紗雪の本音が滲む。

 それは悲しいほどに真っ直ぐだった。


4 本気で殺しに来ている


 紗雪が小さく告げる。


「ここから先の深層域は……“死に至る未来”も混ぜるよ」


「は?」


「あなたが危険な行動をしたら、未来視が“死の未来”だけを流してくる。

 それを見た瞬間、あなたは動けなくなる。

 結果として“行動不能”になる……これは心理戦じゃなく、純粋な制圧」


(……本当に……俺を殺しに来てる……

 いや、“殺さずに殺す”つもりか)


 紗雪の声は震えていた。


「……これ以上あなたが進めば、ほんとうに……取り返しがつかなくなる。

 だから……」


 紗雪は目を閉じ、涙を堪えるように一呼吸して——


「——未来視ごと、あなたを止める」


 その瞬間。

 深層域が一段階“深まった”。


 空気の密度が変わり、遥斗の未来視は完全に“使用不能”になる。


(まずい……このままじゃ……

 本当に“視る前に壊れる”……!)


 限界の中で、遥斗は気づく。


(未来視を“読む”どころか“選ぶ”こともできない……

 でも——

 紗雪が未来を動かすなら……

 逆に、その“動作”を読むことはできるんじゃないか?)


 まだ方法はある。


 未来視ではなく……

 紗雪そのものを観測することで、未来を掴む道が。

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