二十七話 魔の王


 魔力。魔眼まがん。術式。魔術。魔道具。

 知っていたのにらなかった。神話に語られる魔力とは、世界の動力源であり構成物。その仕組みというものを身体で理解したルティアにとって、魔力を調整した衝撃を組み上げることに造作もなく、幼いころからそうしていたかのような自然な動きで、空を、宙を高速で駆けることができていた。

 そんなこちらに振り返る深紅のローブ、プライデルは信じられぬものを目にした様子で、あの黒い杖を必死に振り回す。


「だから、無駄だよ」ルティアは飛来してくる翡翠色ひすいいろの液体を見定める。


 フィルダーレンの神殿区画、その上空で展開される巨大な水の魔術が次々とはじけ飛ぶ。

 マリオンを拘束した花のつぼみのような魔術はひしゃげ、渦を巻いて向かってくる水柱も途中で折れ、鋭い切っ先を持つ水の魔力弾もまとまらず、それぞれが形を作るまえに空中で霧散していく。

 ルティアの視界において、もはやプライデルだけでは打つ手がない。

 だが、彼の足元に広がる波紋だけは打ち消せない。どうやらあの黒い杖で補強しているらしく、今のルティアではせいぜい動作を妨害できる程度だ。

 それでも、あと少しで追いつける。


「こう、なればぁ!」


 ルティアに身体を向きなおしたプライデルは、あの黒い杖を頭上に掲げる。

 すると雨雲を背に、あの一本のロープのような膨大な魔力が形成されはじめる。決水竜けっすいりゅうだ。


「呪いをうたう翼竜よ! わが命の時間を喰らい、あの化け物を地上へとせぇ!!」


 プライデルの全身から杖を通して、大量の魔力があの存在につながる様子を見て取れた。

 直後、新市街を蹂躙じゅうりんした翡翠色の竜が、ルティアのはるか頭上に出現する。無駄な動きはいっさいない。この視界の中でも形を成すことができた竜の魔術が、まっすぐこちらへ飛来してくる。

 この状況を、ルティアはとくに恐ろしいとは感じなかった。


「暴れて噛みついてばかり。悪い子だね」


 家屋をも呑み込む巨大な竜が上下に口を広げ、牙を見せながら突進してくるも、ルティアの数歩先で透明の壁にぶつかったように急停止した。

 決水竜の長い身体はみずからの勢いに押しつぶされ、奇妙な平たい円形の物体へと成り果ててから霧散する。


「………………えぇ」と呆けるプライデルは、もはや反応することにすら困っている様子だ。


 ルティアが山羊の眼を向けたことで、男の顔に戦慄せんりつが走るも、だが同時に覚悟の色も現れた。

 逃げることを止め、プライデルは正面からルティアに対峙する。


「いいだろうっ! 帝国の、竜の地の危機的存在であることを認めてやる! この蛇の眼を失ってでも、おまえとその魔眼との繋がりを消し去ってやろう!!」


 プライデルは上空の雨雲に目を向け、魔力をつないで術式を起動する。魔術だ。

 ふたたび消失させるために、ルティアも視線を追って雨雲へと目を向ける。しかし。


「あぁ、なるほど。そういうことね」


 あの雨雲の内部で魔術を行使している。

 視界に映らないだけでなく、先ほどの地中で暴発させた術式とは違い、あまりにも巨大な術式だ。ルティアの魔眼では見通しきれない。

 その宣言通り、決水竜の長は蛇の眼を使い潰す勢いで魔術を練り上げた。一矢いっしむくいる確信を得た彼は、嗜虐しぎゃくの笑みを浮かべる余裕を取り戻す。


「おまえは魔術を、術式を変質させることで消しているのだな! その空を飛ぶ方法も、どうやら私の移動方法を真似て変質させているばかり。体系化された魔術を行使できているわけではない! で、あれば、顕現けんげんされた物理的な攻撃には、破壊以外に対抗手段を持たないだろう!」


 だから、これで終わりだ。

 プライデルの勝利宣言と同時に、雨雲から巨大な氷塊が出現した。神殿区画どころか、フィルダーレンそのものを潰すにじゅうぶんな規模の氷、否、隕石いんせき

 たとえルティアが魔力を爆発させたところで、砕けた氷塊はこの土地を、眼下にいるみんなの命をことごとく奪ってしまう。水なんかに変質させても、全体を見通すまでに墜落してしまうから同様だ。


「はっ、はははは! この蛇の眼には、まだ予備が残されている! なんとかおまえだけは生き延びるだろうが、故郷と友を喪失する絶望に沈むがいい! ふたたび六竜部隊……いや、降臨された竜たる者によって、国が滅ぼされる未来に震えながら──」


「もうおそい」


 このひと言だけで、プライデルは表情と身体を凍らせる。

 ルティアは彼に向けてゆっくりと指をさす。


「わたしはおまえの、すべてをた」


 山羊の眼で、恐怖に打ち震える男の全身を捉えていると、口がしぜんと動きはじめた。


「──最始いやさきの果て。時より先に立ち、背に光を残さぬ原動点」


 決水竜の長は、この言葉に両目を大きく見開く。「術式口述っ! だが、その文言はいったい……?」


さかのぼりに停滞はなく、むくいの還元はここにあまねく」


 ルティアはその山羊の眼を、フィルダーレンに迫る巨大な氷塊へと向けた。


「虹をほどけッ──! 『イギエンズ』!!」


 地上に堕ちる氷塊は、その先端から消失していく。

 山羊の眼の視界に存在することが許されぬよう、落下速度を上回る速度で光となっていく。光の正体は、氷の破片でも水でもなく、魔力。

 本来であれば目に映らない世界の動力源が、その場に生成されつづけて圧縮し、空間をゆがめてしまった。雨雲の下に差し込むわずかな陽の光は、そんな空間によって乱反射している。

 プライデルは、自身が生成した巨大な氷塊が、欠片も残さず魔力となっていく光景に衝撃を受けながらわめき散らす。


「水でも霧でもなく、魔力そのものに変質だと!? ありえんっ! これでは、魔力を視ることで存在を生み、形を決め、意味を定めた…………神への冒涜ぼうとくではないか!!」


 ルティアは、フィルダーレンの上空にうずく魔力を視た。

 輝きの尾を引く大量の魔力は、主に服従する下僕のようにこちらへ集い、複数の輝く輪を生み出した。


「あぁ、ああ。そうか、おまえが……」


 取り巻く光と踊る山羊の少女、ルティアはゆっくりとその腕をあげる。この場の決着をつける手を伸ばす。


「竜の喰らう権能でもなければ、聖者の選別する権利でもない。それは」


 目標である男のあいだに、尾を引く光が渦巻く。

 ルティアはそこに、星系を視た。


「魔王っ! 魔王魔王魔王!」


 魔力が、術式なき力の奔流ほんりゅうとなって放たれる。

 光に呑みこまれたプライデルは、必死に黒い杖を盾とするも、古代魔道具は、呪いを謳う翼竜は、その全体にひびを走らせた。


「……ぁあああ! !!」


 黒い杖が砕け、男は光の中に消え、奔流は雨雲を払う。

 切り裂かれた空に広がる夕焼けは、真っ赤な血のようでどこまでも色鮮やかだ。

 すべてを終えて夕日のなかに浮かぶ山羊の少女を、地上の人々は、ただ黙って見上げるばかりであった。


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