第2話:ぼくの世界はまだ知らない

◇◇◇



#1 教室の不自然な静けさ


教室・午前8時10分 — 雪村蒼真の日常


春の訪れは、神楽市を優しい色彩で包み込んでいた。

進学校として知られる神楽高校。2年2組の教室には柔らかな陽射しが差し込み、窓の外では桜の花びらが静かに舞っている。


窓際の最後列。

雪村蒼真は、この春の穏やかさにどこか致命的な違和感を覚えていた。


(……あまりに平穏すぎる)

(まるで、嵐の前の不自然な静けさのように)


教師の板書するチョークの音、クラスメートの囁き声――すべてが遠く、霞んで聞こえる。自分だけが透明な壁に隔てられ、この穏やかな季節の外側に立っているような感覚。


「おい蒼真、また上の空か? 春の雪崩注意報でも出てんのか?」


隣の席の藤堂とうどう ケンが、気軽に声をかけてきた。明るく社交的で、蒼真の数少ない理解者の一人だ。


「……ごめん。ちょっと、ぼーっとしてただけ」


蒼真はそう返したが、視線は再び窓の外へと向かっていた。この平和が、いつまで続くのか――そんな不安が、彼の心を締め付けていた。



◇◇◇



#2 遥か過去の蜃気楼


温かな春の光が教室を満たす中、蒼真は無意識に空を見上げた。


その時――それは起こった。


街の上空、雲の彼方に、ありえない光景が蜃気楼のように揺らめいた。


雪に覆われた巨大な城塞。

中世ヨーロッパを思わせる、古く巨大な石造りの城壁。

氷のように冷たく輝く塔。

そして、白金色に光る複雑な魔法陣。


――異世界と現代世界の境界レイヤーがわずかに乱れ、向こう側がのぞいた瞬間だった。


(あれは……?)

(まさか、お城……?)


蒼真は思わず目をこすった。

次の瞬間、蜃気楼は粒子となってかき消えるように消えていた。

まるで最初から何もなかったかのように。


しかし蒼真の胸には、鋭い寒気が突き刺さった。

初めて見る光景なのに、なぜか懐かしい――そんな矛盾した感覚に襲われる。


「……見間違い、じゃない」


俯いて表情を隠す蒼真。しかし、彼の心臓は激しく鼓動を打ち続けていた。

あの一瞬、確かに異世界が現実と重なって見えたのだ。


この日常が、もう長くは続かないことを、彼は直感していた。



◇◇◇



#3 転校生、冬崎ふゆざき永瑠えるの登場


昼休み前、担任の香坂先生が教室に現れた。


「みなさん、静かに。今日から新しいクラスメートが加わります」


ざわつく教室の中、扉が開かれた。


冬崎ふゆざき 永瑠える――その少女は、春の穏やかな空気の中に、突然現れた冬の精霊のようだった。


夜のように深い黒髪。

光を透かすほど白い肌。

そして、氷の奥に炎を宿したような、鋭くも美しい深紅の瞳。


――彼女が現れた瞬間、教室の空気が一変した。


蒼真は、永瑠の首筋に一瞬浮かび上がった赤い線に目を奪われた。


(あれは……?)

(傷? それとも……封印コード?)


それは、蒼真の魂が永瑠の本質を感知した証だった。


冬崎ふゆざき永瑠えるです。この街に……縁があって参りました。よろしくお願いします」


感情を排した平坦な声は、かえって彼女の神秘性を際立たせた。


席に案内され、蒼真の横を通り過ぎる時、ほんの一瞬、二人の視線が交差した。


永瑠の瞳には、「ついに見つけた」という強い意志が光っていた。


蒼真は息を飲んだ。まるで長年探し求めていた宿命のものに、ようやく出会ったような感覚に襲われた。



◇◇◇



#4 事件の予兆と蔵の呼び声


放課後、蒼真は永瑠のことを考えながら下校していた。


その時――世界が激変した。


気温が急激に低下し、桜の枝がガラスのように凍りつくように震え、街中の電気が一斉に消えた。


携帯電話から緊急速報が鳴り響く。


『神楽市上空にて前例のない時空の歪みが確認されました――』


ニュースキャスターの背後に映る映像は、まさに異常事態を示していた。


空が裂けている――先ほど幻のように見えたあの城塞へと続く、巨大な裂けゲートが。


(来たんだ……)

(あの幻は、警告だった)


そして次の瞬間――


キィィィィィ……ン


金属が軋むような、魂を揺さぶる音が響き渡った。


――方向は、蒼真の自宅にある蔵から。


蒼真は既に走り出していた。

理性で考えるより先に、魂が叫んでいた。


「行け。刀を取れ」


それは、妖刀「焔生ほむすび」が数億年の時を超えて、主である彼を呼び続ける共鳴の声だった。

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