第4話 魂の主導者の呼び声
祭壇の奥へ続く通路は、
これまでの道とはまったく違う静けさを纏っていた。
空気が――軽い。
だが、その軽さが逆に不気味だ。
(ここだけ“生き物の匂い”がしない……)
それは、死でも腐敗でもない。
生命が最初から存在しない空気。
まるで宇宙の真空に近い。
精神が削られていくような、研ぎ澄まされた静寂。
(あの番人とは別格ってことか)
足音一つすら吸い込むように消える。
通路の先には青白い霧が漂い、
視界が徐々に曖昧になる。
(……まずいな、これ)
脳が揺れている。
雑音はないが、“考えが表面に浮かばない”。
思考の深度が勝手に浅くなる。
◇
『進め。恐れる必要はない』
◇
あの声だ。
ダンジョンの意志。
「また勝手に喋りやがって……。
何を求めている?」
◇
『汝は“選ばれた存在”だ。
それを理解させる準備をしている』
◇
「選ばれた……? 俺が?」
◇
『そう。汝の魂は既に“異界値”を持つ。
一度壊れ、再構築された魂だけが持つ特性』
◇
(また“壊れた”か……)
六十年の人生が、
ここへ来てようやく“価値”とされているらしい。
(皮肉だな。地球の人生は無駄じゃなかったってか)
通路の終端。
薄い膜のようなものが張られ、
そこには淡い光の“扉”が揺れていた。
(……これをくぐれってことか)
息を吸い、足を踏み入れた瞬間――
世界が、反転した。
1.魂の回廊
足元が消えた。
上も下もない空間。
背景は黒でも白でもなく――
“記憶”のような色。
そして、無数の光が飛び交っている。
流星のように。
涙のように。
誰かの思考の残滓のように。
◇
『ここは“魂の回廊”。
汝の魂に刻まれた記録、その断片が漂う場所』
◇
「……俺の魂の、記録……?」
◇
『過去は消えない。
たとえ肉体が変わろうとも、魂の“痕跡”は残る』
◇
流れていく光の中、
ひとつ、俺の胸をえぐる記憶が映った。
暗い部屋。
白い蛍光灯の下。
机に突っ伏して眠る自分。
乱れた書類と、スマホの未読通知の山。
(……ブラック企業時代……)
五分間の仮眠。
仕事に追われ、感情が枯れた日々。
◇
『心が死んだ日。
魂の“初期崩壊点”だ』
◇
「……まあ、否定はしない」
次の光。
区役所の冷たい窓口。
生活が崩れ、最後に残った誇りが砕け散った瞬間。
(……自己破産の日……)
◇
『魂の“耐性値”が発生した日。
壊れた魂は、生半可な干渉では動じない』
◇
また光。
実家の一室。
暗い布団の中で息を潜めて過ごした歳月。
あのときの俺は、生きていたのか死んでいたのかすら曖昧だった。
光がひときわ強く瞬く。
◇
『これが汝の“異界値(セカンド・バリュー)”だ』
◇
異界値――聞き慣れない言葉だ。
◇
『説明しよう。
魂は通常、世界に一つの値しか持たない。
だが“死なずに壊れ、再構築された魂”だけは――
二つ目の値を持つ』
◇
二つ目の魂の値。
つまり――
(俺は、一度“死に近い崩壊”を経験したから……
二つの魂を持っている、と?)
◇
『正しくは、二つ分の“器”だ。
汝の魂は、普通の者より遥かに大きい』
◇
「……挑発してるのか褒めてるのか分からんな」
◇
『褒めている。
そして、警告でもある』
◇
「警告?」
◇
『大きな魂は、世界にとって“脅威”だ』
◇
空間に揺らぎが走る。
◇
『だから汝は、召喚側に“処理対象”と認定された』
◇
(……処理対象……)
余剰魂――そう言われて捨てられた理由。
(魂が……規格外だったからか)
納得できる衝撃と、怒りが込み上げる。
(ふざけるな……)
だが、次の瞬間。
回廊に“別の光”が現れた。
2.見覚えのない記憶
光が渦巻き、
目の前に“景色”が出現する。
俺の記憶ではない。
古代文明の遺跡。
空を覆う巨大な結晶。
無数の世界に繋がる“門”。
(……何だこれ。こんな記憶、俺には――)
◇
『これは汝が生まれる前の記憶』
◇
「は? 俺じゃないなら、誰の記憶だ」
◇
『答えは簡単だ。
汝の魂は“転写”されている』
◇
「転写……?」
◇
『魂は一つの世界だけで完結しない。
異界値を持つ魂は、過去の世界の残響を持つ』
◇
つまり――
(俺の魂の一部は、“元から異界のもの”……?)
理解が追いつかない。
だが、胸の奥がざわめく。
光景が変わる。
崩壊する世界。
叫ぶ人々。
二つの太陽が墜ちる空。
そして――
その中心で立っていた“影”。
銀髪。
赤い瞳。
だが俺より、遥かに“大きな存在感”。
(……誰だ……?)
◇
『これが答えだ』
◇
「どういう意味だ?」
◇
『汝の魂は、かつて“世界の管理者層”に近かった』
◇
(……管理者……?
そんな馬鹿な……)
俺はただの人間だった。
疲れ果てて、人生に敗れた男だった。
だが――この記憶は嘘ではない。
◇
『汝の魂の“根”は、この世界に存在しない』
◇
つまり――
「……俺は“この世界の外から来た魂”だと言いたいのか」
◇
『正確には“外”でもない。
世界群が生まれる以前の“根源界”の片鱗』
◇
(そんな話、信じられるか……!)
だが、その時。
魂の回廊の奥から、
低い声が響いた。
――来たか。
声の方向を見る。
そこに“影”が立っていた。
銀髪。
赤い瞳。
俺と同じ外見を持ちながら、威圧感が桁違い。
(俺……? いや……これは――)
影はゆっくりと歩み寄り、
「……やっと来たな、墜落者」
と、呟いた。
(こいつが……“魂の主導者”……!)
次の瞬間、魂の回廊が震えた。
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