4.
「だーかーらー、知らねえっつーの!」
正志が何回目かの声を上げた。
「知ってる知らないって問題じゃないでしょ、なんか考えてって言ってんの」
放課後の、音楽室。奥に三つ並んだ、「個人練習室」の一つである。
普段はパート練習に使うことが多い、カーペット敷きの小さな部屋だ。美月はピアノの椅子に横坐りになり、正志はその傍であぐらをかいている。
「なんかって……なんだよ」
ぶつぶつとこぼす正志に、美月は追い討ちをかける。
「あんたさー、明宏くんの友達でしょ? 心配じゃないわけ? 不毛な妄想のおかげであくびばっかして授業にも身が入らない友達のために、何かしてやろうっていう男気はないわけ?」
「ナイ」
一言のもとに否定する正志を、美月は傲岸に見下ろした。
「まあいいんだけどさ。あたしだってあんたにそんなもん期待してたわけじゃないし。でもね、友達大事にしないやつはモテないよ?」
「それマ……いや、馬鹿馬鹿しい。じゃあさ、明宏のためになにかしたらそれで可愛い彼女ができるってわけ?、そんなわけが」
「できるよ」
「へ?」
「わけあって誰かは言えないけどさ、一年の子で、体育祭であんたが明宏くんにドリンク手渡したの見てさ、ああいうのいいな、男の友情って感じですよね、って言ってた子がいて」
「そんなことしたっけ」
「さあ? したんでしょ。それで、友達大事にする人っていいですよねって。まだ好きだってわけじゃなさそうだけど、あれ以来しょっちゅうあんたのこと気にしてるみたいよ?」
「マジで?」
「マジでマジで。ここで明宏くんのために苦悩して努力して明宏くんを助ける姿なんか見せたら、もうあの視線にハートマークが混じってくること間違いなし」
「マジっすか!」
正志は興奮して立ち上がる。
「よーしわかった! この僕に任せなさい! 庭根高校の走らないメロスと言われた僕がひと肌脱ごうじゃないか! ダテに妄想続けてきてないからね! 妄想の扱いならオーソリティー、いやマエストロと呼んでくれても構わないよ!」
「それ、人に言わない方がいいわよ」
「なんのなんの! この体験が大事な親友のためになるのなら、僕自身はどんな目で見られても構わないさ! おおセリヌンティウスよ、首を洗って待っていろ!」
「ちょっと意味がわからないけど……」
美月は苦笑する。
「まあいいわ。なんでもいいからがんばってみてちょうだい。あと、早希にできることないかも考えといてよね」
「まかせなさい!……ていうか」
ふと真顔になり、正志は美月にまっすぐ向き合う。
「身近に早希ちゃんみたいな可愛い子がいたら、それが一番の特効薬だと思うけどねえ。夢だか妄想だかの理想の女の子より、見て話して触れる現実の女の子の方がいいに決まってるじゃん」
「まあ、あたしもそう思わない訳じゃないんだけどさ」
美月はため息をつく。
「早希にもう少し自信と度胸があればねえ」
庭根駅。
地方のこんな駅でもツリーやイルミネーションの飾りがあちこちに施され、どこからかクリスマスソングが聞こえてくる。
それらに目も暮れずホームへの階段を降りた明宏は、またあくびを噛み殺しながら、すでに停車していた札幌方面行きの電車に乗り込んだ。
外気温との差に身体の強張りがとれ、顔に火照りが感じられる。
席は空いていないようだ。明宏は早々に諦めて、デッキの壁に寄りかかる。まもなくホームに音楽が流れ、ドアが閉まった。ぼんやりとそれを眺める明宏。
と。その目が大きく見開かれた。
あと二人ほどいた客の間を縫うようにしてドアに近寄り、音を立てんばかりの勢いで窓に手を当てる。
いた。見つけた。
夢に見た、あの子だ。
窓の外、ホームに。
白い帽子と白いコート、赤いマフラーに包まれて、曇りガラスの向こうの顔が、はっきりと認識できたわけではない。ましてや夢の記憶はそれに輪をかけて曖昧だ。普通に考えれば、特定なんかできるわけがない。
だが、明宏には確信があった。
あれはあの子だ。
だって……あの目。
何かが欠けている、そしてその欠けたものを切望している、そんな独特の光。どうしようもなく明宏を引きつけ、眠りの実感を失わせ、明宏を同じ希求でみたす、忘れられない瞳。
ここだよ!
明宏は叫びたかった。
今すぐ、少女に駆け寄りたかった。
ここだよ! 僕はここだよ!
確信があった。彼女が求めているのは自分だと。
そして、何よりも、自分自身が彼女を求めていた。
初めて、気がついていた。自分が浅い眠りにとどまり、授業にも身が入らず日常の現実感すら失いつつあったのは、彼女に会えなかったからだと。
少女の目に、光が灯った。気がついたのだ。明宏に。
会えた! やっと会えた!
その瞳に、歓喜の光が宿る。夢の中で、一度も見たことのない光だ。
行きたい。今すぐ駆け寄って抱きしめたい。
そんな想いは叶うはずもなく、無情に電車は動き始める。
明宏と彼女の視線は絡まり、繋がり、伸びていって、やがて途切れた。
明宏の脳裏に、彼女の映像が、今や明確なものとして浮かび上がる。
その瞳が、語りかける。
早く。
早く、会いにきて。
あっ。
早希が、向かいのホームに停車していた電車の中に明宏の姿を見つけたのは、偶然だった。
明宏が反対方向の電車に乗ることは知っていたが、いつもはこんなにぴったりタイミングが合うことはない。あとをつけたり、そこまでじゃなくてもバスを合わせるようにしたりすると、本当に歯止めが効かなくなりそうで、早希は敢えて駅までのバスに乗るタイミングをずらすようにしていた。だから、電車に乗るタイミングも、多分、違っていたはずだと思う。
今日は、駅前で少しだけ買い物をしたせいだろうか、たまたま、電車に乗る明宏を見ることになってしまった。
心臓の鼓動が跳ね上がり、体が熱くなる。
遠くのガラス越しに見る姿までが、こんなにも愛おしいなんて。
本当に、あたしはどうかしている。
そう思いながら、横顔から目を逸らすことができない。
見つめる視線の先で、不意にその体が動いた。早希の方に背を向け、反対側の窓へ。
何かを、いや、誰かを見つけたのだろうか。人の間にかすかに見える後頭部を、早希は見つめ続ける。漠然とした不安を覚えながら。
ふりむいて、くれないかな。
届くはずのない願い。やがて、電車が発車した。早希は明宏の姿が見えなくなった後も、乗っていた車両の行方を目で追い、追いきれなくなった時、白い蒸気とともに深いため息を吐き出した。真正面に視線を戻す。
そこに見たものが、早希の胸をざわつかせた。
白い帽子、白いコートに、赤いマフラーの女の子。
泣いているのだろうか、伏せられたその顔は、よく見えない。
だが、その位置は……さっきまで、明宏が乗っていた車両の……つまりは明宏の、真正面ではないか。
明宏くん……この子を、見てたの?
どうして?
偶然だ、幾度そう思おうとしても、できなかった。
「お待たせ……って、ええっ!?」
出たばかりの電車の音が消え、電光掲示板が切り替わるタイミングに合わせたようにホームに現れた中田洋司は、少女が泣いていることに気づいて、あたふたと声をあげた。
よれたベージュのトレンチコートに包まれた体は短身、小太り。コート越しではあっても、すらりとした長身の少女との違いが目立つ。童顔だが中年らしさが漂うのは、ぺったりとなでつけた髪のせいか。
「ちょ、どうしたの!? お腹でも痛い? 変なやつにぶつかられたりした? それとも……」
少女は激しく首を振り、 しゃくりあげる間を縫うように言葉を絞り出した。
「……いたの」
「痛い? どこが?」
「違うの……いたの……あの人が……」
「あの人? あの人って……ええっ、マジで!? どこに?」
無言で電車の去った方角を指さす彼女を見て、洋司は舌打ちする。
「さっきの電車か。ごめん、俺がトイレにいったりしないで乗ってれば……」
再び、少女はかぶりを振る。
「嬉しいの……やっと、見つけた」
「うん、そうか。とはいっても、このままじゃせっかく見つけたのも無駄に……とりあえず、事務所に戻ろう。草加さんにも相談したいし」
こくり、と少女は頷いた。
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