第2話

「……なあ朔夜さくや、授業終わんないな。もうお昼だろ?」

「まだ開始二〇分だ。寝てろ」


 水曜日の三限目、経済学の講義室こうぎしつ

 俺、加賀美かがみ朔夜さくやは最前列の端という目立たない席でノートを取っていた。隣で突っ伏しているのは、世界ランク1位の救世主こと最上エイジだ。


 エイジが欠伸あくびをすると、彼の頭上に浮かぶ(らしい)HPバーやマナゲージのウィンドウが一緒に揺れるせいで、後ろの席の学生が「見えねえよ」と小声でどくづいている。

 俺には何も見えない。見えるのは、退屈そうにペン回しをしている親友の横顔と、黒板に書かれた需要供給曲線のグラフだけだ。


 昨日の夕方、俺たちは例の「骸骨」を裏山の不法投棄ふほうとうき監視区域のさらに奥、人目につかない谷底へ投げ捨ててきた。

 エイジは「経験値が入らないのは惜しいけど、家賃滞納たいのうして追い出されるよりマシか」と笑っていた。

 あの一件は、俺たちの中では「終わったこと」になっていた。

 そう、この瞬間までは。


 ガシャァァァァァァン!!


 講義室の静寂を破り、天窓てんまどが盛大に砕け散った。

 ガラスの破片と共に、真っ白な光の柱が降り注ぐ。

 講義中の教授が悲鳴を上げて教卓の下に隠れ、学生たちが一斉にスマホを構えて撮影モードに入る。この世界じゃ、イベント発生は「危機」ではなく「バズるチャンス」だ。


「きゃぁぁぁっ!」


 光の中から落下してきたのは、フリフリのドレスを着た金髪の美少女だった。

 彼女はエイジの机の上に華麗に……ではなく、勢いよくお尻から着地した。

 講義机が「メキョッ」と嫌な音を立ててへし折れる。


「いったぁ~……! もう、座標設定ズレてるじゃないですかぁ!」


 少女は涙目で腰をさすりながら立ち上がると、状況も確認せずにポーズを決めた。


「待たせたわね、異界の勇者よ! わたくしこそは聖アークライト王国の聖女、セレスティア! 魔王復活の予兆よちょうを感じて、貴方の力を借りに……って、聞いてます!?」


 聖女セレスティアがバッ、と指さした先。

 そこには、潰された自分の机を呆然ぼうぜんと見つめるエイジと、教科書に付着したガラス片を手で払っている俺がいた。


「おい、朔夜さくや……」

「なんだ」

「俺の限定コラボ筆箱ふでばこが、聖女の尻の下敷きになって粉砕された」

「ドンマイ。買い直せ」

「ふざけんな! あれ生産終了品だぞ!」


 エイジが涙目で叫ぶ。世界を救うことよりも文房具の心配をしている勇者に対し、聖女は顔を真っ赤にして地団駄じだんだを踏んだ。


「無視しないでください! 聖女ですよ!? ほら見てください、この輝く【Sランク・女神の加護】の称号を!」


 彼女が自分の頭上を指さす。

 教室中の男子学生が「うおおお!」「マジでSレアだ!」「すげえ、ステータスの桁が違う!」と色めき立つ。

 だが、残念ながら俺の目は節穴だ。


「……エイジ、次の講義の出席取れなくなるから、その女なんとかしろ」

「えー、俺も嫌だよ。面倒くさいもん」

「貴方たち、いい加減にしなさいよ! こうなったら強制的に……《チャーム・オブ・ハート》!」


 聖女がウインクを飛ばした。

 ピンク色の波動が教室全体に広がる。周囲の学生たちの目がハートマークになり、エイジさえも一瞬「おっ」と目を見開いた。精神干渉系の魔法だ。

 だが。


「……なんだそれ。目にゴミでも入ったか?」

「へ?」


 俺が真顔で尋ねると、聖女の動きがピタリと止まった。


「な、なんで効かないんですか!? レベル差があれば絶対服従のはずなのに……って、貴方、ステータスが表示されない!? 何者なんですか!?」

「学生だ。授業の邪魔だ、降りてくれ」


 俺がシッシッと手で払う動作をすると、聖女はプライドを傷つけられたのか、わなわなと震えだした。

 と、その時である。


「見つけたぞ、最上エイジぃ!!」


 壊れた天窓から、今度は薄汚い男たちが三人ほど飛び込んできた。

 迷彩服に身を包んだ、いかにも「荒っぽいプレイヤー」たちだ。彼らの頭上にはドクロマークのついた赤いネームプレートが出ている……と、親切なモブ学生の一人が叫んで解説してくれた。PKギルドの連中らしい。


「俺たちは『ブラッド・ハウンド』。ランク1位の首と、その聖女の身柄、頂戴するぜ!」


 男たちが武器を構える。教室はパニックに陥り、一般生徒たちが蜘蛛くもの子を散らすように逃げ惑う。

 エイジがスッと立ち上がり、表情を消した。


「……大学はセーフティエリア協定内のはずだけど。ルール破りか?」

「ルールなんざ強者が決めるんだよ! 喰らえ!」


 男が火炎魔法を放つ。

 エイジは俺をかばうように前に出るが、表情は険しい。

 室内、しかも一般人が多いこの状況では、彼は本気が出せない。下手に動けば校舎が崩壊するし、流れ弾で死人が出る。最強ゆえのハンデだ。

 男たちもそれを知っててやっている。卑怯だが、ゲーム的には賢い戦術だ。


 エイジが防御障壁を展開し、炎を受け止める。その隙に、別の男が聖女の腕を掴んだ。

「へへ、まずは女を確保ぉ!」

「きゃあ! 離して、野蛮人!」


 カオスな状況だ。

 俺はため息をつき、足元の散乱した机の残骸――折れた鉄パイプの脚を一本拾い上げた。


「……だからさ」


 俺は乱戦の中を、すたすたと歩いた。

 魔法の火の粉が舞い、エイジとリーダー格の男が激しい攻防を繰り広げている。俺の姿は、彼らのオートターゲットシステムには映らない。

 システムの補助がない彼らは「視界の端を歩く地味な一般人」に対する警戒心が致命的に薄い。


「教室で暴れるなって、言ってんだろ」


 俺は聖女を掴んでいた男の真後ろに立ち、鉄パイプをその膝裏ひざうらに突き刺した。


「ぐっ!?」

「膝カックン」

「あだァ!?」


 男がガクンと膝をつく。物理的な急所攻撃は、HPに関係なくバランスを崩させる。

 そのまま前のめりに倒れた男の側頭部を、俺は手に持った参考書で強打した。

 ゴンッ、という鈍い音がして、男は白目をいた。


「え?」

「な、なんだ!?」


 残りの二人とエイジ、聖女が固まる。

 リーダー格の男が慌てて俺に杖を向けた。

「き、貴様何をした!? 魔法発動の予備動作がなかったぞ!」

「後ろから近づいて、殴った。それだけだ」


 男が「ウィンド・カッター!」と叫ぶ。

 見えない風の刃が飛んでくるが、俺には「風が強く吹いた」程度の現象だ。髪が少し乱れるのを手で押さえながら、俺は距離を詰め――男の鳩尾みぞおちに、思い切り前蹴りを入れた。


「げふっ」


 男がくの字に折れ曲がり、泡を吹いて気絶する。

 単純な質量と運動エネルギー。痛覚遮断しゃだんスキルを持っていようが、内臓が揺れれば人間は動けなくなる。

 俺は残る最後の一人をにらんだ。

 そいつは完全にビビり上がり、「お、お前……バグ・プレイヤーか!?」と叫んで窓から逃げ出してしまった。


「……ふう」

 静かになった教室で、俺は六法全書の角についたほこりを払った。

「まったく、これだからファンタジー脳は視野が狭くて困る」


 腰を抜かしている聖女の前にしゃがみ込み、俺は尋ねた。

「で。お前どうする?」

「へ? あ、えと……」

「エイジ、こいつ持って帰るか?」

「いや無理だって。部屋狭いし、そもそも食費が」


 エイジがブンブンと首を振る。聖女の扱いが完全に「間違えて届いた通販の荷物」だ。

 そこへ、騒ぎを聞きつけた大集団が廊下から雪崩れ込んできた。


「エイジ様! ご無事ですか!」

「きゃーっ! 怪我はない!?」


 最上エイジ公式ファンクラブ『ヴァルキリーズ』の面々だ。情報収集能力と団結力においては、国家機関をも凌駕りょうがする恐ろしい女性たちである。

 俺は素早く判断した。


「部長さん。この聖女、エイジのストーカー対策としてボディガードにどうですか? 一応Sランクらしいんで、壁役にはなりますよ」

「あら! それは名案ね!」

「ちょ、待ってください! 私は聖女……うわ何するんですか! 連ナントカ先とかやめてぇぇぇ!」


 抵抗も虚しく、聖女セレスティアは猛女もうじょたちに担ぎ上げられ、部室棟へと連れ去られていった。まるでフリマアプリで即決落札された不用品のように。


「……朔夜さくや、お前ほんと、悪魔みたいな処理するよな」

「人聞きが悪い。適切な人材配置だ」

「あーあ、机壊されちゃったし、今日はもう帰るかぁ」


 エイジが肩をすくめ、俺たちは散らかった教室を後にした。

 また面倒ごとは去った。そう思っていた。


 大学からの帰り道。

 駐車場に向かって歩いている最中、不意にエイジが足を止めた。

 彼の視線が、虚空こくうの一点を凝視ぎょうししている。


「……ん?」

「どうした、エイジ」

「いや……おかしいな」

「何がだ?」


 エイジが指で空中のウィンドウを操作し、首を傾げる。普段の軽薄さが消え、勇者の顔になっていた。


「昨日、あの骸骨捨てた場所あっただろ? あそこに置いといた監視用の『マーカー』が、反応してないんだ」

「電池切れじゃないのか」

「違う。……『マップから地形ごと消失』してる」

「は?」

「それに、さっきの聖女。連れてかれる時、妙なことを言ってた。『深淵が目覚める』とか『半分が地上に上がった』とか……」


 ザリ、と足元の砂利が嫌な音を立てた気がした。

 空を見上げると、茜色あかねいろの夕焼けがどこかドス黒く濁っているように見える。俺にはシステムが見えない。だからこそ、肌を刺すような「物理的な」寒気が、かえってリアルに感じ取れた。


朔夜さくや。……今から少し、昨日の裏山に見に行ってもいいか?」

「……ラーメン、食いに行く約束だろ」

「悪い。おごるからさ、チャーシュー大盛りで」


 エイジが弱く笑う。その笑顔が、どことなく「最後」を覚悟しているように見えて、俺は無言で軽トラのキーを放り投げた。


「運転しろよ。俺は助手席で寝るからな」

「了解、相棒」


 俺たちが向かう先には、もはや燃えるゴミでは済まされない「ナニカ」が待ち受けている。

 エンジン音が、やけに遠く聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る