終末旅館へようこそ!

濾過

第1話 ひだまり旅館 その1

「もう私しか、人間なんていないんだから!」


 爽やかな朝、ひだまり旅館の食堂に、おそらくこの世界で最後の人間である少女の声が響き渡った。



───



「んんー!」


 玄関前の掃除を終え、トキコは大きく伸びをした。夏が徐々に近づいてくるのが感じられる朝、過ごしやすい気候に気分が良くなる。空を見上げ、目を細める。薄く雲がかかっているが、雨の心配はない。心なしか、空が青さを増したように感じた。世界の何処かにあるという、天候制御装置に感謝した。


 昔々、人間の生活は天候に振り回されていたらしい。大雨が降って洪水が起きたり、反対に晴れの日ばかりが続いて水不足になったり、屋根が吹っ飛ぶほどの風が吹くこともあったと、トキコはテトロアから教わった。そんな大変な時代に生まれなくてよかったなあ、トキコがそう呟くと、それでもその時代はみんなが協力しようとしていただけマシだったと、テトロアは言った。


 昨日、計算されたかのように適度に雨が降ったおかげで、畑の水やりは必要なさそうだった。やることは終わったし、少し早いけど朝食にしてしまおう。トキコは急ぎ足で食堂に向かう。今日は特別な日なのだ。いつもみたいに受付を手伝う必要もないし、勉強もしなくいい。だって、今日はみんなのお出かけに、トキコが初めてついて行く日だから。どんな冒険が待っているのか、わくわくして顔がニヤけてくる。普段は書くことがなさすぎて、畑の枝豆観察記録と化している日記だって、すぐに終わらせられるだろう。絶対に、素晴らしい一日になる。


 だって、今日は私の14歳の誕生日だから。



───────────────────────



「え?テトロアさん行かないの?なんで?一緒に行こうよ!」


 朝食の席で、トキコは抗議の声をあげた。ここは食堂、食事のときはみんなで集まるのがルールだ。食事といっても、食べるのはトキコだけで、他のみんなは話し相手になるだけだが。さらに、今日は出かける準備があるので、今はトキコを含めて四人しかいない。


「私まで行ってしまったら、ここに誰もいなくなってしまうでしょう。それでは困ります。」


 トキコの向かいに立っているテトロアが言う。立っているというのは正確ではなく、実際は床から数センチ浮いている。テトロアは、トキコたちが住む『ひだまり旅館』を仕切っている、いわば女将だ。腰より上は人間に近いと言えるが、足はなく、下半身は三角フラスコのような形状をしている。多くのパーツが白色で、全体的に丸みを帯びたフォルムが優しげな印象を与えている。


 そう、トキコ以外はみんな、ロボットだ。


「あたしたちも、たまにはいいじゃんって言ったんだけどねェ。テトロアちゃんったら、頑固なんだから。」


 トキコの横でそう言ったのはラディナ。オネエ口調のロボットで、体は大きく2メートル近くある。全体的にごつごつしており、隣にいるトキコがずいぶん小さく見える。ただ、足がある分テトロアよりも人間に近かった。昔は、狂ってしまい見境をなくした戦闘用ロボットからみんなを守る用心棒的ポジションにいたようだが、トキコは今までに一度もそのような場面に出くわしたことはない。そのため、今では力作業要員兼トキコの相談相手をしている。


「もちまるだってみんな一緒がいいよねー?」


「なー!」


 トキコの呼びかけに応えたのはもちまる。言葉を発することができないばかりか、電気信号によるロボット間の通信手段も持ち合わせていない。何のために開発されたのか誰もわからない謎多きロボットである。特に呼び名もなかったが、トキコがもちまると命名した。本人にも名前の認識はあるようで、ちゃんと返事をする。形状はその名の通りもちもちして丸く、トキコの両手に収まるほどの大きさしかない。今は、三人の周りをふよふよと漂っている。


「せっかくのお出かけなんだよ!みんなで一緒に行こうよー!」


「だめです。旅館に誰もいなくなったらお客さんが来たときに困るでしょう。」


「お客さんなんて来ないって!だって……」


 こうなったテトロアはどうあっても動かない。それはトキコにもわかっている。本当に旅館を大切にしていることも知っている。しかし、トキコがひだまり旅館に来てから13年間、お客は一人も来ていない。だって……


「もう私しか、人間なんていないんだから!」


 爽やかな朝、ひだまり旅館の食堂に、おそらくこの世界で最後の人間である少女の声が響き渡った。

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