第三十四話 責任の重さと、雨宮へ

 大学の敷地に足を踏み入れた瞬間、空気がいつもと違うことに気づいた。

 ざわつき。視線。レンズの反射。


 講義棟の前には見覚えのないスーツ姿が数名。

 手にはメモ帳やカメラが握られ、誰かを探すように視線を泳がせていた。


 ネットの“仮面の予知者”に関する記事が拡散され、

 「正体はこの大学の学生ではないか」という憶測が膨らんでいる。

 昨夜からのアクセス急増で、それがただの噂では済まなくなった。


「すみません、学生の方ですか?」

「この大学で“予知者”らしき人物を見たという話が――」

「仮面をつけた配信者について、お話を」


 名前を呼ばれたわけではない。

 しかし、背中をじわりと冷たい汗が伝った。


 “もし俺が特定されたら、あの予知はどう扱われる?”


 映像が頭をよぎる。

 昨日、自分が助言して救われた命。

 そして――見なければ助けられないという現実。


 それが、今、重くのしかかっていた。


(全部、俺の責任になる……)


 胸が圧迫され、呼吸が浅くなる。


 そのとき――背中に軽く触れられた。


「こっちです」


 振り返ると、雨宮がいた。

 俺の顔色を見るなり、その目が心配で揺れた。


 


■雨宮の導き


 ふたりで校舎脇の影に入り、記者たちの視線が届かなくなると、ようやく息が吸えた。


「……大丈夫ですか? すごく緊張してたように見えました」


「まあ……ちょっとな」


 軽く答えたが、実際には冗談では済まない。

 昨夜から、胸の重さがずっと消えていなかった。


 雨宮は携帯を握りしめ、画面を見せてきた。


「“予知者は大学生だ”っていう投稿がどんどん拡散されてます。

 名前は出ていませんけど……この状況、危ないですよ」


「……そうだな」


 短く返したが、心の奥では別の問題が渦巻いていた。


 予知そのものより――

 “見てしまった未来にどう向き合うか”

 “見た以上、助けるべきなのか”

 その義務感が、もう自分では抱えきれないほど重くなっていた。


 昨日の救助以来、周囲の熱狂は増す一方だ。

 責任の重さも、比喩ではなく“圧”として肩にのしかかっている。


 


■限界に近づく責任感


「……雨宮」


 気づけば、声が震えていた。


「俺さ……未来を見るのはできるんだ。制御もできてる。

 でも、その先が……分からなくなってきてる」


「その先……?」


「見た未来に、どう責任を取ればいいのか。

 一つ見れば、一つ救える。

 でもその選択肢を握ってるのが俺だってことに……急に、怖くなった」


 雨宮は目を見開いた。

 驚きではない。

 胸が痛むような、真剣な表情だった。


「……救える未来を見てしまったら、放っておけないんだ。

 見なきゃ誰も困らないのに、見たら最後……助けなきゃって思ってしまう。

 そうしなきゃ罪悪感で潰される。

 それが……昨日くらいから特に重い」


 肩が震えた。

 自分でも気づかないほど、精神は摩耗していた。


「ネットで騒がれて、期待もされて……。

 すべてに答えなきゃいけない気がして……今、正直きつい」


 言葉にした瞬間、胸の奥がぐっと熱くなった。


 


■雨宮、寄り添う


 雨宮はしばらく黙り込んだ。

 怒ることも、否定することもせず。

 ただ、真剣に考えている。


 そして小さく息を吸ってから口を開いた。


「……話してくれてありがとうございます」


 とても静かな声だった。


「あなたが助けてくれた命は、あなたが見たから救われたんです。

 でも、全部を背負う必要はありません。

 一人で抱え込みすぎてます」


「でも俺が見なきゃ――」


「あなたは神様じゃない。

 未来が見えるからって、全部救う義務なんてないんです」


 そう言う雨宮の声は、震えていた。


「あなたが壊れてしまったら……本当に救えるはずの未来も、救えなくなる。

 だから……頼ってほしい。

 私でも、誰でもいい。

 一人で抱え込んで潰れないで」


 その言葉が、胸に深く刺さった。


(頼っていいのか……? 本当に?)


 喉が詰まり、言葉が出なかった。


 


■相談へ踏み出す一歩


「雨宮……相談したいことがあるんだ」


 絞り出すように言うと、雨宮はまっすぐにうなずいた。


「はい。何でも話してください。

 あなたの負担になることなら、少しでも分けてください」


「次の未来を見た。

 俺が助けるべき“誰か”が……また危ない。

 まだ時間や場所は絞り切れてないけど、確実に近い未来だ。

 だからこそ……怖い。

 また、俺が間違った選択をするんじゃないかって」


 雨宮は優しく言った。


「間違えないように、一緒に考えましょう。

 あなた一人で悩む必要はありません。

 私も……あなたが背負ってる重さを知りたい」


 その言葉に、ようやく心の奥に灯りがともった気がした。


 責任感は消えない。

 未来を見る能力も変わらない。


 でも――

 この重さを分かち合える相手がいる。


 その事実が、今はどんな予知よりも救いだった。

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