2-8:「LOOK AT ME」

 ブリーフィングが終わったのを確認して、

ipadのケースを畳む。

画面が暗くなったから、はい、と受け取る手にそれを渡して、

シートベルトを外した。

車から出て、周りを見渡す。


人が多い。


学生、下校途中の子ども、買い物中の中高年、サラリーマン。

昼下がりの都会の喧騒。

数時間前までいた雪国とは何もかもが

違っていた。

人の声、人の匂い、人の温度、

カラス、ハト、雀、街路脇の草花。

こんなにも“生きている音”が大きかっただろうか。


瞬きをして、少し乾燥した空気が瞳に当たる。

ざわざわとしていて、都会(此処)って暖かかったのか、と特殊警備官・刃渡霈は来ていたジャケットを一枚脱ぎ、車内へと放り込んだ。



 閉めようとした窓から、くしゃくしゃに丸められた上着を放り込まれ、槃田は、はいはいはいはい、と半ばヤケクソになる。先程から、いや出会った時から、この同僚の女性職員──、刃渡はなんでもかんでも雑に渡してくるところがある。

俺はお前のお母ちゃんやあらへんで、と思いながらも、上着をたたみ直し、後部座席の左側、積み上げられた土産物の隣に置いてしまうのは、管理官としての職務か、世話焼きの性か─。

若干前者の気もするが、いいや管理官の仕事…と気を引き締めて自分もシートベルトを外した。


青森出張から戻った刃渡を東京駅で拾い、ブリーフィングを車内で済ませて、そのまま担当地区のパトロールに同行する、というのが組まれたスケジュールだった。

自分が京都から東京に異動してきてから、今日まで刃渡はずっと青森に出張中で、オンライン上を除いて、顔を合わせるのは初めてだった。

実際に対面で会ってみての印象は、無愛想、美人、変わり者の美人、といったところで、オンライン上で受けたイメージとそう変わりはない。

東京駅での待ち合わせで目の前が見えないほどの土産物を抱えて現れた時は驚いたが、それを押し付け車に乗り込み、さっさとipadを開く様子などは、やはり、変わり者だった。

あと美人。


「刃渡さん、そうしたらどないしましょうか。何処からって、あれ??」

そういってデバイスでデジタルマップを開く槃田を、刃渡は完全に無視してツカツカと歩き出す。

すれ違う人々を横目に、歩き方、呼吸、瞳孔の色、犬歯の形、異様な発汗がないか、温度等、気になるところがないかを見ていく。大抵のヴェノムは貧血者のように青白くフラフラしていたり、逆に飢餓感により興奮状態にあったり、通常ではない違和感のようなものがあるのだが──。

今のところそういった人物は見受けられない。


冬の午後、日暮前とは言え陽射しが強い。

暑くはないが、煌々とオレンジ色に燃える太陽は眩しすぎる。

街頭に備え付けられた時計のフレームの銀がギラッと反射して目を刺すように光った。

「…」

エメラルド色の瞳の奥がツン、として豊かなまつ毛で覆われた瞼を瞬かせる。

クルースニクの色素の薄い虹彩は光に敏感で、刺激を受けやすい。

クルースニクにしては珍しく、視力が良く、だからこそ戦闘はしやすいのだが、こういった日常で不便さを感じることもなくはない。

(青森(あっち)はもう少し、彩度が低かったような、)

どうだったか、数時間前まで居た地のこともぼんやりとしていた。


熱い、いや、眩しい。

嫌だな、と太陽に背を向けようとした時、

ふ、と人影が視界の前のあたりにおりて、僅かに顔を上げる。



「刃渡さん、単独行動は堪忍してや〜。俺まだこのへん慣れてへんのやから。」

も〜、突然居なくなるから驚いた〜、とヘラヘラとした笑顔を浮かべる男、ハンダという同僚。

オンライン会議で話した時から、何だか胡散臭い人、と思っていた。

なんだか捉えどころのない、ふらふら、へらへらと軟派な感じがして、あと何でそんなに髪が長いのかが気になっていた。

まあ、髪の長さは個人の自由なのだが。

戦闘の際、髪を引っ張られ、自由を塞がれたら不利になるだろうに。

まあ、管理官は基本的に戦闘には関わらず、指示出しだけだ。

それに、彼らが戦闘に巻き込まれないように護衛するのも

自分達、特別警備官の役目だ。


駅で会った時は、思ったより背が高くて、へえ、と思ったが、日除けとしても使えたのか。

程よい影の中、そんなことを考えながら槃田の話を聞き流し、街ゆく人々の観察へと目を戻す。

大通りを横から見て、気づく、路地裏。

大通りから垂直にいくつもの細い横道に分かれていて、その要所要所、奥などに、薄暗い路地裏があった。

大通りより路地裏の方が彼らにとっては居心地がいいはずだ。

光あるところに影あり、とはよく言ったものだ。


そうか、路地裏か。

たしか目撃情報も路地裏付近が多かった。

そう思って人混みを横切ろうと足を踏み出す。

そうだ路地裏、なんとなく嫌な気配もする気がする。

血に飢えたヴェノムの巣窟か、まずは目で見て確認。

確認してから斬る、斬る、斬る─────、そして。


「ちょお待って。」


想像の最中、足早に移動しようとした刃渡の動きが止まる。

いや、止められる。

腕を掴まれたからだ。

思考と、それに伴う行動を阻害されて固い声が出る。

「何。」

「いや、せやから、どう回るか教えてもらえます?って。

行動把握、できんと困るやろ。俺も、君も。」

パラ、と黒い髪が落ちるのを目で追う。



「……、路地裏。路地裏をあたる。

きっと影のほうがヴェノムも過ごしやすい。

喫茶店やゲームセンターの近くなら、声をかけても怪しくないから、その辺りから周る。…これでいい?」

淡々と、最低限の言葉で返した答えに満足したのか、

槃田はにっこりと笑みを浮かべて「了解」と言った。

胡散臭い。

パッと腕を離される。

そもそも掴んだ手に力は殆ど籠っていなかったようで、

揺すれば、簡単に解けたのだ。


「そやったら〜、ここ!とかどないです。」

液晶に映された細かい地図がつい、と拡大される。

ゲームセンターやファミレス、コンビニや娯楽施設の隙間を縫うような、細い細い路地裏。

日が落ちて、暗がりが一層昏さを深める場所。

下校中の学生や、若い人々が集まりやすい場所(太い血管)から伸びる毛細血管のようなところ。

まさにヴェノムの大好物だろう。


「わかった。」

槃田の提案を受け入れ、

足早に目的地周辺へと向かう。


「ナビは君がして。」

そういうと、黒曜石のような黒い瞳を細め

「はいはい、まかせといてや」と新しい相棒は微笑むのだった。

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