つばさ

ep4-1

 主様と契りを結んでから一か月。冷徹で熱烈な眷属としての日々が始まりました。


 ……と言っても、旅の最中でお世話をすることは殆どありませんでした。強いて言えば紅茶を淹れるくらいで。


 進展と言えば、血を吸う量が前よりも増えたことくらい。嗜好品程度だった回数が一日三食をキッチリと取るようになり、以前よりも顔色が良くなったように感じます。


 しかし私もまだ未熟とはいえ一端の使用人です。主様が血を美味しく頂けるよう運動もするようになったし、鉄分も以前に増して取る様になりました。幸いにも湯楽屋の近くにはコンビニが何件かあるのでそこでゼリー飲料を買い、毎食に足して飲むようにしています。


 そのおかげか私も体力が付いて多少の吸血では眠らないようになったのです。凄い進歩ですよね。


 お屋敷ではないですが、それはそれで主様の傍で役に立てているという充実感が心を満たしていました。ただ血を捧げるだけでも、主様にとったら数ある仕事の一つに過ぎなくても私のとったら涎を垂らして貪るように噛みつくその瞬間を幾度となく見られるのがとても幸せでした。


 季節はあっという間に二月の半ばを過ぎて、春がすぐそこにまで迫ってきた某日。


——私の前から主様が消えました。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 集まったのは三人。薫さんと美喜恵さんと私。握っていたはずの手は解かれて、布団のシーツは剥されていて、荷物も全てなくなっていました。


「夕方目覚めたらいなくなってたんです」


 普通なら音で気づくはずなのに、酷く疲れていたのか先に寝入ってしまって気づいたら私一人になっていて。


 主様に合わせた生活リズムを刻んでいた私が夕方起きると、真っ暗な部屋に一人、ぽつりと残されていました。しばらく状況が呑み込めず、旅館中を探し回りましたがどこにもその姿はありません。


「どこへ行ってしまったのでしょうか」

「列車にでも乗っているんじゃないかな。クリスカってば気まぐれだし」

「そう……でしょうか」


 美喜恵さんの言葉に何故か納得ができない私がいました。


 だっておかしいです。驚かせようとするなら荷物まで引き上げる必要はないし、シーツだってまた使うのだから乱暴にでも敷いておくでしょう。いなくなるだけならそこまで丁寧に片づける必要性は皆無です。


 これではまるで、


「夜逃げです」


 誰かに逃げられたことなどなく、本やテレビでしかその事を知らない私が真っ先に出た言葉でした。


 美喜恵さんは冷静にそれを飲み込むように聞き入った後押し黙り、薫さんはぼんやりと部屋を睨むように見つめています。


 この二人は何か知ってるのではないか、とどこからともなく訪れる直感がそう囁き、私を衝き動かそうとします。


「薫さんは何か見てないですか?」

「……いや、わからない」


 沈黙を置いてからの答え。薫さんの面持ちが険しくなって歯を食い縛るように口を強く引き結んでいます。


 薫さんはきっと何かを知っています。主様が考えそうなこと、寝台列車での出来事を思い出して、もしかすると私の困る姿を視て楽しむ算段ではないかと過ります。


「わかりました」


 私は黄色い笑顔で二人に向き直りました。


「二人とも主様と何か企んでいますねぇ」


 腰に手を当てて、前屈みになりがなら聞きます。美喜恵さんはすぐに首を振って、


「いえいえ。何も企んでないわよ」


 はぐらかしますが、そんなはずがあるわけないでしょう。しかし薫さんの訝しんだ表情は全く解かれず、逆に緊迫感が増していきます。


「光莉、落ち着いて聞いてほしい」

「薫?」

「もう隠し通すのは無理だ美喜恵。口止めされていたが、光莉には知る権利があると勝手ながら思う」

「うんうん。薫さんがついに白状しますってよ」

「実はな光莉」


 したり顔でいると薫さんが私の瞳をマジマジと見つめて言います。


「クリスカはもうすぐ死ぬんだ」


 固まりました。まだ彼女の悪戯が続いているのかとも勘違いしてしまいそうですが、彼女の得も知れぬ恐ろしい形相からそれはないと私の内心が囁きます。


「死ぬ? 何かの冗談でしょう?」


 しかしまだ捨てきれない、煮え切らない可能性があって聞き返してしまいました。


「死ぬんだ。クリスカはもうすぐ」

「……え? 流石の薫さんでもそんな冗談は許しませんよ?」

「冗談に聞こえるか?」

「ほ、ほんとなんですか美喜恵さん」


 覇気が引き絞られた声色に美喜恵さんはただ頷くだけで、彼女も硬く哀愁すら覚える顔をしています。


「死ぬって主様が……あり得ない! だって吸血鬼ですよ? 永遠に近い命を持っている方なんですよ? 人間の数十倍と生きる彼女が、あんなにお若くして死ぬはずないでしょう!」

「光莉ちゃん、血の盟約ってご存じ?」

「血の盟約……吸血鬼が古参の眷属とが百年の節目で結ぶ契りですよね。知っています」

「そう。数十年と連れ添った眷属としか結べない盟約。クリスカはそれを結ばなければならない」

「ならない? でも吸血鬼は半永久の寿命を持つ。盟約は主様に見込まれて永遠を誓うもののはずです。絶対ではないはずじゃ」

「えぇ。確かに永遠を誓う盟約よ。でもそれは何も人間にだけ影響があるものではないの。交わさなければ吸血鬼は百を超えた最初の満月の夜に焼け死ぬ」

「は……満月、ですよ。夜の生き物である主様がそんなこと」

「美喜恵の言っていることは本当だ」

「ならどうして私に黙っていたんですか! 主様も薫さんも美喜恵さんも、どうして!」

「口止めされていたの。ごめんなさい」


 ギラリと私は美喜恵さんを睨みます。謝罪で許されるはずない。主様の命に関わることを口止めされていたとは言え隠していたのです。


「でもこれはクリスカの意思でもあるの。


 怒りや失望、恐れが綯い交ぜになって心を襲います。私の血を愛してくれた主様が、存在意義を与えてくれたクリスカさんが、私を好いてくれた吸血鬼が、いなくなってしまう。


 そんなの認めない。世界がそれを許しても、私は奪うことを許した覚えはない。


 二人にも腹が立っているけれど、何より主様が心配でいつしかそれも忘れて動いていたのでした。


 無我夢中で主様を求めて走り出した私の後を薫さんが追いかけようとします。


「ちょっと」

「なんだ?」

「これ、クリスカの屋敷の場所。住所がなきゃ、辿り着きようがないでしょう」

「……恩に着る」

「気をつけていってらっしゃいな。あとクリスカに会ったら伝えておいて」


 ファイティングポーズを取った美喜恵は拳を突き出し、


「次会ったらぶん殴る。こんな汚れ役させた借りよって」

「……わかった」


 正直、伝えようか迷った薫さんでした。


 田舎の電車は一時間に一本というのがざらで、無計画に飛び出しても駅で足止めされるのは必然です。案の定私は湯楽屋の最寄り駅で待ちぼうけを喰らうことになったのでした。


 待合室で俯きながら待っている私に同じく電車を待つ人々の視線が刺さります。しかし誰も話し掛けようとはせず、静観するだけでした。


「時刻表くらいは調べてからにしろよ」


 追いついた薫さんが開口一番にそう言いました。


「貴方も、私から幸せを奪うんでしょう?」

「……バカなこと言うな」

「ならどうして黙ってたんですか!?」

「どうしてって、クリスカに止められてたと言っただろう」

「それで私が納得すると思ってるんですか!?」

「納得って」


 大声で詰め寄る私に薫さんは困惑した様子で言葉を詰まらせました。


 真実であろうとなかろうと、私の沸々と煮え滾る怒りの感情は納得できなければ収まりません。主様本人に聞くことが出来れば最良ですが、何も言わずに出ていってしまったからこうなっているのです。


「ならお前はどうすれば納得するんだ?」

「主様から聞けば」


 裏を返せば、お前達は信用に値しないと言っているようでした。冷静さを欠いていたとはいえ、この答えは不正解です。


 しかし薫さんは意に介さず、メモ紙を見せつけました。


「クリスカの居場所だ。美喜恵が渡してくれた。あと」

「あと?」

「クリスカに次会ったらぶん殴ってやるって伝えておいてと」

「えぇ」


 一気に冷めて苦い反応で返しました。


「わかりました。あの、さっきは八つ当たりしてすいません」

「良いんだ。取返しのつく過ちは若いうちに沢山した方が良い。大人になると責任とか体面とか体裁とか、余計なものが纏わりついてくる。身動き取れなくなる前に経験は積んでおくものだからな」

「……そういう薫さんって私と同い年じゃないですか」

「まぁ……な」


 ありがたく受け取り、ここからは私一人でと薫さんに告げて切符を買います。


 列車がホームに差し掛かり、扉が開いてお客さんの乗り降りが始まった折に私は急いで乗り込みました。


 扉の前まで薫さんは付いてきて、


「達者で」

「また来ますよ。主様と二人で」

「……そういえばクリスカが気になることを以前言っていた」

「なんでしょう」


 開いたドア越しの会話。発車ベルが鳴り響き焦燥感を掻き立てます。


「クリスカを救えるのは光莉だけだと」

「……なるほど」


 ベルの次に笛。乗るか乗らないかの瀬戸際に立っていた薫さんへ乗るなら早く乗れ、さもなくば出すぞ、とでも言いたげなそれが終わると扉がゆっくりと締まります。


「美喜恵さんにごめんなさいと!」


 籠る声を確かに聴いて頷く薫さん。そして景色が紙芝居のように横へ流れ始め、彼女は私が乗った列車の背に手を振ったのでした。


「恩人を頼んだぞ。光莉」


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