異世界ぬいぐるみおじさん
フジコ
第1話 異世界召喚
「俺が、お針子……?」
思わず漏れたその声は、我ながら情けないほどかすれていた。
周囲の人々は気の毒そうに顔を見合わせ、まるで『残念ながら事実です』と言わんばかりに、申し訳なさそうに頷いた。
煌びやかな西洋風の大広間。恐ろしく高い天井には見たこともない魔法陣が光り輝き、床には精巧な模様が刻まれている。
俺の目の前には、銀髪褐色肌の妙にネットリとした話し方をする魔術師風のお姉ちゃんが、水晶玉を手に半笑いの表情で立ち尽くしていた。
隣では、さっきまで「光魔法!」だの「光の守護!」だのと大盛り上がりしていたジャージ姿の学生さん…… こちらは明らかに正統派勇者の雰囲気をまとっている、なかなかのイケメン…… が、気まずそうにこちらをちらちらと見ている。
お針子?
裁縫スキル?
この異世界で、どう役に立てろと?
少し、いや、だいぶ話を戻そう。
俺の名前は白田一鉄。30代のおじさんである。
大学卒業後、周囲の期待を裏切ることなく地元へUターン就職し、県庁福祉課に勤めている。至って平凡な、どこにでもいる地方公務員だ。ちなみに独身、ひとり暮らし。
仕事と家の往復で、趣味も彼女もない地味な毎日の繰り返しだがこれが性に合っている。
今日だっていつも通りの1日になるはずだった。
朝8時に出勤し、いつも通りの書類仕事をし、いつも通りの電話対応をし、いつも通りの残業をこなして午後9時に退庁。金曜の夜だから今日くらいは発泡酒じゃなくて本物のビールでもと思い、田舎道をポツンと照らすいつものコンビニに立ち寄った…… はずだったのだが。
「勇者よ、よく参られた!」
コンビニのドアを開けるとそこは、中世ファンタジーな異世界でした。
いや、最初は幻覚かと思ったんだ。
連日の残業で疲れが溜まっていたのは事実だし、昨夜なんかは午前2時まで議会提出用の資料を作成していた。睡眠時間は4時間。いや、3時間半。過労で意識が飛んだのかもしれない。
でも、どうやらそうではないらしい。
目の前に広がるのは、西洋の古城を思わせる豪華絢爛な大広間。西洋美術も宗教観もごちゃ混ぜになったような、いかにも『異世界ファンタジー』然とした空間だ。
「今回はお二人もいらっしゃったのですねぃ。これは僥倖」
「実に素晴らしい。青年の勇者様に壮年の勇者様。おふたりにはそれぞれ違うスキルがおありのように感じますな」
俺の周囲には、明らかにこの国の重役と思われる人々が3人。豪華な衣装に身を包み、期待に満ちた目でこちらを見つめている。
壮年の勇者様、ね。
いや、確かに俺は壮年だけれども。30過ぎだし、最近は肩凝りも気になってきたし、前髪に白髪も一房ある。
でも、おかしいだろ!
こういう異世界召喚ものって、キラキラした高校生か大学生が主人公になるのが定番じゃないのか?
隣を見ると、俺と同じタイミングでこちらに来たと思われるジャージ姿の学生さんが、目を丸くして「えっ、俺、何!? 勇者!? マジで!」と素直に驚いている。
そうそう、これこれ。この反応。
これが正しい異世界召喚のリアクションってやつだ。
俺は若い頃にファンタジー小説にのめり込んでいたオジサンだから、突然ヘンテコな世界に連れてこられて「勇者様」なんて呼ばれても、「はいはい、異世界召喚ね」となんとなく状況を飲み込める。
脳内では「転移魔法か召喚魔法か」「元の世界に戻る方法はあるのか」などと、周りをうかがいながら情報を整理し始めていた。
いや、俺だってちゃんと驚いてはいるんだ。内心はかなりパニックだ。
ただ、驚きが上手く顔に出てこないだけで。連日の残業ラッシュと人手不足と理不尽なクレーム対応で、ちょっと表情筋が死んじゃってて……
「おお、なんと光魔法とは……!」
「光の神の守護を受けておられる。これは間違いなく、予言の勇者様じゃ!」
俺がちょっと現実逃避気味に思考を巡らせている間に、学生さんと異世界人さんたちは大盛り上がりしていた。どうやら学生さんには光魔法という、この世界ではかなりレアで強力なスキルがあるらしい。
予言の勇者、ね。まあ、若くてキラキラしてて光の力を持っているし、いかにもそれらしいじゃないか。
そして、案の定、次は俺。
「じゃ、壮年の勇者様はどうですかねぃ」
くるり、と銀髪褐色肌のやたらネットリとした話し方をする魔術師風のお姉ちゃんがこちらに近寄ってきた。ぱっと見、20代後半っぽいけど女の人の歳って実際よくわからなよな。眠たげな目元で、どこか怪しげな雰囲気を漂わせている。
彼女は俺の許可も取らずに、いきなり頭上に水晶玉をかざした。
いや、先に何をするか許可を取ってくれないか。できたら「壮年」もやめてくれ。まだ30代だぞ。
とは言えずに、俺はされるがままに口をつぐむ。公務員生活で培った「とりあえず黙って従う」スキルが発動した。
水晶玉が淡く光る。
魔術師の目が細められる。
周囲の空気が、微妙に変わる。
「スキルは……」
彼女の声のトーンが、明らかに下がった。
「えーと…… お針子、ですねぃ」
沈黙。
重苦しい沈黙。
「……お針子?」
俺の声が、やけに広い大広間に響いた。
「ぬぅ。お針子、ですねぃ。その、裁縫系のスキルですねぃ……」
魔術師が申し訳なさそうに視線を逸らす。
周囲の異世界人さんたちも気まずそうに咳払いをしたり天井を見上げ、隣の学生さんは言葉に詰まっている。
「俺が、お針子……?」
もう一度、確認するように呟く。
返ってきたのは、同情に満ちた沈黙だった。
そうして俺は、『お針子』スキル持ちの30代独身元公務員として、この異世界で生きることになったのだ。
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