第二十一話 視えてしまった未来

 翌日の朝、俺は大学に向かう途中で、

 ふと胸の奥に冷たい感覚を覚えた。


 突然――あの“前触れ”が来た。


(……まさか、今?)


 目の前の景色が薄く揺れ、

 曖昧な白い光が視界の中に差し込んだ。


 未来予知の発動だ。


 俺は急いで歩道の端に寄り、深呼吸した。

 発動には金がかかるはず――

 だが昨日、雨宮からの電話を切ったあと、

 財布に入れていた100円玉を無意識に指で弾いていた記憶がある。


(あの瞬間に……“予知の予約”をしていた?)


 そんなことがあり得るのか分からない。

 だが、今は考えている余裕がなかった。


 意識がゆっくり薄れていく。


■視えた“断片”


 次の瞬間、

 視界の奥でぼやけた映像が動き始めた。


 白いカーテン。

 消毒液の匂い。

 病室らしい青白い光。


 ベッドに横たわる女性。


 雨宮の母――だ。


 表情は穏やかで、眠っているようだった。


(これは……“その日の様子”か?)


 だがすぐに、胸がざわついた。


 病院の廊下。

 慌ただしく走る看護師。

 誰かが「急変」と叫ぶ声。


 そして――

 雨宮が泣きながら廊下に座り込む姿。


 その肩に、年配の医師がゆっくり手を置く。


(……これって)


 未来予知はそこまでで途切れた。


 意識が現実へと押し戻される。


■“見えるべきではなかったもの”


 俺は壁にもたれ、呼吸を整えた。


(最悪だ……

 これは――母親の病状が、近いうちに急変する未来だ)


 断言はできない。

 未来は変わる可能性がある。


 でも――

 見えたのは“直近の危機”だ。


(雨宮に……伝えるべきか?

 でも、どう伝える?

 むしろ、伝えることで彼女を追い込むだけじゃ――)


 頭が痛くなるような責任感が押し寄せてきた。


 俺は“他人の死に関わる未来”を見てしまったのだ。


 昨日とは違う。

 事故とは違う。


 これは、病の未来。

 医学の限界が絡む未来。


(下手なことを言えば……

 雨宮を絶望させるだけだ)


 だが、伝えなければ――

 彼女は何も知らずに最悪の瞬間を迎える可能性がある。


 どちらにしても正解がない。


 胃の奥が締めつけられるように痛む。


■透子の気づき


 大学に着くと、透子が待ち合わせ場所に立っていた。


「おはよ……って、なにその顔。

 また見たの?」


 俺は思わず立ち止まる。


「……なんで分かるんだよ」


「見れば分かる。

 目の奥が、昨日と全然違う」


 透子は俺の前に回り込み、

 小声で真剣な目を向けた。


「……雨宮さんのこと?」


 図星だった。


「……悪い未来、見えたんだろ」


「“悪い”なんてもんじゃない」


 声が震えた。


「雨宮の母さん……

 近いうちに、急変するかもしれない未来が見えた」


 透子は息を呑んだ。


「……それ、雨宮さんに言うの?」


「言う……べきなのか?

 あれは“未来の可能性”であって、

 確定じゃない。

 なのに……

 俺が軽々しく言ったら、雨宮はどうなる?」


「……たしかに」


 透子は腕を組む。


「未来が“悪い方向に傾いてる”って言われたら、

 誰だって壊れるよ」


「だろ?

 でも言わなかったら……

 俺は“見て見ぬふり”したことになる」


 喉の奥がひりつく。


「俺のせいで誰かが死ぬって未来は……

 二度と見たくないんだよ」


 透子は静かに息を吸った。


「……ねえ、ひとつ言っていい?」


「なんだよ」


「あなた、責任を背負いすぎ」


「は?」


「全部を救う前提で考えてる。

 そんなの……無理に決まってるのに」


 透子は一歩近づき、俺の腕を掴んだ。


「でも逃げるのはもっとダメ。

 だから――」


 透子の声が少し震える。


「一緒に考えよ。

 雨宮さんが壊れないように。

 お母さんの未来も、できる限り救えるように。

 あなたひとりに抱えさせないから」


 その言葉で、胸の奥の張りつめたものが

 少しだけ緩んだ。


(……俺は本当に、ひとりで抱え込むつもりだったんだな)


■雨宮からのメッセージ


 そこへスマホが震えた。


 雨宮からだ。


《お母さん……今日の検査で、医師から“少し状態が不安定”って言われました。

 ……少し怖いです。》


(……もう始まってる)


 俺の予知に映った“急変前の兆候”。

 現実もその線上に乗り始めている。


 胸の奥へ、冷たいものが落ちていく。


(これは……悠長に悩んでいる時間はない)


 未来は近い。

 本当に、すぐそこに迫っている。

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