第10話 その一歩は小さいが
「な──、その頬、どうした!?」
家庭教師に来た節は玄関で目を見張った。両頬をリスのように腫らした瑠花を見たからだ。
右から、左から見てそっと突く。
「いたっ! 痛い!!」
「あ、悪い……。え、いや、本当にどうした?」
「えへへ」
瑠花は苦笑いしかできない。
まさか自分で叩いた頬が、そんなに腫れるとは思わなかったのだ。
何も知らない節は、引き気味に瑠花を見つめる。
その後ろから、見知った影がヒョイっと顔を覗かせた。
「瑠花っち、その顔どしたん? せっちゃん、触っちゃダメっしょー」
「あ、京介さん、はろはろ」
「はろはろーん☆」
相変わらずの軽さとチャラさで京介はウインクした。いつ見てもホストのようだ。
「頼まれた通り、ちゃんと連れてきたぞ」
親指で京介を指し、節は肩を竦める。
京介はこう見えてもK大卒のエリートだったりする。
「俺ちゃん、瑠花っちを笑顔にするために一肌どころか三肌くらい脱いじゃうよ~」
「おいこら、本当に脱ぐんじゃない」
京介がベストを脱いでワイシャツに手をかけたところで、節が慌てて止めに入る。
「えへへ、ありがと!」
人は見かけによらないし、人間関係は外見では決まらない。
なにせこのチャラいお兄さんは、探偵なんて仕事をしているのだから。
母はパートで、現在は家に瑠花一人だ。
リビングに二人を案内して、冷たい麦茶を注いでいく。
「で、何があった?」
智哉の件は聞いているらしい節は、今日は止めておこうといって勉強道具をしまわせた。
純粋に京介を連れてきてくれたらしい。
週に二回ほど家庭教師をしてもらっているので、瑠花はその日に合わせて京介を連れてきてもらいたいと節に頼んだのだ。
「うん。ええとね……」
前世の件を省いて、街を歩いていたこと、智哉が追いかけてきたらしいこと、それで事件に巻き込まれたことを説明していく。
「智哉君……」
節は沈痛な面持ちで俯く。
「それで、ボクが──」
座り込んでしまっていたら、あやしい連中に攫われて励まされて帰ってきた──と、説明してる瑠花でさえ『何を言ってるんだ、ボクは』と言いたくなるような説明をしていく。
案の定、節は何がなにやらという様子で首を傾げた。
しかしその横で、京介は何やら真剣な顔で考え込んでいる。
「ねぇ、瑠花っち、その包帯男って名前……なんだっけ?」
「ん?
「あっちゃー……」
京介は頭を抱えた。
(え、そんな有名人?)
シマとかいう聞いてはいけない言葉を聞いた記憶はあるが、やっぱりヤバい人なのだろうか。
「いや、えーとね」
チラッと京介は節を見るが、節は視線に首を傾げる。
(あー、シマってやっぱり……)
「えっと。単刀直入に、暴力団の人?」
瑠花がスパーンと言ってしまうと、京介は顔を片手で覆って呻き、節は目を見開いた。
「そうなのか!?」
京介は気まずそうに頷く。
「うん。そうなんよねー。探偵やってると嫌でも耳にするっていうか……。二人って
(黒鉄組! ボクでさえ聞いたことあるんだけど!?)
「結構大きい暴力団だよな?」
節はチラッと瑠花を見たあと、再び京介に視線を戻す。
「そうそう。でさぁ、柘植安曇って言ったら、組長の息子なんよね~」
「組……!」
節は絶句し、瑠花は眉を顰める。
京介は肩を竦め、二人を見て頷いた。
正直なところ、偉い人の空気は出ていた。
(霜月先生にも命令してたしなー)
「まあ、次男だし、包帯してたっしょ? あれなんか病気らしくてさぁ。子供の頃からあんなだったっぽ」
だから、次男は跡継ぎ候補から落ちかけているとのこと。
(全然元気そうだったけど!?)
「瑠花、これ以上関わるなよ? わかるよな?」
節が真剣に言うので、瑠花はコクコクと頷く。
さすがに相手が悪い。
つい先日、親を泣かせたばかりだ。
あの時の居心地の悪さと、親のありがたみは瑠花の脳裏に刻みつけられている。
(助けてくれたのはありがたいけど……)
連絡はしないでおこう。
瑠花はそう決めた。
「お、瑠花っち素直! 偉い偉い」
頭をグリグリと撫でられ、ボサボサの髪がさらにボサボサになっていく。
その横で節は安心したように笑い、麦茶を飲んだ。
瑠花も麦茶を飲み、そして──
「でさ、京介さんを呼んだ理由なんだけど──」
二人は顔を見合せたあと、瑠花に視線を向ける。その顔はとても真剣なものだった。
(ボクは歩き出さないと)
瑠花はポケットの中のポーンを握った。
「調べてほしいことがある」
最初はセシリアの事を調べてもらおうかとも考えた。
(でも幻だったかもしれないし、それに)
『君が立ち上がれるかどうか、見ていてあげるよ』
ポーンを握る手に力が入る。
──何だか腹が立ったのだ。
馬鹿にされてるような気がした。できるわけがない、そう思われているような。
確かに今も他人に頼ろうとしているけど、できる中でやるしかない。
「智哉君の件を含めた、連続殺人事件について」
「……」
「……」
節は険しい表情をしたし、京介は困ったように笑った。
「……だめかな? えっと、依頼料なら──」
お小遣いやお年玉を溜め込んだ通帳を出す。それなりに入っているはずだった。
「そうじゃない」
節が厳しい声で口を挟む。
「……」
「殺人事件なんてそんな──」
「んー、まあ、ほら。気持ちはわかるしー?」
「京介」
「俺ちゃんが調べないと瑠花っちは自分で走ってっちゃいそうじゃーん?」
「う」
節が困惑するような目を瑠花に向けたので、瑠花は慌てて首を振る。
「えっと、その」
否定できないのが困る。
でも何かしたい。
「だよねー、だよねー? てことだから、俺ちゃん調べちゃうよ」
「……はぁ……」
「あ、ありがとう!」
「その代わり、自分では絶対動かないこと。俺ちゃんの事務所の資料は閲覧自由にしてあげるから、それで我慢して~?」
守秘義務があるから、個人情報とかはダメだけど、と京介はウインクする。
節は顔を抑えてため息をついた。
「うん。五件起きてるらしいから、誰がいつどこで。そういう今までの事件を知りたいんだ」
前に進むために。
変わらないものなどないのだと。
瑠花は大きく頷いた。
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