第2話 路地裏ラジカセ騒動
新しく家にやってきたラジカセは、山下家の“新入り”として、
それはもう大騒ぎで迎えられた。
場所は、家族全員でつつましく暮らす六畳の居間。
まだ新品のプラスチック特有の匂いがしている。
学校から帰るなり、陽介が居間へ飛び込んだ。
「お母さーん! ラジカセつけていい!?」
「手洗ってから!」
「……はい!」
手を洗う音がやけに急いでいて、澄江は思わず笑ってしまう。
そこへ、美咲が制服のまま階段を降りてきた。
「ねえ、私が先に使っていいでしょ。昨日は陽介ばっかりだったもん」
「えー!? 俺、まだ全然聞いてないのに!」
「“全然”って、昨日一時間も聞いてたじゃない!」
姉弟の声は、まるでコントの掛け合いのようだ。
澄江は深くため息をついて言った。
「順番。十五分ずつ。ケンカするなら両方使わせません!」
「「……はい」」
陽介の番が回ってきた。
彼が再生ボタンを押すと——
♪ギザギザハートの〜子守唄〜〜
チェッカーズだ。
陽介はすかさずエアギターを始める。
「お母さーん! フミヤかっこいいよな!!」
「はいはい、わかったから宿題もやりなさいよ」
続いて美咲の番。
カセットを自分の好きなやつに入れ替える。
♪赤いスイートピー〜〜
「あー、聖子ちゃんか……
なんか、姉ちゃんが歌うと急に乙女になるんだよなぁ」
「陽介、黙っときなさい」
美咲は照れくさそうにラジカセの前にしゃがむ。
夕方になると、家の窓を開けたままにしていたせいで、
ラジカセの音が路地裏にも漏れていった。
すると——
魚屋のおじさんが声をかけてきた。
「山下んち、いい音鳴らしてるじゃねぇか! チェッカーズだろ!?」
「おじさんも好きなの?」
「当たり前だろ、今の若いもんはあれ聞かねぇと始まんねぇよ」
陽介は嬉しそうに笑う。
豆腐屋のおばちゃんも買い物袋を揺らしながら言う。
「美咲ちゃん、聖子ちゃん好きなの? 似合うじゃない。声、きれいよ」
「え、あ、ありがとうございます……!」
美咲の耳まで真っ赤になった。
下町の路地裏は、音に対してあまりに正直だ。
家の出来事が、すぐ町の“外”へ広がっていく。
そこへ誠一が帰ってきた。
手を洗い、ビールを一口飲んでから居間に座ると、
「よし、今日は録音の仕方を教えてやろう」
子どもたちは一気に目を輝かせた。
「録音!? できんの!?」
「ラジオに合わせて録音ボタンを押すんだ。静かにしてないと途中で雑音が入るぞ」
「えっ、じゃあ咳払いとかしてもダメ?」
「お前らのケンカの声なんか入ったら台無しだぞ」
陽介と美咲は口をつぐむ。
ラジオから音楽が流れ始め、誠一はタイミングを見計らって
カチッと録音ボタンを押した。
家族全員が息をひそめる。
「……なんか、緊張するわね」
「お母さん、しゃべっちゃダメ!」
下町の小さな家で、音ひとつ立てない四人。
妙にコミカルだが、なぜかあたたかい。
ところが。
曲が盛り上がってきたところで、突然——
ガラガラガシャーン!!
外の路地からものすごい音が響く。
「ぎゃっ!? なんだ!?」
誠一が飛び上がり、録音は終了。
澄江が慌てて戸を開けると、
魚屋のおじさんが“発泡スチロールの箱”を道路いっぱいにぶちまけていた。
「すまねぇ! 手ぇ滑らしちまってよ!」
「おじさんー! 録音中だったのにー!!」
陽介が叫んだ。
「はは! 悪ぃな陽介! そんじゃまたやり直せばいいだろ!」
笑いながら箱を拾うおじさん。
路地裏は、いつもどおりの人情と騒がしさに包まれていた。
夜。
誠一が録音したカセットをもう一度再生した。
冒頭にはきれいに音楽が入っている。
しかし途中で——
♪これっきりこれっきり〜もう〜これっきりですか〜〜
ガシャーン!!!
「ぎゃっ!?」
という賑やかな音が混ざっていた。
「……まあ、これも下町らしくていいか」
誠一が苦笑すると、
「うん! 思い出だよ!」
「陽介、開き直りすぎ」
それでも四人は、笑いながらカセットを聞いた。
下町の音と家族の声が混ざった、
“世界でひとつの録音テープ”。
そのテープは、山下家の宝物になっていくのだった。
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