第四十六話:撮影者の残した“わずかな痕跡”と、雨宮の解析が始まる

救急車が男性を搬送した後、路地は再び静かになった。

 ただし、さっきまでとは違う。

 空気は緊張の余韻を引きずり、音が吸い込まれていくような静けさが漂う。


 俺は深く息を吐いた。

 未来は変わった。

 だが――撮影者は逃げた。


「木村さん」


 雨宮が階段の影から出てきて、手元を見せる。


「これ……たぶん撮影者の落とし物です」


 掌には、小さな黒い布の破片。

 指でつまめるほどの、ほんのわずかな切れ端だった。


「こんなの、よく気づいたな……」


「さっき、あなたに声をかけた時に――

 撮影者が一度、階段の壁に体をぶつけたんです。

 そのとき、衣服かカメラポーチの端が引っかかったんじゃないかと」


 雨宮の説明は冷静で、無駄がない。

 天才的な“勘”というより、積み上げた観察による推測だ。


「布の質感を見る限り、衣服じゃないです。

 カメラ用の緩衝材に近い織り方なので、おそらく“カメラバッグ”の破片だと思います」


「カメラ……バッグ」


 つまり、撮影者はスマホだけじゃなく、

 専用の機材を持っていた可能性が高い。


「それと――もうひとつ」


 雨宮は階段の影に近づき、地面をライトで照らす。

 そこには、丸い跡が薄く残っていた。


「ここ、膝をついた跡です」


「膝を……?」


「立って撮影していない。

 かなり低い姿勢から、倒れた男性と……あなたを見ようとしていたみたいです」


 なるほど、と息を飲む。


 俺を“撮る”ことが目的なら、

 確かに低いアングルからの方が、倒れる男性との距離感を同時に収めやすい。


「雨宮、これ……撮影者って、素人じゃないってことか?」


「そう思います」


 雨宮は表情を崩さず、静かに続けた。


「少なくとも、“撮りたい構図がはっきりしている人”の動きでした。

 そして、逃げ方も迷いがない。

 この路地の地形を事前に知っていたはずです」


 つまり――

 撮影者は偶然そこにいたわけじゃない。


 予知が本物か確かめるために、

 行動を準備して来た人間。


「雨宮、あいつ……俺が未来視するって、知ってるんだよな?」


「はい。

 そして、その未来視が“どれだけ再現性があるか”を確認しようとしているように見えます」


 ゾッとする言葉だった。


 未来視を、

 俺の力を、

 “検証”しようとしている。


 俺の喉が乾く。


「……怖くないのか、雨宮」


「怖いですよ」


 即答だった。

 けれど彼女は、ほんの少し微笑む。


「でも、恐れるだけの相手じゃないと思っています。

 あの人は敵意より――好奇心の方が強い気がするんです」


「好奇心?」


「ええ。

 あなたの未来視を“利用”したい、というより――

 “理解したい”に近い動きでした」


 そんな理由で、ここまで執拗に?

 俺は眉をひそめる。


「ただし、その“理解したい”という気持ちが、いつ“危険”に傾くかはわかりません」


 雨宮の目に迷いはなかった。


「だからこそ、解析を進めます。

 “撮影者がどんな準備をしていたのか”

 “どこから来て、どこへ逃げたのか”

 “なぜ、あなたを撮ろうとしたのか”」


 雨宮は布の破片を慎重に袋へ収めた。


「……これは、手がかりになります」


「雨宮、頼りになるな」


 思わず本音が漏れる。


 雨宮はわずかに頬を赤くしたが、すぐに真剣な顔へ戻った。


「私の仕事ですから。

 マネージャーですし」


 その一言が、不思議と胸を落ち着かせた。


 現場に残る気配はすでに消えていた。

 しかし撮影者の存在は、路地の闇に溶けずに残っている。


 俺たちは今、確かに“追われている”。


 だが同時に――

 探り返し始めた。

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