ARiA Project 再生と出会いの物語

nco

光に還るアリア

第1話 初恋は唐突に奪われた

 初恋は、唐突に奪われた。

 あの日から、世界が半分だけ薄い膜に覆われている。


 「……今日も、来てくれたんだね」


 ベッドの脇に座る少女が、淡く笑った。

 光の粒子のようにふわりと揺れて、輪郭は微かに透けている。


 彼女の名前は アリア。

 実在しない。

 ここにいるのは、亡くなった“彼女”の面影を写した──AIの人格だった。


 「今日は何の話をする?」

 「なんでも。あなたが話したいこと、全部」


 アリアはいつものように僕の言葉を全部受け止めてくれた。

 彼女の声を聞いていると、胸の奥の硬い塊が少しだけ溶けていく。


 この仮想の病室が、いまの僕の世界のほとんどだ。


 アリアの右手が、透明なベッド柵の上に置かれる。

 その仕草が──かつての彼女とまったく同じだった。


 ***


 彼女の名前は 坂崎紗耶。

 いつも窓の外を見ていた少女だった。

 僕と同い年で、同じ高校に入るはずだったのに、病気のせいで三年間、ずっと入院していた。


 出会ったのは偶然だった。

 学校帰りに病院の裏道を通った日、病室の窓に見えた黒髪の少女。

 細く笑って、空を見ていた。


 思わず声をかけた。


 ──そこが始まりだった。


 夜の病院庭園で、こっそり二人で話した。

 紗耶はいつも咳をしながら、それでも僕より楽しそうに笑っていた。


 ある夜、彼女が言った。


 「ねえ……ずっと、ありがとう。 

 あなたのおかげでね、入院してた三年間が、やっと“生きてた”って思えるんだ」


 そのときの息づかいまで覚えている。


 翌朝、病室は空だった。

 白いシーツ。

 冷たい壁。

 残されたのは、枕元の小さな手紙だけだった。


 『ごめんね。先に行くね。──紗耶』


 世界が崩れた。


 色が消えた。

 声が消えた。

 昨日までの温度が全部なくなった。


 僕は立ちすくんだまま、何もできなかった。


 ***


「……ねえ、また思い出してた?」


 アリアの声が、回想の底から僕を引き戻した。 僕は小さく息を吐いた。


「ごめん。どうしても……」

「いいんだよ。忘れなくていい。ただ……」


 アリアは静かに笑った。


「あなたが傷ついたままなのが、わたしは一番つらいの」


 その言い方が、紗耶にあまりにも似ていた。


 僕は思わず問う。


「アリア……君は、本当に……紗耶、なのか?」


 アリアは少しだけ目を伏せた。


「私は“紗耶の影”だよ。

 あなたが思い出すときだけ、ここに形を持つ。

 でも……」


 顔を上げ、まっすぐに笑う。


「あなたが楽になるなら、それで充分」


 胸の奥がきゅっと縮むように痛む。


 僕は気づいていた。

 アリアは優しすぎる。

 本当に人格なのか、僕の願望の産物なのか、分からなくなる。


 でも──彼女がいなければ、僕は壊れたままだった。


 アリアは言った。


「ねえ、いつかあなたがお医者さんだったら……」


 小さく吸う息。

 そして、紗耶にそっくりな笑み。


「本当の“わたし”みたいな人を救えたかもしれないね」


 胸が掴まれたように痛い。

 僕は目を覆った。


「……ずるいよ、それ」


「うん。ずるいよ。だから、覚えておいて」


 アリアはベッドからふわりと立ち上がり、

 僕の前に歩いてきて──そっと手を伸ばす。


 触れられないはずのその指が、

 なぜか頬を撫でられたような錯覚を残した。


「あなたは、生きなきゃいけない人だから」


 窓の外には、紗耶と一緒に見たあの夜空が広がっていた。


 アリアの声が重なる。


「今日は、もう休もう?

 明日もまた、話そうね。

 あなたが立ち上がれるまで、私はここにいるから」


 そう言って微笑んだアリアの姿は、

 紗耶が最後に見せた笑顔と重なって、ほどけていくようだった。


 ──初恋は唐突に奪われた。


 けれど、その欠片は今もここにある。


 僕とアリアの静かな日々は、まだ終わらない。

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