新釈 ヘンゼルとグレーテル
美崎あらた
新釈 ヘンゼルとグレーテル
とある大きな森の入り口に、木こりの一家が住んでいた。木こりとその妻、息子と娘の四人家族である。息子の名はヘンゼル、娘の名はグレーテルといった。彼らは貧しく、日々のパンすら手に入らなかった。
「ああ、わしらはどうなるんだろう? どうやって子どもたちを養っていけばいいんだろう?」
夜中、木こりは妻に話しかけた。
「ねぇ、お前さん。こうしたらどうだろう?」
妻は木こりに言った。
「明日朝早く、子供たちを森の奥深くへ連れて行きましょう。火をおこしてやって、二人にパンを一つずつあてがって、おいてけぼりにする。あの子たちは帰り道がわからないから、それでやっかいばらいできるってわけ」
「そんなこと、わしにできるわけがない。あまりに残酷じゃないか! きっと子どもらは森の獣たちに八つ裂きにされちまう!」
木こりは反論した。しかし心の中では、それが現実的な解決方法なのだと、薄々わかっていた。
「お前さんも馬鹿だねえ、そんなことではわたしたち四人とも飢え死にしなけりゃならんよ」
彼女は、子どもらのことが好きではなかった。ヘンゼルの方はどうにも頭の回転がはやいようで、何を考えているのかわからないところがあった。彼女にはそれが不気味でならなかった。いつか自分が見下されるのではないか、と恐れすらした。
一方グレーテルの方にその心配はなかった。頭のいい兄とは逆に、妹は何も考えていないようだった。考えていても、その考えがすぐ顔に出るのでわかりやすかった。母親にとって気に入らなかったのは、その可愛らしさである。これから老いていくしかない母親は、娘の未来ある美しさに嫉妬していた。
さて、子どもたち二人も、空腹のあまり寝つくことができず、両親の話が耳に入ってしまった。グレーテルは涙をこぼし、「もうおしまいだわ」と情けない声を出す。
「静かに! グレーテル。心配ないさ、僕がどうにかしてみせるよ」
利口なヘンゼルは優しく言った。彼は両親が寝静まるのを待って、こっそり家を出た。月の美しい夜だった。森の奥から狼の遠吠えが聞こえ、ヘンゼルは思わず身震いする。しかし気を取り直して身をかがめる。そこには、月光に照らされ、まるで銀貨のように輝く白い小砂利が敷き詰められている。彼はそれをつかめるだけつかみ、自分のポケットへつめこんだ。そしてやはりこっそり家へ戻る。
夜が明けるとすぐ、母親が子供たちを叩き起こした。
「さぁ起きろ! 怠け者だねぇお前たちは。森へ薪を取りに行くよ」
母は子どもらにそれぞれ一つずつパンを与えた。ヘンゼルのポケットは小石でいっぱいだったので、彼の分もグレーテルが前かけの下にしまった。
それから家族四人で森へ出発した。ほどほど歩いたところで、ヘンゼルは立ち止まり、後ろを振り返る。そして例の白い小砂利をひとつずつ道へ落とす。両親に見つからないよう注意をして、それを繰り返した。
森の真ん中まで来ると、木こりは子どもたちのために火をおこした。
「さぁ、あんたたちはこの火のそばで休んでおいで。わたしらは一仕事してくるよ。お仕事がすんだら迎えに来るからね」
母親はそう言って、子どもたちはうなずいた。
もちろん彼らには母親の言葉が嘘だとわかっていたが、ここではだまされたふりをした。
両親が森の奥へ姿を消してから、ヘンゼルとグレーテルは火のそばで小さなパンをそれぞれ食べた。それは少し、しょっぱい味がした。
夜が更けても、やはり両親は迎えに来なかった。
「どうやってお家に帰りましょう?」
グレーテルは情けない声を出した。それをヘンゼルがなだめる。
「もう少し待つんだ。月明かりが、帰り道を教えてくれるよ」
昨晩と同じような美しい月が空に昇り、ヘンゼルが配置した白い小石を照らした。彼らはそれをたどって家へ帰った。
「あんたたち、どこへ行っていたんだい。まったく困った子たちだねぇ」
母親は、あたかも子どもたちが勝手にいなくなったのだという風に演技をした。その場にいる誰もがそれを演技だと知りながら、黙っていた。
再び家の食糧がつきた。母親は、今度こそ子どもたちを始末しなければならないと考えた。木こりも渋々ではあるが納得した。
利口なヘンゼルは両親の計画に聞き耳を立てていた。しかし今回ばかりは邪悪な母親の方が一枚上手だった。彼女は息子が小賢しい細工をできないよう、戸に錠をおろしておいたのである。
「どうしましょうお兄ちゃん、わたしたち、今度こそもうおしまいだわ」
「大丈夫だよ、グレーテル。僕がまた連れ帰ってあげるからね」
それでも兄は、涙にくれる妹を優しくその胸に抱いた。
次の朝早く、母親は二人を起こした。二人は今回も一つずつパンをもらったが、それはお情けのようなもので、前回のパンよりもさらに小さかった。森を歩く道すがら、ヘンゼルは自分のパンをちぎってはひとつずつ地面へ落としていった。
四人は森の奥深く、子どもたちが今まで一度も足を踏み入れたことがないほど奥深くまでやってきた。ついにヘンゼルはパンを残らず道へ落としてしまった。木こりとその妻は、またいつかのように火をおこし、子どもらに言う。
「お前たちはここで休んでいなさい。今日はずいぶん歩いたから疲れたろう? わたしらは仕事をするけど、終わったら迎えに来るからね」
今回もやはり、二人はそれが嘘であることをわかっていたが、うなずくことしかできなかった。
両親が去り、正午になると、グレーテルは自分のパンをヘンゼルと分けた。わずかでも空腹がやわらぎ、火の温かさが疲れた体にしみてくると、二人は眠気にさそわれた。明るいうちにパンくずの示す道をたどったほうが良いとわかっていた。わかってはいたが、どうしても疲労に勝てなかった。二人は肩を寄せ合い、ぐっすり眠りこんでしまった。
子どもたちが目を覚ました時には、もう日が暮れてしまっていた。もちろん両親は影も形もなかった。
「大丈夫。また月が出れば、僕のまいたパンくずが見えるようになるはずさ」
ヘンゼルはそう言って、不安がるグレーテルをなだめた。
あの日のように綺麗な月が出て、二人は早速歩き始めた。しかしパンくずは一つも見つからない。きっと森にすむ鳥たちが残らずついばんでしまったのだろうと、ヘンゼルは推理した。
グレーテルは決して兄を責めたりはしなかった。それどころか、これだけ絶望的な状況にあって、涙を流すこともしなかった。幼かった彼女も、親に二度も裏切られるという経験をして、少し大人になった。いつまでも兄に頼ってばかりではダメなのだ、と。
二人は記憶を頼りに、夜通し歩き続けた。夜の森は昼の森とまるで違った。木々の影が怪物のように見え、それが彼らを追いかけてくるように思われた。風に枝葉がゆれ、ざわざわと不気味な音を立てる。さらに木の根が彼らの足をすくい、茂みが兄妹をひっかく。二人は恐怖に追いかけられるようにして、ひたすらに歩いた。立ち止まれば何かに捕まるような気がした。
日が昇ってからもう一日、また朝から晩まで歩きとおしたが、森から出られるどころではなかった。森には食べ物がなかったのである。道具を何も持たない兄妹二人の力では、獣を狩ることなど到底できない。むしろこちらが狩られないように避けるのが精いっぱい。植物で食べられそうなものと言えば、自然に生えている名もわからぬ野イチゴのようなものが三つ四つ程度だった。
森の景色は一向に変わる気配が無かった。もしかすると同じところをぐるぐると廻っているだけなのかもしれない。いいかげん力尽きた二人は、大きな木の下へごろりと寝転がって、動かなくなった。二人が家を出てから三日目のことだった。
◆
朝になって、また二人は歩き始めた。昨日までとはまるで違って、脚が軽かった。二人は神秘的な森の奥へ歩いて行った。森の様子も、昨日までとは何かが違う気がした。
正午じぶんのことだった。雪のように白い綺麗な小鳥が一羽、目の前の木にとまっているのが、二人の視界に入った。それが普通の鳥でないことはすぐにわかった。周囲の景色から浮き上がるほどの美しさである。そしてそのさえずりは天使の歌のようであった。耳から入って二人の体の中に響き渡り、これまでの苦悩と苦痛を癒してくれるようだった。その天の使いは、一通り歌い終えると、二人を導くように飛び立った。その純白の軌跡をたどっていくと、やがて小さな家が現れた。二人がそばまで行ってみると、その家が、なんと驚いたことに、お菓子でできていることが分かった。屋根はクッキー、窓は白砂糖でできていた。
「もう我慢できない。ごちそうになるとしよう。僕は屋根を食べる。グレーテル、お前は窓を食べなよ。きっととびきり甘いと思うよ」
いつもは冷静なはずのヘンゼルが興奮気味に言い、そのまま背伸びをして屋根にかじりついた。グレーテルも窓ガラスをぼりぼりとかじり始めた。甘く優しい味が、二人の古い記憶を呼び覚ます。二人が今よりもっと幼く、四人家族がまだ食べ物に困っていなかった時の記憶だ。あの頃は幸せだった。家族の間には愛があふれていた。母親もあんなに意地悪ではなかった。そんな幸福な記憶が、走馬灯のようによみがえった。
すると突然物音がして、お菓子の家の戸が勢いよく開き、中から相当年を取った老婆が、杖を頼りに這うようにして出てきた。
「おお、いい子だ。そんなに怖がらなくてもいいよ。さぁ中へお入り」
老婆は驚くばかりの兄妹の手を引いて、家へ招きいれた。食卓の上には考えられる限りのごちそうが並んでいた。食事がすむと、二人は清潔なベッドで眠りについた。老婆の表情は終始優しく、あの頃の――まだ優しかった頃の母親の面影が重なって見えた。
ところがあくる日、優しそうだったおばあさんは豹変した。目を赤く輝かせ、邪悪な表情でまだ眠っている子どもらの顔をのぞく。その様子はまさに魔女だった。子どもらを森へ誘い、喰らってしまうというあの邪悪な魔女だった。
彼女は魔法の力でヘンゼルをひっつかみ、小さな家畜小屋へ閉じ込めた。それから今度は、か弱いグレーテルを叩き起こした。
「さぁ起きろ! 怠け者だねぇお前は。水を汲んできて、あんたの兄ちゃんにうまいもんを食わせてやりな。脂がのって食べごろになったら、あたしが食べちまうのさ!」
魔女は残忍に笑う。グレーテルは、彼女の声と口調があの母親と瓜二つであったのに仰天し、そして恐怖した。おとなしく従うしかなかった。少しでも抵抗するようなまねをすると、老女が魔法の杖で打った。その一打は魔法で強化されているのか、触れただけで激しい痛みが走った。
そのときから、ヘンゼルにはとびきり上等の食べ物が用意された。一方のグレーテルはザリガニの皮しか食べさせてもらえなかった。毎朝、魔女はヘンゼルを閉じ込めた小屋まで行って、「ヘンゼル、指を出してみな。脂がのってきたかどうかみてやるよ」と声をかける。しかし馬鹿正直に従うヘンゼルではない。彼は食事の中にあった鶏肉の骨を代わりに差し出した。老婆は目が悪いものだから、それをヘンゼルの指だと思い込み、なかなか太らないことを不審に思った。そしてヘンゼルが何か小賢しい細工をしているのだろうと思い当たり、余計に機嫌を悪くした。
ある日、いよいよ魔女は辛抱できなくなり、ヘンゼルを喰ってしまうことにした。
「おいグレーテル、さっさと水を汲んできな。あんたが兄さんを煮る水を汲んでくるんだよ!」
それはあまりに残酷な仕打ちだった。小さな妹は嘆き悲しみ神に祈った。
「兄さんを調理する手伝いをさせられるくらいなら、森の中で獣たちに食われてしまった方がよかった。そうすれば、二人いっしょに死ねたのに」
「うるさいよ! 黙って働きな!」
グレーテルは杖で叩かれ、無理やり働かされた。水の入った大鍋をつるし、火を焚きつけた。
「そうだ、パン焼きを先にしよう。人間の肉はそのままで喰うのもいいが、スライスしてパンにはさんで食うのもまたいいんだ」
老婆はそう言い、グレーテルを、炎がちろちろと舌を出すパン釜の前に突き飛ばした。
「その中へ入って、火の様子を見な!」
魔女のたくらみは見え透いていた。グレーテルが中に入ったらかまどを閉めて丸焼きにしてしまうつもりなのだ。
「あたし、どうしていいかわからないわ。お婆さんが先に入って見本を見せて頂戴」
と、グレーテルはできるだけ間抜けな声を作って言った。両親に二度も嘘をつかれ、裏切られ、少し大人になったグレーテルは、他人に嘘をつくことを覚えていた。
「あんたは本当に馬鹿だねェ。かまどの口はこんなに大きいんだよ。ほら!」
婆さんはヘンゼルが切れ者であることは理解していたが、グレーテルが他人を欺くことができるとは夢にも思っていなかった。そのため油断が出てしまった。パン釜の中に頭を突っ込んで見せたのである。
グレーテルは躊躇しなかった。何かと決別するように、思い切りよく魔女の背中を突いて、炎の燃え盛るかまどの中に押し込んだ。それからすぐに鉄の戸を閉め、かんぬきを差し込んだ。魔女は焼かれ、森の空気を震撼させるような悲鳴を上げた。
グレーテルは小屋にかけつけ、ヘンゼルを開放した。二人は感極まって抱き合った。それから少し落ち着くと、魔女の家へ入った。もう家主のいなくなった家である。怖いものなどない。二人は家の中にある真珠や宝石の類を持てるだけ持った。金品を盗むことに、二人は何の罪悪感も抱いていなかった。邪悪な魔女を殺したことの、当然の報酬であると思っていた。とにかく彼らはお金が欲しかった。優しかったはずの母親が子を憎むようになったのも、こんなにつらく惨めな思いをすることになったのも、全ては貧困と空腹が悪いのだ。そんな風に思っていた。
「さぁ行こう。魔女の森から抜け出すんだ」
二、三時間歩くと、二人は大きな川に直面した。来るときにはなかったはずの川である。
「これは渡れないや。橋も見えない」
ヘンゼルはつぶやく。
「大丈夫。あそこに白いカモさんがいるわ。彼らに頼んでみましょう」
グレーテルが言う。
「カモちゃん、カモちゃん、 ここにいるのは、ヘンゼルとグレーテル。
橋が無いので、渡れません。 乗せて、乗せて、お前の白いお背中へ」
グレーテルは歌うように呼びかけた。純白のカモたちは思った通りに寄ってきた。二人は何かを予感したが、引き返すことはしなかった。いや、もう引き返せないことはわかっていた。二人を背に乗せて、カモたちは川を渡った。
向こう岸には、見覚えのある森があった。家の近くだ。もうすぐ森の出口。二人は走り出した。家の戸を開けると、父親に抱きついた。木こりは腰を抜かして驚いた。意地悪な母親の姿はどこにもなかった。どうやら死んでしまったらしかった。
ヘンゼルとグレーテルは、父親の前に、魔女の家からくすねてきた金銀財宝を取り出した。これだけあればしばらく食べ物に困ることはないぞ、と木こりは思った。
こうして、苦労という苦労はすっかりなくなり、貧しさも空腹も、母親の憎しみも消え去った幸せな世界で、二人は幸せに暮らしましたとさ……
◆
幸福な眠りから、その兄妹が目を覚ますことはなかった。
深い深い森の奥、手をつないで寄り添う二人に、木漏れ日がさす。
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