異世界警察 Navy Dogs

天灯星

第1話 異動

 異世界間における人および物品の往来を禁止する。

 それがこの次元世界における絶対のルールであった。

 だが、人が人である限り、それを犯す者は必ず現れる。

 犯罪は無くならない。だからこそ、世界は彼らをどこまでも追う者たちを用意した。

 〈Navy Dogs〉。

 これは世界の秩序を守るべく、日夜奔走する青き猟犬たちの物語である。

 

 

 異世界間における人および物品の往来を禁止する。

 それこそが世界という枠組みを超えて制定された初めてのルールでした。

 今日、私たちが暮らすこの次元世界において、無許可の異世界転移が犯罪であることは周知の事実です。

 しかし、ほんの一世紀ほど前にはこのような規制はありませんでした。

 そのため、人々は異世界で好き勝手に活動し、多くの問題を引き起こしてきました。

 富や資源の一方的な搾取。

 異なる思想や人種に対する弾圧。

 そして、それらを引き金とした戦乱。

 先のルールはそれらを解決するために制定され、次元世界に存在する大多数の世界がそれに合意しました。

 他の世界など存在しない。行くことも来ることもできはしない。古の世にかつて存在した共通認識へと我々は回帰したのです。

 こうして、次元世界は平和になりました。

 しかし、いくら世界に法が敷かれようとも、それを破る自分勝手な人間は必ず現れます。

 そこで、この次元世界を統治する次元統一機構は、法に背く者たちを取り締まる組織を設立しました。

 それこそが異世界警察。通称〈Navy Dogs〉。

 我々〈Navy Dogs〉は市民の皆様の安全を守るため、日夜業務に励んでいるのです!


 「素晴らしい記事だな。これも君が書いたのかね?」

 「はっ、そうであります!」

 異世界警察の支局オフィスの一室。刑務部所属の潮凪海里は、部長からお褒めの言葉をいただいていた。

 刑務部長が手元のデスクに広げているのは、広報用の資料だ。異世界警察の活動と実績を世に広めるためのパンフレット。その一部をカイリが手掛けたのだ。

 「君を推薦した甲斐があって私も安心したよ」

 部長が丸眼鏡の向こうで満足げな微笑みを浮かべているのに対して、カイリには何の表情も浮かんでいない。

 ただ、疲れたというのが正直なところだ。

 そもそも推薦したと部長は言っているが、正確には押し付けられたのだ。

 先にも書いた通りカイリは刑務部の所属。主な仕事は受刑者の監督であり、広報ではない。

 しかも、特別な仕事が増えたからといって通常の仕事が免除されるわけではない。そのためカイリはこの一か月間、食事の時間を削り、残業に残業を重ねて課題をこなす羽目になったのだ。許されるなら、今この場で横にでもなりたいくらいであった。

 「ご用件はそれだけでしょうか?」

 一刻も早く休みたかったカイリは、部長に自身が呼び出された理由を尋ねる。

 すると、それまでご満悦であった部長の表情が変わる。そして、部長は机に肘をつき、顔の前で手を組むと本題を切り出した。

 「確認したいのだが、君は捜査部への異動を希望していたね」

 「……はい、そうですが」

 捜査部?

 予想していなかった話題が出てきて、カイリは内心面食らっていた。 

 異世界警察は支局ごとに大きく三つの部門に分かれている。

 犯罪者の拘留や護送、収監所の運営を行う刑務部。

 人事、財務、厚生、訟務、広報など組織運営を行う総務部。

 そして、犯罪の捜査、被疑者の拿捕を担当する捜査部だ。

 捜査部はその中でも花形の部署であり、カイリが異動を切望していた部署でもあった。

 どうして、その話が出てくるんだろう。

 カイリは少しばかり考え、そしてすぐにピンときた。

 カイリが察したことに気がついたのだろう。ああそうだ、と部長は頷く。

 「とある支局の捜査部が人を寄こせと言ってきたのだ」

 その物言いにはやや棘が見られる。実際、部長は苦々し気な顔になっていた。

 「もちろん知っての通り、こちらも人材に余裕があるわけじゃない。しかし、相手は古い知り合いでね。不本意だが何度か助けられたこともある。だから、そう無碍にすることもできんのだ」

 だから、もし良ければ君が行ってくれるか。そういう話であった。

 「そ、そうなんですね!」

 思いがけない幸運に、カイリはその場で舞い上がりそうになるのを必死に堪える。

 カイリは異世界警察に就職して以来、ずっと努力を続けてきた。

 普段から職務に励み、身体を鍛え、色々な部署や人へ恩を売ってきた。先の広報の件もその一環。それらが少しでも異動につながればと思ってやってきた。

 だからこそ、どんな苦痛にも耐え抜いてこられた。

 そして今日この日、それがとうとう実を結んだのだ。

 であれば、答えなんて決まっている。

 カイリはこちらの返答を待つ部長へ向き直る。

 「願ってもありません! ぜひ行かせてください!!」

 こうして、カイリの転属が決まったのであった。ドンドンヒューパチパチ。

 喜びのオーラが全身から溢れまくっているカイリであったが、対照的に部長はどこか浮かない顔をしていた。

 その表情を見て、カイリの内に一抹不安が生まれる。

 まさか、嫌な仕事から抜けられて喜んでいると思われてる?!

 確かに、態度だけ見ればそう捉えられてもおかしくない。カイリは慌てて部長へ弁明する。

 「あ、いえ、別に職務に不満があったとかそういう訳ではなくてですね……」

 「ん? どうしたんだ急に?」

 部長は突然言い訳を始めたカイリを訝しがっていたが、すぐに自分が原因であることに思い至ったようだ。すまんね、と言って苦笑すると、部長は慎重に言葉を選ぶように話し始めた。

 「その配属先なのだがね。ちょっとばかり変わり者が多いようでな」

 部長の話によれば、その部署はその支局でも少し特殊な立ち位置にあるらしい。

 言葉を選ばないのであれば浮いているということだ。そのせいで新しい人材がなかなか確保できず、同じ支局ではなく別の支局へ話が回ってきたというわけだ。

 「率いている私の知り合いもかなり独特な人物だしな。もちろん、優秀なやつではあるし、功績も数えられないくらいある。素行が悪いと言うわけでもない。ただ、君のキャリアに傷がつく可能性もある。それを話さないまま君から承諾を得るのもどうかと思ってね」

 どうやら、自分のことを心配してくれていたらしい。自分ことしか見えていなかったカイリはちょっと反省する。

 部長とはあまり話したことはないし、仕事を減らすどころか増やす人だと思ってい けど、意外に良い人なんだな。

 カイリは少しだけ部長のことを見直すことにした。

 「お話ししていただきありがとうございます。ですが、少しくらい変であっても問題ありません!」

 「そ、そうか。なら良いのだが……。では、正式な辞令は後日となる。それで引継ぎ等についてだが――」

 部長はカイリの心が変わらないことにほっとすると、今後の段取りを説明し始めた。

 しかし、カイリは話を耳に入れつつも、すでに心は新しい転属先へ向かっていた。

 私を待っているのは、一体どんな職場なのだろう? いい人ばかりだといいなぁ。

 期待に胸を膨らませ、新たな職場に思いを馳せる。部長の言葉は少し引っかかったが、それよりも希望の部署へ配属される喜びが勝っていた。ちょっと変なくらいは大目に見ようではないか。

 それにカイリには、この絶好のチャンスをものにしなければならない理由があった。

 そうだ、私はあの日見つけた成りたい自分になるのだ。

 カイリは自身の原点を再確認する。

 かつて、異世界から来た犯罪者たちに誘拐されたカイリを助けに来てくれたあの人。その姿は、生きる熱意を失っていた彼女の心に火を灯してくれた。

 その人が異世界警察の捜査部に所属していたことを、カイリは後で知った。その瞬間、彼女に新しい生きる目的ができたのだ。

 私はあの背中に追いつくんだ。これはそのための第一歩だ。頑張らなきゃね!

 大切な思い出を胸に、カイリは気合を入れ直す。そして、部長の話に集中したのであった。

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