第十話 見えない歪みの中心で

百円玉を握ったまま、しばらく動けなかった。

 呼吸は浅く、部屋の空気は薄い膜のように静まり返っている。


 ――この部屋は、未来予知が沈黙する“安全地帯”だった。


 だが、今は違う。


 まるで空気の密度が変わったように、部屋そのものが俺を監視しているような気配がある。


(落ち着け……これは俺の神経が過敏になってるだけだ)


 そう言い聞かせても、不安は晴れない。

 今日の未来予知の軌跡があまりにも異様だったからだ。


・未来の映像が何度も途切れた

・“真相”という言葉

・次の百円で全てが見えるという予告

・逃げなければ未来が変わるという強い示唆


 どこかで俺は、気づかぬうちに“ゲームの盤上”に乗せられている。

 そんな感覚があった。


(……いや、逃げるなって言われたんだ。考えるな。進め)


 自分を叱咤し、立ち上がる。


 ただ“次の百円を落とす”という行為だけなのに、その準備に時間をかけた。

 水を飲み、深呼吸を繰り返す。

 部屋の明かりを少し明るくし、机上を整えた。


 それでも手の震えは止まらなかった。


(心を整えろ……未来予知がそう言ったんだ。なら、これも必要な工程なんだろう)


 そう自分に言い聞かせる。


 準備が整った頃には、部屋がどこか違う場所のように感じられた。

 壁は薄く、守られていない。

 窓は外の世界と繋がっているようで、どこにも繋がっていない。


(……世界がおかしいのか、俺がおかしいのか)


 もし、未来予知を使い続けたことで俺の認識が歪んでいるのだとしたら――

 どちらが正しいのか判断する術はない。


 未来予知をやめれば、日常に戻れるのか?

 それとも、もう戻れない段階まで来ているのか?


 答えは分からない。


 だから――

 次の一回に全てを賭けるしかない。


 机上の百円玉を、震える指先でつまむ。


「……行くぞ」


 呟いた声がやけに大きく響いた。

 部屋は息を潜め、未来すらも待ち構えているようだった。


 俺は――ゆっくりと、百円玉を落とす。


カチリ。


 音が世界の中心で響いたように感じた。

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