第2話

残り物には「爆弾」がある

 人材ギルドの待合室は、独特の熱気と体臭、そして安酒の臭いが充満していた。

 ここには、明日の金と名誉を夢見る若者たちがひしめき合っている。

 だが、その喧騒からぽつんと切り離された、エアポケットのような空間が部屋の隅にあった。

 そこには、誰も寄り付こうとしない。

 まるでそこだけ重力が歪んでいるかのような、異様なプレッシャーが漂っていたからだ。

 坂上は、受付で冷たくあしらわれた苦笑を口元に残したまま、その「特等席」へと歩み寄った。

 そこにいるのは、二人の先客だ。

 一人は、パーカーのフードを目深に被った男。

 年の頃は二〇代前半か。鍛え抜かれた肉体は、リラックスしているようでいて、いつでもバネのように弾けそうな危うさを秘めている。

 男はポケットから白い小さな立方体――角砂糖を取り出すと、それを口に放り込んだ。

 ガリッ、ボリボリ。

 租借音が響くたび、周囲の空気がピリつく。

 全身から立ち上るのは、不可視だが明確な「殺気」。

 近寄るだけで斬られそうなその雰囲気は、まさに手負いの野獣だった。

 そして、もう一人。

「うぅぅ……ネギオぉ……お腹と背中がくっつくよぉ……」

 テーブルに突っ伏し、今にも魂が抜け出そうなのが、銀髪のエルフの少女だった。

 絵画から抜け出してきたような美少女だが、その目は虚ろで、口元からは少しヨダレが垂れている。

 その傍らには、緑色の肌をした執事服の男――おそらく従者か何かが、直立不動で控えていた。

「お嬢様、ご安心ください。エルフは霞(かすみ)を食べて生きると言われています。あと三日は光合成で耐えられる計算です」

「うそつきぃ……お肉ぅ……パンケーキぃ……」

 狂犬と、行き倒れ。

 なるほど、誰も近寄らないわけだ。坂上は冷静に分析しながら、少し離れた椅子に腰を下ろそうとした。

 その時だった。

「へへッ、なんだぁ? 綺麗なねーちゃんじゃねぇか」

 空気を読まない――あるいは読めないほど酔っ払った下品な声が割り込んだ。

 革鎧を着崩した、いかにもガラの悪い冒険者崩れの男だ。

 男はニヤニヤしながら、突っ伏しているエルフの少女の肩に手を伸ばした。

「腹減ってんのか? ん? 俺のソーセージでも食うか? 金はねぇけど、世話してやりゃあ……」

「えっ!?」

 少女がガバッと顔を上げた。その瞳がキラキラと輝く。

「くれるの!? ソーセージくれるの!? 私、マスタードたっぷりがいい!」

「ぶふっ! ああ、たっぷりとくれてやるよ……へへへ」

 男の下卑た意味を全く理解せず、純粋に喜ぶ少女。

 控えていた緑色の執事の目元が、スッと細められた。殺意の波動が高まる。

 だが、それより速く反応した者がいた。

「――あ?」

 地獄の底から響くような低い声。

 角砂糖を噛んでいた男――龍魔呂(たつまろ)が、顔を上げた。

 フードの下から覗く三白眼が、獲物を狙う猛禽類のようにギラリと光る。

「おい、クズ。俺の角砂糖の味が濁るだろうが」

「あぁ!? なんだテメェ、やんのかコラ……ッ!?」

 男が言い返そうとした瞬間。

 龍魔呂の身体から、赤黒い陽炎のようなオーラが噴き出した。

 物理的な風圧すら伴うその闘気に、男の顔が引きつる。

「ひッ……!?」

「死にてぇのか? なら、今すぐミンチにしてやるよ」

 龍魔呂が立ち上がる。その指に嵌められた指輪が、不気味に赤く明滅した。

 もはや威嚇ではない。明確な殺害予告。

 ギルド内での私闘はご法度だが、この男にはそんなルールなど関係ないようだ。

 周囲の空気が凍りつく。

 だが、その場に平然と割って入る影があった。

「――よせ」

 坂上だった。

 彼はポケットに手を突っ込んだまま、龍魔呂とチンピラの間に立つ。

 龍魔呂の鋭い視線が、坂上に突き刺さる。

「……あ? テメェ、誰だ」

「通りすがりの求職者だ。場所を弁(わきま)えろ、若造」

 坂上の声は、決して大きくはなかった。

 だが、その声には数千人の乗員を預かり、極限状況で決断を下してきた指揮官特有の「重み」があった。

「血気盛んなのは結構だが、無益な暴力は剣を曇らせるぞ」

「……俺に説教か? 殺すぞ、オッサン」

「やってみろ。だがその前に、そこの嬢ちゃんを見てみろ。怯えているぞ」

 坂上が顎で指す。

 そこには、殺気立った空気に「ソーセージもらえないの……?」と涙目になっているエルフの少女がいた。(実際は怯えているのではなく、空腹で泣いているだけだが)。

 龍魔呂の眉がピクリと動いた。

 彼の内にある「弱者を守る」という本能と、「子供の泣き顔」へのトラウマが、彼の中の暴力を寸前で押し留める。

「……チッ」

 龍魔呂は大きく舌打ちをして、ドカッと椅子に座り直した。

 殺気が霧散する。

 腰を抜かしていたチンピラは、「ひ、ひいいいいッ!」と情けない悲鳴を上げて、出口へと逃げ去っていった。

 静寂が戻る。

 坂上は、やれやれと息を吐き、改めて二人に向き直った。

「さて……騒がしくしてすまなかったな」

「……ふん」

「あぅ……ソーセージ……」

 坂上は、値踏みするように二人を見つめた。

 常識知らずの天然エルフ。制御不能の狂犬。

 どちらも、組織という枠組みからはみ出した欠陥品(ジャンク)だ。

 だが、坂上の目には違って映っていた。

 あの闘気、そして底知れぬ魔力。

 磨き方を知らない原石。あるいは、安全装置の外れた兵器。

 使いこなせば、最強の矛になる。

(シルバー求人がないなら、自分で職場を作るまでだ)

 坂上はニヤリと笑い、二人に声をかけた。

「どうだ、ここであったのも何かの縁だ。俺と組まないか?」

 唐突な提案に、龍魔呂が不審げに睨みつけ、エルフの少女がキョトンとする。

「俺は坂上真一。見ての通りのオッサンだが、指揮と補給には自信がある。……まずは、そうだな」

 坂上は、エルフの少女を見て言った。

「契約金代わりに、メシくらいは奢るぞ」

 その言葉を聞いた瞬間、少女――ルナの表情が、満開の花のように輝いた。

「ご飯!? 食べる! 私、ルナ! すごい魔法使いだよ! 何でもするからご飯ちょうだい!」

「お嬢様、プライドを安売りしすぎです……が、背に腹は代えられませんね」

 ルナは即落ちだった。

 坂上は視線を龍魔呂に移す。

「お前はどうだ?」

「……ケッ。群れるのは趣味じゃねぇ」

 龍魔呂は角砂糖を放り投げ、口でパクリと受け止める。

「だが、さっきの『制止(とめ)』……悪くはなかった。暇つぶしくらいにはなるか」

 彼は不敵に笑い、坂上を睨み据えた。

「勘違いすんなよ? 俺に命令すんな。俺は俺のルールで動く。気に入らなきゃ、テメェでも斬るぞ」

「フッ、肝に銘じておこう」

 坂上は肩をすくめた。

 前途多難。だが、退屈な書類仕事よりは、幾分マシな老後になりそうだ。

「よし、商談成立だ。まずは腹ごしらえといくか」

 こうして、異世界最強にして最悪の凸凹部隊(パーティ)が、産声を上げたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る