幻葬のナイトメア

御月ケイ

第1話 ウルド



ウルド。


どこぞの女神と同じであるその名前は、瑠花るかの脳裏に嫌という程に刻み込まれている。

それは、忘れられない記憶そのもの。



「お前が都を滅ぼしたんだ!!!」


怒号が飛び、民衆は石を持ち手を振りあげた。


その真ん中にいる白い少女──ウルドは、こてんと首を傾げる。


本当に彼女は何もわからなかったからだ。


綺麗な花と小鳥と蝶々。

それがどうしてこんなに怒っているのか。


ウルドはふわりと微笑んだ。


「わぁ、綺麗な──」


──花。


耳の奥に落ちた甘くて軽やかな声の残響に、瑠花はガバッと起き上がった。


まだ、あの景色が──色とりどりの花がチラついた。


「うー……」


半目になって唸る。


(また──だ)


寝苦しさからかいた汗が額から頬を伝う。


あのあと何が起きるのか知っている。あの子が何を考えていたのかも。


胃の奥がぐらぐらする。

瑠花は胸の中のザラつきを捨て去りたくて、大きく息を吐いた。


「もういい加減にしてほしいよ……」


自室はまだ薄暗い。東側の部屋だから、夏の朝はいつも焼かれるくらい眩しいのに。


(覚えてるってば。何度も繰り返さないでよ)


忘れられるものなら忘れている。

しつこく見せられたって、ウルドを好きになれるわけでもないのに。


ヘナヘナと突っ伏して、時計を見れば。


「まだ三時……うー! これだからあの夢は嫌なんだ……!」


──眠れないことが確定した。


こんな風に夢を見た日は、決まって寝直すと続きを見る。


(受験生寝かさないなんて、万死に値するからな……!!)


天井を向いて、大きく息を吐く。


「よし、寝ないためには……」


瑠花は固い決意を持ってセロハンテープを瞼に貼った。──もちろん、瞬きできずにすぐに剥がした。





『大解説! 君も今日からドリームウォーカー!』


寝不足も手伝って、流れてきたCMに流れて瑠花はイラッとする。


テレビでは夢に関する番組が人気で、今日も『夢の異世界を満喫しよう!』なんて番組が、世の視聴率を掻っ攫っている。


(夢、夢、夢ってさぁ……ボクにとっては"悪夢"なんですけどー?)


テレビを消して自室に帰る。そろそろ家庭教師が来る時間だ。


そして机の上に置いておいたプリントを見て青ざめる。


「あ、宿題……」


リビングに行けば夢がどうの。部屋に帰れば受験がどうの。


(なんだっけ……こういうの)


「あ、四面楚歌だ」


ふふふ、と思わず口から不穏な笑みが零れる。


(夢も受験も……爆発しろ)


「……はぁ」


涙目になりながら、瑠花はプリントの問題を解き始めた。


大塚瑠花おおつかるかは現在中学三年生。

そしてつい先日の終業式で、中学最後の夏休みに入った。


──すなわち、受験生の夏休み。


花の中学生なんて誰が言ったのか。

受験生なんてみんなゾンビみたいなものである。


「ボクだって遊びたい! ゾンビに救いを……!!」


社会のプリントには、偉人の写真が載っている。


「……楽しそうなのが恨めしい」


偉人を改造して髭がフサフサの、雲に乗ったおじいちゃんに描きかえてみる。


──うむ、それっぽい。


「受験の神め……許さんからな……!」


勝手に可愛らしい笑顔の受験の神にされて、福沢諭吉ふくざわゆきちも草葉の陰で驚いていることだろう。


シャーペンで福沢諭吉──こと受験の神をつつくと、受験の神がにこやかに話し始める。


『よいか、瑠花よ。文句言ったところで意味はない。とっととやるんじゃよ』


「ぐああ!」


自分のアテレコに負けて、瑠花は勢いよくプリントに寝そべった。


「プリントよ、キサマも乗られては何もできまい! ふはは、ボクの勝ちだ!」


六畳一間の自室に、扇風機の音と共に勝利宣言が虚しく響く。


(くっ……心が痛い!)


妄想している場合ではない。

もうすぐ家庭教師が来る時間だ。


昔から、母に文句を言われてきた。

『あんたは想像力が逞しすぎるの。それをなんで勉強に活かさないの?』


活かせるものなら、とっくに活かしている。


「ひーん」


──このあと、やってきた家庭教師にみっちり怒られたのは言うまでもない。




***




サンサンと輝く太陽の下、瑠花はぼんやり空を見つめた。


「あの太陽が……憎い。セミの声が恨めしい」


「いや、怖ぇよ! 何なんだよ!?」


道場からの帰り道。

隣人の小学生から、高速でツッコミが飛んでくる。


「……ダンゴムシになりたい」


「なんでだよ!? せめてダイオウグソクムシにしろよ!?」


「ダイオウグソクムシ!」


瑠花と隣人の富田智哉とみたともやは、同じ合気道道場に通う門下生同士だ。隣人なので一緒に通っている。


「受験死にかけてんの? キャッチボールするか?」


小学生に気遣われるのは少し泣ける。


「いや、無理」


親が即断即決して家庭教師を雇うほどの危機なのだ。キャッチボールの余裕があるはずもない。


「受験って、怖ーんだな」


「怖いよ。……かーちゃんが、虚ろな目でブツブツ言うんだよ!!」


夏の成績表を見た時の母親の顔は、今でも忘れられない。虚無という感じだった。


「いや、知るかよ。それはお前がバカなのが悪ぃんだろ!?」


「はー!? バカって言う方がバカなんだぞ!!」


「ハイパーテクニカルブーメラン!!」


「何それかっこいい!!」


どう見ても同レベルの言い合いをする中学三年生と小学五年生。

その戦いは、玄関に出てきた母親の声によって強制的に終止符が打たれた。


「……近所迷惑って言葉、知ってる?」


「ひっ!!」

「わっ!?」


恐る恐る顔を上げれば、笑顔なのに全く目が笑っていない母親の姿がそこにあった。


(今日が命日かもしれん)


「えっと! オレ、宿題やらないとだった!」


「ああ! ズルいぞ、逃げる気ーー」


「瑠ぅ花ぁ?」


殺気を感じ、瑠花は思わず言葉を止める。


「……ハイ」


ゲンコツを食らった。暴力反対。


受験の神が笑っている気がする。


(許さないぞ、受験の神……!!)


頭を押さえて家に入ろうとすると、智哉から声がかかった。


「森デパートのライトカイザーショーは行くだろ? 今度の日曜!」


その言葉に、下がりかけていた瑠花のテンションが跳ね上がる。


ライトカイザーは、小学生に人気の特撮ヒーローだ。

瑠花は昔からヒーローものには目がない。決めポーズの真似は歴代ヒーローのものを覚えているくらいだ。


「もち──」


返事をしようとして、瑠花は背後の冷気に気づく。


「……」


冷ややかな目の母。

受験の神とライトカイザーが天秤に飛び乗り、ぴょんぴょん飛び跳ねている幻覚が見えた。


受験の神を蹴落とし、瑠花は涙目で母を拝んだ。


「あんたって子は……」


母親は苦い顔で、仕方ないというように頷いた。


「お母様、愛してる!!」


思わずガッツポーズを決めた瑠花は、慌てて外に声をかける。


「行けるー!」


「おっけ。じゃあ、母さんと迎えに来るわ」


「ありがとう、救世主!!」


閉まる扉の向こうで、智哉が嬉しそうに手を振った。



夜──


夏の夜空はどこか明るく、じわりとまとわりつくような暑さがなければ、好きな時間だ。


「ふぅ、寝るかー……」


たぶん、今日も今日とて夢を見る。

白い神殿に白い少女──そういう夢だ。


「受験の神~、あんなの見るくらいなら、ボクの夢に特別参加してくれていいぜぃ?」


プリントのイラストをちょんと触る。

そして諦めるように笑って、布団に潜る。


(あれ? でもそもそも受験のせいでは?)


「ストレスって良くないよね……」


思わず声に出して苦笑する。声はカーテンの隙間から射し込む月明かりに溶けていった。


せめて今夜は朝まで寝たい。

──そんなことを思って目を閉じる。



そして早朝に、「これがフラグか!」と叫んで母に怒られた。

睡眠は大事である。

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