第5話 影の名を持つ者

 魂の回廊が、震えていた。


 無数の光の粒がざわめき、

 古い記憶の残滓が波紋のように揺れる。


 その中心に立つ“影”。


 銀髪。

 赤い瞳。

 十五歳ほどの外見だが、そこから発される圧は

 俺とは次元が違っていた。


(……似ている。だが、これは“俺”じゃない)


 影は表情を持たず、

 ただ淡く口角を上げる。


「ようやく来たか。

 “異界値保持者”」


 声は少年のものだが、

 響きは老成した神にも似ていた。


「お前は……誰だ?」


 影は首を傾げる。

 まるで、俺の問い自体が奇妙だと言わんばかりに。


「誰、か……」


 影の足元に光が集まり、

 人影の輪郭が徐々に明確になる。


「では、こう名乗るべきか」


 影は胸に手を当てた。


「――“影位(えいくらい)”の継承者」


(影位……? 聞いたことない言葉だ)


 ダンジョンの声が横から補足するように響いた。


『影位――魂階位のひとつ。

 “根源界の影”として存在する魂の形象。

 本来、現界には干渉しないはずの存在だ』


「魂階位……?」


 言葉の意味が、少しだけ理解できた。


(つまりこいつは……俺の魂の“別側面”……?)


 影が静かに言った。


「そう。

 お前の魂は壊れ、再構築された。

 その過程で“異界値”が露出した。

 だが――」


 影の瞳が赤く光る。


「“魂の影”も露出してしまった」


 魂の影――

 それは、影自身が“本来は表に出ない魂の構造”であることを示していた。


「……質問に答えろ。

 お前は俺なのか?」


「似ているが違う。

 だが、別人とも言い切れない」


(なんだその答え)


 影は淡々と続ける。


「魂は本来、階位と層を持つ。

 表層、深層、影位、源流。

 お前は“表層”として世界に生まれた。

 俺は“影位”。

 同じ根を持ちながら、別に存在した」


「魂が……そんな構造をしてるなんて、誰が知るか」


「この世界の住人は知らない。

 召喚者の多くも知らない。

 だが――」


 影は指を立てた。


「召喚制度の“根幹”は知っている」


(……召喚制度を知っている?)


 影の赤い瞳が細くなる。


「お前が落とされた理由を教えてやろう」


 その言葉には、

 信じがたいほどの重さがあった。


1.処分理由


「お前は“余剰魂”と判断された。

 だが、その基準は“魂の大きさ”だけではない」


「……他にも理由があるってことか」


「そうだ」


 影の声が回廊を震わせた。


「お前の魂の“深層”に異界値があった。

 その値を世界側は危険視した。

 理由は二つある」


 影が一歩近づく。


「一つ。

 魂が大きすぎ、世界の器に収まりきらなかった。」


(……器……?)


「世界に存在できる魂の大きさには限度がある。

 魂が大きければ大きいほど、

 世界はそれを“異物”として排除しようとする」


(だから俺は捨てられた……?)


「その通りだ。

 そして二つ目」


 影の声が深く低くなる。


「二つ。

 お前の魂には“別の世界の残響”が刻まれていた。」


「残響……?」


「それは“世界を渡った魂”だけが持つ痕跡だ。

 この世界では、本来ありえないもの」


 つまり――


(俺の魂は……生まれ変わった“転生者”のようなもの……?)


 影は首を振る。


「転生ではない。

 もっと深い。

 お前の魂は“古い世界の残骸”を持っている」


(古い世界……)


「そして召喚制度は、それを検知した。

 危険と判断し、捨てた」


(……なるほどな)


 怒りよりも、冷静さが勝った。


(合理的だ。

 だが、その合理性こそクソだ)


 影は俺の表情を読み取るかのように言う。


「怒るべきだ。

 お前は正当に扱われなかった」


「怒ってるさ。

 文字通り“生贄以下”の扱いだったからな」


 影が満足げに頷く。


「良い怒りだ」


(なんだそりゃ)


2.影位の役割


「……で、お前は俺に何を求める」


 影は薄く微笑んだ。


「求めるというより――“導く”。

 お前は今後、世界の意志そのものと対峙する。

 その時に必要な“魂の技術”を教える」


「魂の……技術?」


「そうだ。

 魂を大きく保ち、

 異界値の暴走を抑え、

 世界の干渉を弾く技術だ。」


(世界の干渉……)


 つまり

 “召喚制度そのものとの戦い方”

 ということか。


「そんなものがあるのか」


「ああ。

 だが、お前はそれをすぐには理解できない。

 だから――」


 影は胸に手を当てた。


「まずは、“受容”だ」


「受容?」


「お前が“異物”であることを受け入れろ。

 自分をこの世界の規格に当てはめようとするな。

 魂の違和感を拒絶すれば、お前は壊れる」


(魂が……拒絶に耐えられなくなる……?)


「逆に、異物として振る舞えば、

 魂は安定し始める。

 世界の干渉も弱まる」


 影は淡々と続けた。


「それが“異界値保持者”の最初の心得だ」


(……自分が“異物”であることを受け入れる……)


 地球での人生を思い返す。

 疎外感、孤立感、社会の外へ押し出された感覚。


(今さら拒絶する理由もないな……)


「やるよ。

 俺はこの世界に好かれようとは最初から思ってない」


 影の瞳が揺れる。


「――良い」


 影の輪郭がほどけ、

 光と影の粒子になって消え始めた。


「待て、お前はどこへ――」


「次の階で会う。

 そこで“本名”を名乗ろう」


 消えゆく声が最後に告げる。


「最深層へ進め。

 真のダンジョンマスターが、お前を待っている」


 魂の回廊が歪み、

 光が渦を巻く。


 その中心に――

 “扉”が現れた。


(次の階……ダンジョンマスター……)


 胸の奥で、

 何かがざわりと震える。


(ここからが本番ってことか)


 俺は扉へ手を伸ばし、

 静かに押し開いた。

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