鶴の一声-転-2
私は友人に頼み込み、宮森グループの主要ないくつかの会社の登記簿(の写し)を、なんとか手に入れてもらった。友人自体は会社になんの関係もないので苦労を掛けてしまい、申し訳なく思う。
そして、その記録を見て最初に気づいたのは柿本だった。
「やっぱりね…」
「何が?」
「二年前の春から。手に入れてもらった書類のすべて、利治さんの名前がない。」
「え?どういうこと?」
「代表取締役が別の人間になってる。北海道の事業全部だ。」
「じゃあ二年前のその時から利治さんはもう事業にはかかわってないってこと?」
「そうだな。最低限名義上は、会社と関係のない人になっている。
そしてもう一つ変だ。」
「まだ何か?」
「変更後の名義。「宮森 治(みやもり おさむ)」
「親戚か兄弟か?でも確かこの前聞いた時は奥さんも亡くなってそれ以外に親戚も兄弟もいないって聞いたな…」
「仮にいたとしても、お前自分の子供兄弟に一文字減らした名前なんか付けるか?似たような名前とか一文字違いとかなら一般的だけど、減らすだけってそこまで一般的じゃないと思うぞ。」
「まぁ普通は比較にならないような名前になるのかも…」
「そうなると一つの可能性が出てくる。」
「可能性?」
「利治さんは既に亡くなっている可能性がある。」
「それは大げさじゃないか?」
「二年間音信不通、同タイミングで会社役員を一斉に辞職。似た名前の人間の就任。まあ三つ目はさほど問題じゃないけど、音信不通と一斉辞職は重なるなんて考えにくい」
「経営者を変えてそのフォローに忙しかったとか?」
「それにしたって今まで連絡を取っていた家族に二年間前触れなく連絡しなくなるか?日本の風習的にはクリスマスとか夏休みとか正月とか何かにつけて家族の関わりを作るイベントがいくつかある。それを急にすべてないがしろにするのも不自然じゃないか?」
「それは確かに…」
「何か近くにいた人間。もしくはその宮森 治が怪しすぎるな。」
なんだか急に話は予想もしない方向に走り始めた。
「利治さんは既に亡くなっている可能性がある、か…」
電話を切った後、私はその仮説の重みに眩暈がしそうだった。柿本の推理はいつも突拍子もないようで、不思議と核心を突く。もしそれが本当なら、今、友人の家で「老人らしく」テレビを見ているあの人物は、一体誰なんだ。利治さん本人ではない何かが、明やその家族と一つ屋根の下で暮らしている?背筋に冷たいものが走った。
明に、どう伝えればいい?
「お前の爺ちゃん、偽物かも」
そんな荒唐無稽な話を、彼は信じるだろうか。いや、信じたくないはずだ。家族の不仲に心を痛めている彼に、さらなる追い討ちをかけることになる。
しかし、もし柿本の言う通りなら、明たち家族は今、とんでもない危険に晒されている。偽物が家にいる目的は、十中八九、あの莫大な遺産だ。
私は覚悟を決め、震える手で、再び友人の明に電話をかけた。もう、オブラートに包んでいる場合じゃない。
今度は、核心的な質問をぶつけるしかなかった。
「なぁ、明。今さらで悪いんだけどさ…お前の爺ちゃん、本当に『本人』か?」
「……は?何言ってんだよ、お前。いきなり。ボケたのか?」
「いや、真面目に聞いてる。お前自身、言っただろ。二年前から様子がおかしいって。記憶が曖昧で、体調が悪い。それ、本当に『加齢』だけか?何か、こう…決定的な違和感はないか?昔と違う癖が出たりとか、利き手が逆だったりとか、昔話が決定的に噛み合わなかったりとか…」
電話の向こうで、明は明らかに動揺している間を置いた。
「……そういや」
疑問を確信に変えたくないのだろう。明はゆっくり話し始めた。
「爺ちゃん、昔は絶対ブラックコーヒーしか飲まなかったんだ。それも、豆から挽いたやつ。インスタントなんてもってのほかで、母さんが一度出したら『こんな泥水が飲めるか』って、本気で怒鳴ったくらい…」
「……」
「でも、最近帰ってきてから、やたらと甘い缶コーヒーばっかり飲んでて…母さんが不思議がって『お義父さん、味覚変わりました?』って聞いたら、『歳をとるとこうなるんだ』って、穏やかに笑ってたけど…今思えば、あの爺ちゃんが…」
「それだ。他には?」
「あと、昔はもっと…厳格な人だった。とにかく厳しかった。俺が子供の頃、ほんの5歳か6歳の時だ。家の中で走っただけで、庭に正座させられて『宮森家の人間は、家の中で静かにできんのか!』って、凄い剣幕で怒鳴られた記憶がある。怖くて泣き叫んでも、1時間許してくれなかった。…でも、今の爺ちゃんは、叔母さんの娘の美穂がどれだけ騒いでも、ただニコニコ見てるだけなんだ。なんだか…人が良すぎるっていうか、まるで他人の家の子供を見てるみたいに…」
明の声が、徐々に不安に震え始めるのが分かった。彼自身、気づかないふりをしていた「違和感」のパズルが、私の言葉によって強制的に組み上がり始めているのだ。
「明、落ち着いて聞け。柿本さんの推理だと…二年前、利治さんが海外出張に行ったきり…帰ってきてない可能性がある」
「じゃあ、家にいるアレは…」
「『宮森 治』。登記簿にあった名前だ。北海道の事業を、二年前から全て引き継いでる。明、この名前に聞き覚えは?」
「……いや、全くない。親戚で『おさむ』なんて名前、聞いたことない。一度も」
「そうか。じゃあ、利治さんには兄弟とか…」
「いないはずだ。爺ちゃんは一代で財産築いた人で、貧しい家の生まれで天涯孤独だったって、昔、父さんが言ってるのを聞いたことがある」
天涯孤独。それにしては、北海道の事業基盤と、「宮森 治」という謎の人物の存在が不気味すぎる。私は電話を切った足で、柿本に調査結果を報告した。
「なるほどな。天涯孤独の身内なし、か。ますます胡散臭い」
柿本はいつもの気だるい声で、しかしその奥に確信を秘めて言った。
「『宮森 治』。この名前が偽名じゃなかった場合、利治さんが意図的に隠してた人間ってことになる。例えば…利治さんがまだ無名だった頃に、北海道で事業手引きした人とか…隠し子とか…」
「双子…?」
「
その仮説に当てはめると、全ての辻褄が合い始める。
二年前、利治が海外で死亡した。その第一報は、家族ではなく、ビジネスパートナーとして裏で繋がっていた「治」の元にだけ届いた。
そして「治」は、長年の恨みか、あるいは純粋な欲か…「利治」になりすまし、すべてを奪う計画を立てた。利治の家族すらも、資産の一部として手に入れるために。
「でも、なんで遺書が二つもあるんだ?偽物なら、もっとうまくやるだろ。自分に都合のいい遺書を一つだけ作ればいい」
「そこが、そいつの誤算であり、欲の深さだな」
柿本はあきれたような、わかったような吐き捨てた。
「家に乗り込んできた偽物(治)にとって、家族は全員『敵』だ。遺産の分け前を狙うハイエナにしか見えてない。無職の息子・重次も、権利を主張する妹・彩花も。」
偽物は、家族の不仲を知っていた。だから、あえて二つの矛盾した遺書を提示し、家族を争わせているんだ。
一つは、無能な重次に渡すという建前。これなら自分が後見人として実権を握り続けられる。
もう一つは、陽子に渡すという内容。
「待て。陽子さんに渡す理由がない。無関係の嫁じゃないか」
「いや、ある」と柿本が遮った。
「決定的にピンポイントの人物に得をさせる理由があるとすれば
陽子さんだけが、偽物の正体に薄々気づいてるんだ」
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