第2話 夜戦 その2
堕天使の光が完全に消えたあと、路地には深い静寂だけが残った。信二は、まだ震える指で胸を押さえながら呟く。
「なんで、俺なんだ? 器って、何なんだよ……」
アイラは、少し呼吸を整えながら振り返った。頬には掠り傷。羽根も何枚か失われている。それでも、彼女の瞳は強かった。
「信二くん。説明しなきゃいけないことが……たくさんあるの」
そのとき──又しても空気が、一瞬で変わった。路地の先。 夜が沈むように暗くなる。いや、違う。これは──闇そのものだ。霧が逆巻き、地面から黒い紋章が浮かび上がる。アイラが即座に信二を抱き寄せる。
「来る……! 悪魔級(デーモン・クラス)!」
「え、さっきの堕天使より、強いのか……?」
「比べ物にならない……。堕天使は元天使だけど、悪魔は──神さえ救済を諦めた存在だから」
紋章から、ゆっくりと何かが立ち上がる。無数の目を持つ影。歪んだ腕。黒い煙のように揺らぐ脚。
もはや「生きもの」という概念から外れた災厄だった。
『カミノ器、カ……』
声が、頭蓋骨の内側に直接響く。
「ッ……っぐ……!?」
「信二くん、目を合わせちゃダメ!!」
信二の視界がぼやける。そして、暗くなる。アイラが抱き寄せたからだ。信二は立っていられないほど膝が震えた。悪魔は見るだけで人間の精神を侵す。
『器……神格(しんかく)ノ空白……神ノ欠片……カエセ……』
「……!!」
アイラが即座に光の盾を展開したが──悪魔の触手が軽く触れただけで、盾は粉々に砕け散った。
「うそ!? 《純白クラス》の防御が……」
アイラでさえ、明らかに格が違うと理解していた。
「アイラ、逃げろ! 俺を置いて──」
「置いていくわけない!」
アイラが信二を抱き寄せ、翼を広げようとした瞬間──空が裂けた。
「お前が、守りきれぬのは分かっていた」
静かに。 けれど圧倒的に、風景が塗り替わる。白い羽根が、夜空から雪のように降りてきた。
――能天使アラエル、降臨。
光の柱から現れたのは、長い金髪を編み込んだ女性の天使。表情は柔らかく、手には書板と羽ペンを持つ。
「能天使(アラエル)……!?」
アイラが驚きに瞳を広げる。
「よく頑張りました、アイラ。ここからは私が知識で封じましょう」
アラエルが書板にペンを走らせた瞬間──悪魔の動きが止まり、空間そのものが拘束されたように歪む。
──概念拘束。
能天使だけが扱える“言葉で世界を書き換える”力だった。
『アラエル……ジャマ、スル……ナ』
「ええ。でも、あなたが器に手を出すのは許さない」
「アラエル、その器って……!」
信二が叫ぶが、返事の前に。
風が、爆ぜた。
――力天使ザンザス、降り立つ。
落雷のような衝撃。 地面に大穴が空き、瓦礫が宙へ舞い上がる。その中心に、巨大な影が立っていた。白銀の鎧。 濃紺のマント。 そして──六枚の翼。
「遅いぞ、アラエル。悪魔が相手なら、俺を呼べ!」
屈強な男の天使が、握った大剣を担ぎながら笑う。
「力天使・ザンザス!!」
アイラが思わず声を漏らす。
「おう。小娘もよく守ったな。だがここからは、俺の仕事(いくさ)だ!」
ザンザスが悪魔に向き直り、剣を逆手に構える。
「悪魔よ。神が見放した? そんなのは言い訳だ。お前はただ、堕ちたまま立ち上がれなかっただけだ!」
『ク……ダラナ……イ』
「くだらなくて結構。だが人間に触るな。器は──」
ザンザスが一瞬だけ、信二を見る。
「――神格の核(コア)を宿す、唯一の人間だ」
「核?」
「信二くんが、狙われる理由……」
アラエルが静かに説明する。
「あなたの魂には、神の欠片が眠っているの。その白い空白は、まだ形を持っていない」
「形……?」
「意思、感情、選択──あなたがどんな神を望むか。その答え次第で、この世界の天秤が傾くの」
「世界……?」
信二は震えながら呟く。
俺の中に、そんな……?
「悪魔も天使も、どちらもその核を欲している。理由は一つ」
アラエルの瞳が、深い夜空のように静かに澄んでいた。
「あなたが完成させれば――新しい神が生まれるから」
「新しい神……!?」
信二の思考が止まる。 世界が揺らいだように感じた。その間にも、悪魔は拘束を破り始める。
『……器……渡……サ……ナイ……』
アラエルとザンザスが同時に構えた。
「信二くん、聞いて」
アイラが、そっと彼の手を握る。
「あなたはただ生まれただけで、巻き込まれたわけじゃない。選ばれたの。理由はまだ分からないけど……私は、あなたを信じてる」
その手は、温かかった。
「俺は……逃げない。アイラを置いていかない」
信二が息を吸い、正面を見据える。
「こいつを……みんなで倒すんだろ?」
アイラの顔が少し綻びた。
「うん。──行こう、信二くん」
その瞬間──ザンザスが大剣を構え、咆哮した。
「ここからが本番だァ!!天使三柱で悪魔一体、叩き伏せるぞ!!」
悪魔が闇を爆ぜさせ、空が歪む。世界が震え、光と闇がぶつかる第二の戦いが幕を開けた。
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