第9話 第二の名

光が爆ぜ、

 意識は深い闇へと投げ落とされた。


 落下という感覚はない。

 ただ、魂が“剥き出し”になったまま、

 何か巨大な渦に呑まれていく。


(どこだ……ここは……?)


 視界は真っ黒。

 だが、黒の奥に“何かがいる”。


 気配ではない。

 温度でもない。

 もっと本質的な、魂の震え。


 その震えが、

 俺を呼んでいる。


――来い。


(……っ!)


 声ではない。

 直接、魂そのものに刻み込まれる“命令”。


(誰だ……誰が呼んでいる……)


 闇の中に、赤く光る点が生まれた。


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 それらは瞳のように俺を見つめ、

 ゆっくりと“輪郭”を形成する。


 銀色の髪。

 赤い瞳。

 影位の男と似ているが、まるで違う。


(いや……これは……)


 人の姿ではない。

 人間を模しているだけの、

 “巨大な何か”だ。


 身長や体格の概念がない。

 闇そのものが形を成したような存在。


 その“何か”が俺に向かって手を伸ばす。


――思い出せ。


 魂が激しく揺れる。


(思い出す……何を……?)


――お前の本当の名前だ。


 その言葉を聞いた瞬間、

 胸の奥が熱を帯びる。


 焦げつくような痛み。

 魂が軋む感覚。


(うっ……ぐ……!)


 意識の奥底から、

 古い記憶の欠片が浮かび上がる。


 焦土。

 崩れる大地。

 星が砕ける音。

 叫び声。

 祈り。

 炎。


 その中心――


 “自分ではない自分”が立っていた。


 銀髪。

 赤い瞳。

 その瞳は人間のものではない。


――第二の名。


(やめろ……!)


――名を思い出せ。


(これは……俺じゃない……!)


――いや、お前だ。

 かつて《外層》で呼ばれた名を……!


 巨大な存在が手を伸ばし――

 俺の魂へ触れた。


「――っッッ!!」


 激痛。


 宇宙が崩壊するような痛み。


 視界が白く染まり、

 魂が引き裂かれ――


――《■■■■》


(今……何て……)


 聞こえた。

 だが聞き取れない。

 記憶の奥で何かが封じられている。


 名前は“音にならない”。


――《■■■■》が、お前の……


「やめろ!」


 俺は叫んだ。


「それ以上言うな!!」


 巨大な存在がわずかに動きを止める。


 だが次の瞬間、

 再び俺の魂に触れようと手を伸ばした。


「――離れろッ!」


 その時、鋭い光が闇を裂いた。


 ダンジョンマスターだ。


「そこまでだ。

 “根”を刺激するにはまだ早い」


 光の剣のようなものを振り、

 巨大な存在と俺の間を断ち切る。


――干渉をやめろ。外層の守護者よ。


 巨大なものが静かに言う。


――この魂は、いずれ名を思い出す。

 私が手を下すまでもない。


 そう言い残し、

 闇そのものへ溶けるように消えた。


 残ったのは俺とマスターだけ。


 魂が震え、息が荒れる。


「っ……は……はぁ……」


「よく耐えたな」


 マスターがゆっくりと近づく。


「今のは……なんだ……

 あれは……俺の……」


「お前の“魂の源流の影”だ」


(源流の影……?)


 マスターが説明する。


「魂には表層・深層・影位・根層があると言ったな。

 そのさらに奥――

 “源流層”と呼ばれる最古の層がある」


「最古……」


「魂が最初に生まれた場所。

 輪廻より前の、もっと古い世界の記憶だ」


 俺は息を呑む。


(じゃあ……あれは……

 俺の魂が最初に属していた世界の……)


「お前の“元の姿”だ」


(……元……の……?

 俺の……?)


 胸の奥が凍りつく。


「だが安心しろ」

 マスターが言う。


「完全に思い出す必要はない。

 おそらく――思い出すべきではない」


「……なぜだ?」


「源流の影は、人間が理解できるものではない。

 思い出した瞬間、お前という存在が崩壊する」


(存在が……崩れる……?)


 その時――胸の奥で、

 再び“何か”が脈動した。


(……これは)


「外層意志が、お前を呼んでいる。

 急ぐ必要はない。

 少しずつ……魂の層を深めていけばいい」


 マスターは手をかざす。


 闇がほどけ、

 魂根層の景色が薄れていく。


「だが一つだけ覚えておけ」


 マスターの瞳が赤く光る。


「――《第二の名》は、破壊の名だ」


(破壊……?)


「それが何を意味するか。

 いつか自分の魂で理解する日が来る」


 光が満ち――


 俺は最深層の現実へ戻された。

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