ep1-5

 ベットに一頻り八つ当たりして落ち着いた私は天井をただひたすら静止画のようにぼーっと見つめながら、下の階で対談する父とクリスカさんの事を想像していました。


 その内容は恐らく、私の処遇。お互い数時間とはいえ、あんな立ち振る舞いをされては業腹でしょう。それも明確な上下関係が存在する吸血鬼と使用人だった少女の間柄です。言い訳は愚か、弁明の余地もなくこの家にすら居られなくなってしまう。


 大袈裟のように聞こえますが、最後の最後で家の名にも泥を塗ってしまったのです。事の重大さに眼をやると、眼が潤んできました。


 気が付いたのか、部屋で私の世話をこなす使用人がベットの縁へ静かにハンカチを置いてくれました。恥ずかしさで思わず袖で拭ってしまいましたが、頭を上げてその背中に軽い会釈をして感謝します。


 すると、扉を控え目にノックする濁音が微かに聞こえました。


「お嬢様、お客様がお見えです」


 そう声を掛けられても、再び体重を預けた私はもう微動だにしませんでした。思考の迷宮に迷い込んだままで、扉が開いて中に入ってくる影にも、その人物の言葉で部屋から出ていく使用人の雑音にも、気が付きません。


 そして、白色の光をその相貌で経たれた時、驚いてまた悲鳴を上げてしまいます。


「のわぁぁぁぁぁ!」


 あまりに唐突すぎるクリスカさんの登場に私は片手で布団を握りしめて壁際に後退りします。


「ちょっと、驚きすぎよ」


「ど、どどどど、どうされたのですか?!」


「どうって、もうすぐ朝でしょう? だから眠たくて」


「ベットとか棺なら他の部屋に空いている箇所がありますので! 今、私めが案内致しますから」


 飛び起きて部屋着のまま、連れ出そうとします。


 しかし、それを断ち切ってしまうように、クリスカさんはさっきまで私が寝ていたベットへ倒れこんでしまったのです。


「んにゃは。眠たくて立ってでも眠れてしまいそう。アザラシみたいに」


「あの、起きててください」


 このまま爆睡されてしまっては、私一人で運べるかどうか。家の使用人に手伝ってもらうのも、今なら自分で出来ることをわざわざ頼むのは気が引けて、部屋から離れるのを止め、踵を返して傍へ寄ります。


 そして彼女の冷たい身体に触れようとした瞬間、腕を掴まれるとベットへと引き戻されました。


「びっくりしたでしょう?」


 言葉が出ません。視界が派手に横回転したと思ったら、クリスカさんの表情が目に飛び込みます。


 転げてしまったのでしょうか。引き込まれたように感じた腕もそれは気のせいで、足を踏み外してしまったから。また失礼を働いたとも思いましたが、鋭く煌いた真紅の瞳と艶やかな金髪の背景には、さっきまで眺めていた天井があって、不審に思います。


 けれど、焦って状況も分からずに謝り、立とうとします。


「申し訳ありません! あの、すぐに準備しますので!」


 力を込めて腰と足を上げようとしたとき、そこに強い力で抑え付ける冷たい何かが当たっている感触に気が付きます。


 私はクリスカさんの身体に沿って視線を足元へ落とすと、自分の身体にクリスカさんが乗っていたのです。さらに思考が混乱します。


 なぜ、馬乗りにされているのだろうと。


「ねぇ、こっち向いて」


「は、はい!」


 足がガクガクと震え始めました。無言で身体の自由を奪われた恐怖です。無礼への罰がこれから与えられるのだと、確信しました。


 しばらく瞳をじっと見つめられて、彼女の身体と口角の上がった口元が落ちてきます。瞼をぎゅっと瞑ると、淡く笑って頭の後ろに手を回すと、抱き上げるように私の顔を埋めます。


「ごめんなさいね。私達のせいで、こんなに傷つけてしまって」


 酷く悲しく、許しを求めているような声音でした。じっと抱擁されてから、ワンピースドレスに被さっていた視界が開けると、クリスカさんは私を見つめて呟きます。


「私達の傲慢で、あなたが傷つき病んでしまったこと。許してくれますか?」


 瞳を見るなり、クリスカさんの顔が歪んでいきます。先入観が薄れていき、私は気付かされます。


 このお方は誰よりも慈悲深く優しいのだと。でなければ、他人が他人に与えた痛みに自ら許しを請うことなんてしません。


「——痛かったです」


 私は声に出して言いました。素直な感想を、回りくどい言葉などで誤魔化さず、クリスカさんに言いました。


 とても、とても痛かった。目の前で血を吐き捨てられたりもした。屋敷を去るときの軽蔑するような目にも刺された。苦しくて、悔しくて、どうしようもないと諦め続けた。家の名を傷つけて家族にも迷惑を沢山掛けてしまった。


 ついには家の使用人になることを受け入れてしまった。今更、謝られたってとも思った。


 込み上げてくるのはそんな痛みの数々。灰黒の流星を見た時からクリスカさんはその様に思われていたと、背負うことを決めたのだと知ります。


 吸血鬼からしたら、ほんの一瞬の出来事だったはず。たった一人の、落ちぶれ廃れていくだけの使用人だった私の凄絶な痛みをこのお方は一人で引き受けようとしてくれていたのです。


 凍り付いてしまいそうな肌がとても暖かく感じられました。呼吸も乱れて泣きじゃくる私を離して、目配せをします。


「辛い思いをずっとさせ続けたこと、吸血鬼の長だった者達の一員としてあなたにお詫びしたい」


「ちょっと変ですよ」


「変?」


「確かにいっぱい酷いことをされました。でもクリスカ様は、クリスカ様です。私に謝る道理なんてどこにもない」


 けれど、彼女が背負う必要なんてどこにもありません。恨んでもいません。だから、私を連れ出したときの笑顔を、吸血鬼には似つかわしくない燦然と輝く笑みを濁さないでください。


 懇願を言葉に出力しようと口を動かした時、声が被ります。


「クリスカ様」


「光莉」


 重なった地点で押し黙ると譲り合いが始まって、結局はクリスカさんが喋ることになり、黙々と耳を傾けました。


「もし、もしさ。私の旅のお供になってほしいって頼んだら、あなたは引き受けてくれるかしら?」


 言葉の真意はそのままで理解するのにそれほど時間は掛かりませんでした。けれど、私は即答できず、目線を彷徨わせます。


「こっちを向いて」


「えっと、あの、ひゃっ」


 ベッドが私の身体を優しく受け止めす。


「どうなの? 私の隣に来るか、それとも、この屋敷の壁を見るだけの人生を送るか」


「考えさせ」


「ダメ。私にはあまり残ってる時間がないの。ここで決めなさい」


 迫られてしまい、さらにおどおどと目まぐるしく視線が迷い、沈黙を作り出してしまいました。


 何もできない私を連れて、あなたになんのメリットがあるのでしょうか。黙りこくって、私は答えを出し渋ります。


 すると、私の疑念を察したクリスカさんは、不意に牙を立てて首筋に唇を差し向けます。


「吸っちゃ、ダメです!」


「抵抗しない。はい——力抜いて」


 拒絶。失望されたくないと、私は身体を捩りますが、それも呆気なく吸血鬼の力の前に捻じ伏せられてしまいます。


 辛うじて動く頭でクリスカさんの方へ向くと、獲物を前に涎を垂らす獣が、私の首筋に狙いを据えています。


 僅か数瞬で私は首筋を奪われてしまいます。何度も差し出したこの素肌と血を、拒絶され続けた鮮血を、強引にクリスカさんは口を付けます。


 脱力感にジワジワと体中へ広がる快楽。抵抗していた身体は力なくマットに落ちていつの間にか悶え始めてました。


 喉を鳴らして訴えます。血を吸ってはなりませんと。矛盾するようにもっと、もっとくださいと。願っていました。


 そんな願いの一つを叶えるクリスカさんの喉がペースを上げました。謙虚だった快楽の波が血液の流れ出す勢いに呼応して、波形を大きくなりました。


 きっとお互い初めて味わう感覚にまだ慣れていないのです。私の身体はクリスカさんの拘束を振り切って、思い切り跳ねました。


 理性が、感情が、意識が、巨大な波に攫われてしまいます。締まることを忘れた口元からだらしなく涎を垂らして、どこに焦点があるかもわからない私の眼に、少し驚いて震えを帯びる声音でクリスカさんが語り掛けます。


「あなたの血、皆が口々に噂するほど不味くない」


 その表情は少しだけ軋んでいます。私は瞼が完全に閉じ切る前の暇に、口角を上げて微笑みました。


 嘘だとしても、気休めや気遣いでも、否定されなかったことが嬉しかったのです。この家から旅立った頃は何気なかったはずの感情に、私は流されるがまま、意識を身体の水底へ落としていきました。


 次に裏切られるその日まで、そんな嘘でも私の心の支えになっていたと思いました。すがるような思いで、しがみつこうと暗い意識とも呼べる感覚が残らない頭の片隅で誓ったのでした。


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