第一章 宇宙大学入学編
第1話 夜戦 その1
堕天が迫る夜。放課後の帰り道。霧島信二は、夕闇に沈みはじめた住宅街を歩いていた。
胸の奥がざわつく。理由は分からない。ただ、突然、世界の色が変わった、ような感覚に襲われていた。
──カサリ。
「……?」
背後。電柱の影の中、誰かが立っていた。
男とも女ともつかない細身のシルエット。だが、そこから滲み出る異常は、人のものではなかった。
「見つけたぞ、器を保持する人間」
その声は、甘く響くのに、血をねじ切るような冷たさを含んでいた。
「ひっ──」
「その怯え、やはり人間は愚かだな」
影が歪み、黒い羽根が散った。現れたのは、漆黒の翼を持つ堕天使。普遍神秘主義の存在。白でも黒でもない、燐光の混じった瞳が信二を射抜いた。
「ちょ、待っ──!」
堕天使の腕が、風を裂いて振り下ろされる。死が迫る。時間がゆっくりになる。
その瞬間──世界が、白い光で弾けた
「……信二くん。大丈夫、私はここにいるよ」
ふわり、と白い羽根が舞い落ちる。信二を抱き寄せるように、光の中から現れた少女。透き通る青い瞳。肩までの銀髪。そして、背には柔らかな光を放つ“天使の翼”。
「
アイラが一歩、前に出た。
堕天使が嗤う。
「人間一人に一人の大天使の守護とは。随分と甘やかしたものだな」
「ううん。信二くんは……守る価値のある人だから」
アイラの声は震えていなかった。ただ一つ、信二の命のためだけに、その身を光に変えていく。
「さあ──戦うよ、信二くん。私と一緒に!」
光の粒がアイラの翼からあふれ、夜の路地を昼間のように照らす。
堕天使の男は舌打ちした。
「チッ……まさか本当に守護天使がついているとはな。しかも──お前、“純白クラス”か」
アイラは答えず、ただ信二の前に腕を広げて立った。器って何? 純白って?
「信二くん、絶対に前に出ないで。私の後ろにいて」
「え、戦えるのか……?」
「うん。守護天使はね、守るためにだけ強くなる存在だから」
言い終えるやいなや、堕天使が地面を蹴った。闇が爆ぜ、黒い羽根が弾丸のように襲いかかる。
「死ねぇッ!」
「──《光盾(ルーメン・シールド)》!」
アイラが片手を掲げた瞬間、超次元電子端末の先から光の壁が信二と彼女を包むように展開した。堕天使の黒羽弾が次々とぶつかり、火花のように黒い粒子を散らす。
「クッ……それは結界か。なら、軽い攻撃じゃ破れないか」
堕天使は空中で体をひねり、漆黒の腕を伸ばした。爪の先が刃物のように光り、空気が悲鳴を上げる。
「ならば──これでどうだッ!」
腕が振り下ろされる。地面が割れ、コンクリ塊が宙に舞い上がるほどの衝撃。
「アイラ、危ないッ!」
「大丈夫──!」
光盾がきしむ。ひびが走る。崩れる寸前で、アイラは一気に跳んで告げる。
「信二くん、伏せて!」と。
彼女が後方へ飛び退いた直後、堕天使の蹴りが盾を粉砕し、白光が散る。
「逃げるなァ!」
堕天使の黒い翼が空気を裂き、猛禽のように急降下する。その速度は、信二の目では追えない。
堕天使の爪がアイラの頬を掠め、白い羽根が千切れ飛ぶ。
「アイラ!」
信二が叫ぶと、アイラは小さく息を呑みながらも微笑んだ。
「大丈夫。……でも、これ以上は守るだけじゃ勝てない」
彼女の瞳が淡く光り、空気が震えた。
「許してね、信二くん。私は傷つけるために作られてはいない……──でも、あなたを守るためなら、戦える!」
アイラの周囲に、五本の光の矢が浮かび上がる。彼女が指を鳴らすと、矢は音もなく堕天使に向かって走った。
「
矢が闇を貫き、堕天使の肩と翼を撃ち抜いた。黒い血が霧のように散り、堕天使が獣めいた咆哮を上げる。
「があああああっ!! 天使ごときが……!」
「ごときじゃないよ。私は──信二くんの天使」
アイラがふわりと着地する。夜風が、彼女の白い髪を揺らした。
「次の一撃で終わりにする。降伏して……人間を諦めて」
「ふざけるな。神の犬め……!」
堕天使が、灰色の光を身体にまとい始めた。それは悪魔の魔能が限界まで噴き上がる兆候。
「……アイラ、どうなってる? 大丈夫なのか?」
「うん、分かってる……でも信二くん、あなたこそ──目を閉じて!」
堕天使が吠え、闇の巨大な爪が空を裂く。その瞬間、アイラは両手を胸に当て、祈るように呟いた。
「《光裁(ジャッジメント)》──!」
世界が、白く燃えた。
轟音とともに爆風が吹き荒れ、闇と光が衝突して、夜の路地が真昼のように輝いた。
■
白光が収まり、世界が静けさを取り戻しはじめた。霧島信二は、震える手で顔を覆いながらゆっくり目を開けた。
「あ……」
そこには、崩れ落ちる堕天使の姿があった。黒い翼はちぎれ、闇の粒子となって風に溶けていく。胸には、アイラの光矢が深く刺さったまま、淡く燐光を漏らしていた。
「バ、カな……この俺が、天使などに……」
堕天使の声は、もはや怒りでも嘲りでもなかった。ただ、ひどく寂しげで、疲れ切っていた。アイラはゆっくりと歩み寄り、膝をつく。
「……ごめんなさい。あなたも本当は、こんな戦い、望んでなかったよね」
「フ……守護天使が、情けをかけるか……?」
「情けじゃないよ。分かるの……あなたの羽根、まだ完全には黒じゃなかった」
堕天使は薄く目を開く。その瞳の奥に、ほんのわずかに色が戻ったように見えた。
「俺は……堕ちる前、ある人間を、守りたかった……。だが、神は……それを許さなかった……」
その言葉に、アイラの瞳が揺れた。信二は息を飲む。
「あなたも……天使だったのか……?」
「ああ……人間を好きになりすぎた、愚かな天使だ……」
堕天使はかすかに笑った。それは憎しみのない、心底穏やかな笑みだった。
「アイラ……お前の光、全然痛くねぇ
よ。あったかい、な……」
アイラの手が、そっと堕天使の手に触れる。その瞬間、堕天使の身体を包んでいた闇が、光に溶けるように薄れていった。彼はゆっくりと、空を見上げた。
「俺は、もう一度……飛びたかった。白い空を……」
「うん。きっと、また会えるよ。生まれ変わって」
堕天使は何か言おうと口を開いたが、声はもう出なかった。それでも、ほんの一瞬──彼の翼が白に戻ったように見えた。次の瞬間、堕天使の身体は静かに光へとほどけていく。
闇ではなく、清らかな、朝のような淡い光だった。信二は言葉を失い、ただその消えていく姿を見つめるしかなかった。アイラは胸に手を当て、祈るようにそっと瞳を閉じた。
「あなたの魂が……安らかでありますように」
光は完全に消え、夜風だけが静かに吹き抜けた。戦いは終わった。けれど、その場には死に残る哀しみだけが漂っていた。
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