第8話 歩く資格
──コンコン。
「あ、はーい」
リビングの扉が控えめに叩かれて、女性が返事をすると天井に頭が届くかと思われる大きな男性が扉から顔を出した。
「失礼します。あの……」
「時雨さん、どうしました?」
女性の言葉に、大きな男性は小さな声でのそりと話す。
それはまるで森のくまさんのようだった。
「洗濯、終わったんで」
「あー、分かりました。あとはやりますね」
こくりと頷く男性は、次に安曇の方を見た。
視線を合わせた安曇が頷くと、再び小さめに『失礼します』と言って入ってくる。
手にはお皿と、その上の黒っぽい何かがチラリと見えた。
「良かったらどうぞ。温かいものがいいと思って」
瑠花の目の前にコトリと置かれたのはフォンダンショコラだった。
「……」
思わずキョトンと見ていると、安曇は小さく笑った。
「
「え、と、いただきます?」
「どうぞ」
ナイフとフォークまで置かれたので、おそるおそる切ってみればサクッとしたあとナイフはするりと進み、中からトロッとチョコがこぼれ出す。
(わぁ……)
「……」
一口食べれば、甘さとほろ苦さ、そして温かさが全身に広がっていく。
自分が震えていたのだと、その時はじめて気づいた。
「お茶も入れ直しますね」
言って女性が温かいお茶をカップに注いでくれる。
(そういえば、この人達は何者なんだろう)
そしてここはどこなんだろう。
瑠花はぼんやりと考えながら、甘いチョコを口に運ぶ。
言われた通りそれは絶品で、瑠花は目元に残った涙をそっと拭った。
「安曇さん、私は衣類をやってきますので」
「うん、よろしく」
「小さい子をいじめちゃだめですよ」
「……小さいってほどでもないだろう」
安曇は肩を竦める。
そのまま女性はリビングから出ていってしまった。
(何歳だと思われてんだろ……)
小学生の男の子に見えるとはよく言われる。
残ったのは包帯男の安曇と、森のくまさんだ。何だかおかしな空間である。
ソファの背後に控えた森のくまさんに、包帯男が声をかける。
「時雨」
「はい」
間髪入れずに答えるくまさん。
「手配して」
「わかりました」
この短い会話で何をわかったのか、瑠花は首を捻ってしまう。
森のくまさん──時雨も一礼してリビングを出ていった。
そして──
「さて」
部屋にはフォンダンショコラをちまちま食べていた瑠花と、包帯男の柘植安曇。
安曇はソファに寄りかかり、瑠花を見据える。
「今、巷では密やかに、連続殺人事件が起きている」
「え」
(まさか)
ぞわりと広がる嫌悪感に、瑠花は思わず胸を抑えた。
「妙な殺人事件でね」
安曇はお茶を一口飲み、カップを戻す。
そのままカップに揺らめくお茶を見つめてから、一度深くため息をついた。
(あ、この人──)
全くの無表情か、薄笑いばかりなのに。
──内心すごく怒ってる。
なぜか瑠花にはそれがわかった。
「妙って?」
瑠花の問いを安曇は無視した。
「君の友人ですでに五件目。年齢性別問わずね」
「そんな話、聞いたことないよ!?」
──ガチャン!
思わず立ち上がり、お皿とカトラリーが大きく音を立てたので慌てて手元を見る。
(良かった、割れてない)
「公にされていないからね」
「は? そんなに事件起きててなんで……」
「……」
安曇はまたお茶を口にしてからため息をつく。
「犠牲者四人はうちのシマの人間だった。……死に方が妙でね。警察が規制をかけたみたいだね」
「……」
(ん? シマ……?)
聞いてはいけないワードを聞いた気がする。
そこに今度は明るいノック音がして、安曇が答える間もなく扉が開いた。
「お待たせしましたー!」
先程の女性が、瑠花の洋服を持って入ってきた。
「!?」
思わず体を見れば、成人男性用だろう大きめのTシャツをワンピースのように着せられている。
「あ、お着替えはわたしがやりましたので、ご安心くださいね。ささ、安曇さんはお外へ」
安曇はため息をついて立ち上がる。
「もう遅いし、帰りは送らせるから」
そう言って外に去っていく。
「遅──いぃ!?」
瑠花はハッとして窓のカーテンに飛びつく。
外を見ればもう暗く、マンションの高層階なのか街のネオンがキラキラしている。
「どどど、どーしよ!?」
「大丈夫ですよ、落ち着いてくださいね。あ、お家への連絡先聞いても?」
女性は瑠花の背中をぽんぽんと叩き、ソファに戻るよう促す。
連絡先を渡すと部屋の外にいたらしい時雨を呼ぶ。
彼はそのまま瑠花から聞いた番号に電話をかける。
「──あ、もしもし。私、
「???」
瑠花はそれを呆然と眺めるしかできない。
「ええ、熱中症で。あー、いえ、そういう話では。あ、はい、今までお預かりしてまして」
「時雨さんは、霜月病院長の息子さんなんです。嘘はついてないんで大丈夫ですよ」
コソッと女性が耳打ちする。
(え……ええー?)
瑠花は女性がウインクするのを見て、また森のくまさん──霜月時雨に視線を戻す。
「お迎えは大丈夫です。はい、こちらから職員が……あ、では私がお送りしますので」
話がついたようで、彼は電話を切った。
そしてぺこりと頭を下げて部屋から出ていった。
(なんだったんだ……)
着替えを終えると、下に車を回していると安曇から説明があった。
「手を出して」
「?」
安曇の言葉に素直に手を出すと、その上に紙が置かれる。
「これは?」
「僕の連絡先」
「え」
見れば確かに電話番号が書いてある。
困ったことにそれしか書いていない。
「もし君が、何かをする気になったなら電話して」
「何かを……」
「公にされていない事件について、知りたいのなら。動く覚悟ができたのなら、かけておいで」
包帯の下で、にこりと笑った気配がある。
瑠花は受け取った紙と安曇を交互に見て、少し迷ったあと頷いた。
そしてエレベーターを待っているところで──
「あともうひとつ」
「ん?」
振り返ると安曇が何かを投げた。
「わ!?」
小さい何かをどうにか受け取るとそれは、さっき見た黒のチェス駒の一つだった。
(ポーン?)
「あげよう。お守りだよ」
「え? ありが……と、う?」
どう反応していいのかわからず、瑠花は首を傾げる。
「君が立ち上がれるかどうか、見ていてあげるよ」
ポーンを立てた時と同じように、安曇は冷ややかな目でニヤリと笑った。
「ボクは……」
瑠花の声は、決意と戸惑いで揺れる。
そんな躊躇うような瑠花を一瞥し、安曇は背を向ける。
「立つことができないのなら、歩く資格はない」
「っ!」
手の中には駒がひとつ。
──毅然と立ち上がったポーン。
瑠花はそれをじっと見つめる。
「……」
(歩く資格なんて……)
決められたくない。
だけど──
瑠花はポーンをグッと握った。
(──事実だ)
そして胸を押さえ、去っていく安曇の背を見つめる。
まだ、とても遠い背中。
でも、いつか──必ず証明してみせる。
痛みを感じるほどにポーンを強く握りしめた。
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