第4話 魂の主導者の呼び声

祭壇の奥へ続く通路は、

 これまでの道とはまったく違う静けさを纏っていた。


 空気が――軽い。

 だが、その軽さが逆に不気味だ。


(ここだけ“生き物の匂い”がしない……)


 それは、死でも腐敗でもない。

 生命が最初から存在しない空気。


 まるで宇宙の真空に近い。

 精神が削られていくような、研ぎ澄まされた静寂。


(あの番人とは別格ってことか)


 足音一つすら吸い込むように消える。


 通路の先には青白い霧が漂い、

 視界が徐々に曖昧になる。


(……まずいな、これ)


 脳が揺れている。

 雑音はないが、“考えが表面に浮かばない”。


 思考の深度が勝手に浅くなる。


『進め。恐れる必要はない』


 あの声だ。

 ダンジョンの意志。


「また勝手に喋りやがって……。

 何を求めている?」


『汝は“選ばれた存在”だ。

 それを理解させる準備をしている』


「選ばれた……? 俺が?」


『そう。汝の魂は既に“異界値”を持つ。

 一度壊れ、再構築された魂だけが持つ特性』


(また“壊れた”か……)


 六十年の人生が、

 ここへ来てようやく“価値”とされているらしい。


(皮肉だな。地球の人生は無駄じゃなかったってか)


 通路の終端。

 薄い膜のようなものが張られ、

 そこには淡い光の“扉”が揺れていた。


(……これをくぐれってことか)


 息を吸い、足を踏み入れた瞬間――


 世界が、反転した。


1.魂の回廊


 足元が消えた。

 上も下もない空間。


 背景は黒でも白でもなく――

 “記憶”のような色。


 そして、無数の光が飛び交っている。

 流星のように。

 涙のように。

 誰かの思考の残滓のように。


『ここは“魂の回廊”。

 汝の魂に刻まれた記録、その断片が漂う場所』


「……俺の魂の、記録……?」


『過去は消えない。

 たとえ肉体が変わろうとも、魂の“痕跡”は残る』


 流れていく光の中、

 ひとつ、俺の胸をえぐる記憶が映った。


 暗い部屋。

 白い蛍光灯の下。

 机に突っ伏して眠る自分。

 乱れた書類と、スマホの未読通知の山。


(……ブラック企業時代……)


 五分間の仮眠。

 仕事に追われ、感情が枯れた日々。


『心が死んだ日。

 魂の“初期崩壊点”だ』


「……まあ、否定はしない」


 次の光。


 区役所の冷たい窓口。

 生活が崩れ、最後に残った誇りが砕け散った瞬間。


(……自己破産の日……)


『魂の“耐性値”が発生した日。

 壊れた魂は、生半可な干渉では動じない』


 また光。


 実家の一室。

 暗い布団の中で息を潜めて過ごした歳月。

 あのときの俺は、生きていたのか死んでいたのかすら曖昧だった。


 光がひときわ強く瞬く。


『これが汝の“異界値(セカンド・バリュー)”だ』


 異界値――聞き慣れない言葉だ。


『説明しよう。

 魂は通常、世界に一つの値しか持たない。

 だが“死なずに壊れ、再構築された魂”だけは――

 二つ目の値を持つ』


 二つ目の魂の値。


 つまり――


(俺は、一度“死に近い崩壊”を経験したから……

 二つの魂を持っている、と?)


『正しくは、二つ分の“器”だ。

 汝の魂は、普通の者より遥かに大きい』


「……挑発してるのか褒めてるのか分からんな」


『褒めている。

 そして、警告でもある』


「警告?」


『大きな魂は、世界にとって“脅威”だ』


 空間に揺らぎが走る。


『だから汝は、召喚側に“処理対象”と認定された』


(……処理対象……)


 余剰魂――そう言われて捨てられた理由。


(魂が……規格外だったからか)


 納得できる衝撃と、怒りが込み上げる。


(ふざけるな……)


 だが、次の瞬間。


 回廊に“別の光”が現れた。


2.見覚えのない記憶


 光が渦巻き、

 目の前に“景色”が出現する。


 俺の記憶ではない。


 古代文明の遺跡。

 空を覆う巨大な結晶。

 無数の世界に繋がる“門”。


(……何だこれ。こんな記憶、俺には――)


『これは汝が生まれる前の記憶』


「は? 俺じゃないなら、誰の記憶だ」


『答えは簡単だ。

 汝の魂は“転写”されている』


「転写……?」


『魂は一つの世界だけで完結しない。

 異界値を持つ魂は、過去の世界の残響を持つ』


 つまり――


(俺の魂の一部は、“元から異界のもの”……?)


 理解が追いつかない。

 だが、胸の奥がざわめく。


 光景が変わる。


 崩壊する世界。

 叫ぶ人々。

 二つの太陽が墜ちる空。


 そして――

 その中心で立っていた“影”。


 銀髪。

 赤い瞳。

 だが俺より、遥かに“大きな存在感”。


(……誰だ……?)


『これが答えだ』


「どういう意味だ?」


『汝の魂は、かつて“世界の管理者層”に近かった』


(……管理者……?

 そんな馬鹿な……)


 俺はただの人間だった。

 疲れ果てて、人生に敗れた男だった。


 だが――この記憶は嘘ではない。


『汝の魂の“根”は、この世界に存在しない』


 つまり――


「……俺は“この世界の外から来た魂”だと言いたいのか」


『正確には“外”でもない。

 世界群が生まれる以前の“根源界”の片鱗』


(そんな話、信じられるか……!)


 だが、その時。


 魂の回廊の奥から、

 低い声が響いた。


――来たか。


 声の方向を見る。


 そこに“影”が立っていた。


 銀髪。

 赤い瞳。

 俺と同じ外見を持ちながら、威圧感が桁違い。


(俺……? いや……これは――)


 影はゆっくりと歩み寄り、


「……やっと来たな、墜落者」


 と、呟いた。


(こいつが……“魂の主導者”……!)


 次の瞬間、魂の回廊が震えた。

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