第8話 鳩

ビシャッ。


 何かが、顔に飛んだ。温い液体が頬を伝い、鼻先に、鉄の臭いがひっかかる。


 僕は目を拭い、痛む上体を起こす。


 目の前に─男がいた。片手を、失っていた。


「なにぃ!」


 金髪の男は、切り落とされた自分の手を見つめ、理解が追いつかないような顔で後ずさる。


「誰だぁ!」


 怒号。男の視線の先、そこに“もうひとり”がいた。いつの間にか、僕と男の間に立っている。


「こんにちは〜」


 声は軽やかで、奇妙に間延びしていた。刀を腰に下げ、黒いロングコートを羽織った鳩の面の男。


 金髪の男は、鳩男の面を見て驚いた顔をしていた。


「『トリカゴ』の人間がなんでこんなところにいるんだ!」


 金髪の男が叫ぶ。


───トリカゴ……? なんだそれ…?


「いやぁ~。仕事でねぇ。池上正直さん?」


 その声音には、芝居のような緩さがあった。


「くッ…!ターゲットは、俺ってことかよぉ!」


 金髪の男が咆哮し、爆ぜるように踏み込む。空気が弾けた。爆風のような突進。


「え〜向かってくるの〜。」


「死ねぁやァァァ!」


ゴォォン!


 爆発。世界が茶色い煙で満たされ、耳が音を忘れた。何も見えない。


 その中で、ひとすじの光が閃いた。


 刀だ。


 刃の根元は紫。中腹が緑。そして、先端が漆黒。奇抜な色の刀だった。


 やがて、煙が薄れた。


 そこに立っていたのは、鳩の面の男。その足元には──首のない身体。


 そして、床には転がる頭。


「もぉ〜、コート焦げちゃったじゃん〜。」


 彼は、布をパタパタと叩く。


「で。」


 気づけば、鳩男の顔が僕の目の前にあった。


 仮面の奥の瞳孔が、こちらを覗き込んでいるような錯覚。


「君。何者?なんで、あいつに襲われてたの?」


 声は穏やかだったが、圧は凶器そのものだった。僕は喉を詰まらせながら言った。


「し…知りま……せん。」


 面の瞳が僕をじっと睨んでいた。数秒の沈黙。


 その後、鳩の嘴の奥から、柔らかな声が漏れた。


「あ~!君、昨日スズメちゃんの胸揉んだ子じゃん〜。」


「えッ?」

 

 あまりの言葉に、頭が真っ白になった。鳩男は楽しそうに笑った。


「顔、ボコボコすぎて分からなかったよ〜。」


───この男は、あのスズメの面の娘の知り合いなのか…?


「君の事、ベンチまで運んだの僕なんだよ〜?」


「そ、そうなんですか…。」


「君さぁ、重すぎ〜!もうちょっと、体重落とそうよ〜。」


「す…すみません。」


 自分でも思っているが他人に言われると傷つく…。


「で、君さぁ~」


 声が再び、鋭くなる。


「なんで、昨日あんな場所いたの?」


「そ…それは…」


 そこから、僕は、鳩男に昨日あったことをありのまま喋った。


 壊れたキーボードを買いに行ったこと。メガネの男が人を殺したところを見たこと。捕まり、スズメの面の少女に助けられたこと、すべて話した。


「なるほどねぇ〜。それは、災難だったねぇ〜。」

 

 鳩男が笑う。


「昨日、君を襲ったメガネの男、六田一希。吉田組って暴力団の人間。君が彼の“仕事”を見ちゃったから、口封じだろうね〜。」


 僕の背中が冷たくなる。


「ぼ…僕は、ど……どうすれば」


「うーん、まあ、彼は君を殺させるために部下を向かわせたんだろうけど、その部下、僕が殺しちゃったしね〜。六田は、カンカンになっちゃうだろうねぇ〜。」


 僕は、掠れるような声で鳩男に言う。


「た……助けて……ください。」


 鳩男は、陽気に言った。


「え! 無理!」


 彼は背を向け、歩き出した。僕は地を這うようにして立ち上がり、叫ぶ。


「ま、待ってください!」


 鳩男が振り返る。その仕草が、ひどく怠そうだった。


 僕は土下座する。顔をアスファルトに押しつけ、叫ぶ。


「い、行くところがないんです! な、何でもするんで、助けてください! お願いします!」


「ん? 今“何でもする”って言った?」


「はい!」


 鳩男は少しだけ考え、軽く手を叩いた。


「よし。」


 その声は、僕の背後から聞こえた。気づいたときには、彼の腕が僕の喉を締めていた。


 冷たく、硬い。まるで鋼鉄でできた蛇のようだった。


「ごめんね〜。ちょっとだけ、気を失ってもらうよ〜。」


 締め付ける力が強まる。視界がにじみ、闇が広がっていく。


 そして、また──僕は意識を失った。

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