想章 私の大切な友達

 ーー*三三屋みみやかえで*ーー


 私が髪を染めたのは、両親に対する最初の抵抗であり、叛逆の意味を込めた意思表示の狼煙でもあった。

 それまでの私を一言で現すなら、操り人形。私は両親にとって、自負心を満たすための道具でしかなかったのだ。 

 小学校の頃から勉強漬けの日々、さらにはピアノや習字、バイオリンなどの習い事の掛け持ちは当たり前。しかも、これはほんの一部でしかない。

 中学生になると塾にも通わされ、私は言われるがままに日常を捧げてきた。

 お陰で友だちは一人もできなかった。勉強に明け暮れた日々のせいで同級生と接する機会が少なかった私は、他者との距離感の掴み方や、会話をうまく成立させる方法がわからなかったのだ。

 私はひとりぼっちだった。

 友人。恋人。スポーツ。青春。

 そんな日々を謳歌する同級生たちを横目に、何度羨ましいと思ったことか。

 大学進学を機に私は決心した。

 今のこの環境から脱却を図るために、勇気を振り絞って髪を染めた。

 いわゆる大学デビューというやつだ。

 それだけじゃない、これは叛逆でもあるのだ。そう…これは子共の私が親へと贈る、遅めの反抗期。

 私が『人形』から『人間』へとなるために、最初に選び取った大きな一歩。

 私は今度こそ、私の青春を掴み取るんだ。


 ー

  

 髪を染めたことによって、以前より強くなれた気がした。まるで鎧を身に纏ったかのようだ。

 だけど、私を守っていた自尊心の鎧も、他者を前にしてしまえば、紙屑も同然に呆気なく吹いて消えてしまう。

 そうなったのは、大学生活が始まって数日が経ったときのことだ。

 雲一つない青空の下、大学の講義は終わりを告げ、その日は帰宅するだけとなった。何者にも縛られない念願の一人暮らしを享受する私は、未だに人付き合いだけは苦手としており、人目を避けながら校舎を出た。しかし、人の行き交う正門前では、私も覚悟を決めざる終えない。

 最大の難所は息と止め、気配を殺して通過する。そうすることで存在を消せた気になった。息をすれば存在を悟られてしまう。何かの映画で見たことがある。

 しかし映画から伝授された透明化の秘術は、スカした風貌の、いかにも遊んでいそうな優男二人に呆気なく見破られてしまった。声をかけられ、たじろぐ私。

 新入生の女の子に片っ端から声をかけまくっているという迷惑極まりない輩がいることは、何度も見かけていたので私も知っている。

 大抵は声をかけられても軽くあしらわれるだけの不憫な存在だ。

 しかし、陰気コミュ障を拗らせた私にとっては、もっとも警戒すべき人種だろう。

 なにしろ執拗に言い寄られてしまえば、私は自分の意思に反して首を縦に降ってしまいそうだからだ。だから、そういった人とのエンカウントを避けたかったというのに、とうとう私の命運は尽きてしまったようだった。


「君可愛いね~、この後暇?」


「俺たちが奢るから遊ぼうよ」

 

 あまり人と関わることのなかった私は、「あの」「その」と言葉を吐き出そうとしては飲み込むだけの、永久機関と成り果ててしまった。その輪廻から脱出するため、遺恨が残らない言葉を全力で探し回る。そしてまた、ゴクリと飲み込む。

 

「こら~!このが困ってるでしょうが!」

 

 そんな折、見知らぬ人物が庇うようにして、私の目の前に忽然と現れた。ヒラリと舞うシルクのように長い黒髪。美人だと直感でわかる、凛とした女の子の後ろ姿に、私の思考は一瞬にしてクリアになった。


「大丈夫かい?」


 颯爽と彼女は小さく振り返る。

 ややあどけなさが残る横顔に、可憐で溌剌はつらつとした佇まい。千人中、千人が彼女を視界に収めれば「可愛い」「美しい」など、絶賛することは間違いだろう。

 そんな彼女の登場は優男たちにとっても都合が良かったようで、その女の子のことも、二人は気持ち悪い視線で舐め回した。


「ねぇ君、良かったら俺たちと…」


「あっ…ごめんなさい。私、彼氏いるんで」


 優男の言葉を遮って、彼女はきっぱりと拒絶した。

 数歩たじろいだ優男だったが、それでもしぶとい粘着力を見せる。

 こういった手合いは私が特に苦手とするところ。身の危険を感じだ私は、助けに現れた名も知らぬ彼女に声をかけた。

 

「あのぉー…」


 流石は「あの」「その」永久機関。こういう時でも平常運転な自分が恨めしい。


「大丈夫だからね」


 彼女は振り返るや、弾けるような笑顔を見せた。

 

「まっ、に任せてよ!」


 その太陽のような微笑みに、震えていた手も自然と落ち着きを取り戻した。

 何か策でもあるのか、彼女は優男に視線を戻す。そして不適にニヤリと笑った。

 

「おっ、来た来た!おーい、こっちこっち、助けて~」


 助けを求める者とは思えない軽いトーンで、彼女はブンブンと手を振って救援を求めた。どうやらツレがいたようで、校舎から出てきた二人の男子は彼女を見つけるや異様な空気を察知して険しい表情を浮かべた。

 一人はいんのオーラを放つクールな男の子だった。陰とは言っても、私が纏っている陰湿な気配とはまるで違う。孤独ではなく孤高、近づいてくる者を凍てつかせるような力のある存在感を放っていた。私も彼と目が合って、心臓が凍りついたかと思った。

 だけど、もう一人を視界に捉えた瞬間、私の心臓は普段の調子を取り戻した。


「茶待?」


 その一人とは、私の幼馴染だ。

 幼稚園の頃からの腐れ縁にして、そしてこれまで、首席の座を争ってきたにっく宿敵ライバルでもある。

 そんな幼馴染の登場に面食らったが、同時に安堵もした。


「おい…」


 幼馴染がドスの効いた声を発するや、優男たちはビクリおののいた。それもそのはず、茶待は温厚な性格だが、鋭い眼光と平均よりだいぶ屈強なガタイの持ち主だ。そんなダブルパンチで凄まれれば、睨まれた相手が石化したように萎縮してしまうのは無理もない話である。


「俺のツレに何かようか…?」


「いや…何でもね~よ」


「あっー!用事があったんだー!それじゃ」


 蛇に睨まれた蛙…とまではいかないが、恐れをなした優男たちは尻尾を巻いて去っていく。小さくなっていく背中を見て、ようやく訪れた平穏に、私はようやく息をすることを思い出した。

 ところが私を庇ってくれた女の子だけは、やや不服そうに頬を膨らませた。


「え、おしまい?ちょっと~、ここは一人の女の子を巡って、青春大乱闘を始めるところでしょうよ!なんで逃げちゃうのさ、意気地なし~」


「何を言い出すんだ君は…」


 クール男子君は呆れたような溜息をついた。茶待も同様に眉をひそめる。

 

 「本当だよ。俺、殴り合いなんて兄貴としかしたことねぇし。一対ニや二対ニだろうと、喧嘩なんてする気はないぞ」


「何言ってるの?ニ対三でしょ?」


「さらっと混ざる気でいたんだね。よかったよ、余計な血が流れずに済んでくれて」


 クール男子君の物言いは、彼女を心配するというより、多勢に無勢で袋叩きにされていたかもしれない優男たちの身を案じた言葉に思えた。


「てか、楓は大丈夫だったか?」


 急に表情を硬くて、茶待は慌てて私のもとに歩み寄る。特に何をされたというわけでもないので、私は大丈夫だと頷いた。

 すると黒髪の彼女が、キョトンとした顔で私と茶待を交互に見やった。


「なに?茶待君の知り合いだったの?あっ!もしかして彼女さん!?」


 鼻をフンッと鳴らしてピンク色の妄想を膨らませる彼女に対して、私は誤解を生まないよう、無意識に「違います!」と声を荒げていた。知らない人の前で大きな声を出したものだから、恥ずかしさで顔がグツグツと茹だっていく。醜態をみられたくなくて、私は両手で自分の顔を咄嗟に隠した。


「なんやこの子。めっちゃ可愛いやんけ」


「俺たち幼馴染なんだよ」


「幼馴染?マジで?てっきり都市伝説かと…」


 冗談を言う彼女に、男子二人は笑って返す。大学生活が始まってまだ数日、早くも人の輪の溶け込んだ幼馴染を見て、私はつい羨ましく思ってしまった。


「ねぇ、貴方。名前はなんていうの?」


 そう訊かれ、私はあたふたと頭を下げた。


三三屋みみやかえでです。さっきは助けていただき、誠にありがとうございました!」


「楓ちゃんね。いやぁ、当然のことをしたまでさー」


 そう言いながら、彼女はテレテレと頬を緩ませた。


「というか、そこまでへりくだった喋り方しなくていいんだよ?同い年でしょ、私たち」


 それもそうなのだが、知らない相手なら何者であろうと、へりくだってしまうのが私のさが。そして、陰キャコミュ障の私に搭載された標準の対人機能だ。

 というか、初対面の相手に砕けた感じで話すのなんて無理。『コイツ馴れ馴れしいな』なんて、後で陰口叩かれるのが怖い。


「いやな、楓はこう見えてよわい百歳の…」


「さーじー!」


 横から幼馴染が茶化してくるものだから、彼に対して頭の血管がプチッと切れた。

 コイツは知らない間柄でもないので、私の対人機能の許容範囲外にある。

 小中高と、いっつも涼しい顔をして、テストで高得点を叩き出す、そんな彼のことを私は好きではない。

 彼は努力を知らない。努力してきた私から見れば、茶待は天然物の天才なのだ。

 だから私は、この幼馴染のことが嫌いなんだ。

 私は茶待の顔面に、両手の平をこれでもかというくらい執拗に押し付けた。


「あっ、ちょっ、やめ、やめろ…。それやめろって!」


 そんなやりとりを傍観者二人は微笑ましそうに見ていた。

 ハッと視線に気づき、耐えかねた私は、茶待を盾にして体を縮こませた。


「おいおい、俺の背中に隠れるんじゃねぇよ。子供かお前は!」


 茶待の言う通り、さながら私は、見知らぬ人に声をかけられた幼子だ。


「う、うるさいな!」


 いや、挨拶ができるぶん、幼子の方がマシかもしれない。

 そんなことを思っていると、ふいに黒髪の彼女が妖しく笑う。


「ふふふふふ、このめっちゃ可愛い。ほーら、よしよしして上げるからこっちおいで~。ほらほら怖くな~い、怖くないよ~」


 ユラユラと黒い髪を揺らすと、彼女は両手をワキワキと開いたり閉じたりしてにじり寄ってくる。その瞳は、やや血走っていて少し怖かった。警戒心MAXな私は逃げるという選択肢が頭に浮かんだが、


「ゲットだぜ!」


「うひゃあ!」


 すぐさま彼女の両腕にヒョイっと抱きつかれてしまい、その選択肢はやむなく断念した。

 その後の私は成す術なく、よしよしと頭と全身をまさぐられた。不思議とイヤではなかった。人と触れ合うのは何年ぶりだろうか。人の感触と温もりが、肌の接触を通して伝わってくる。

 そして彼女は私を前にすると、何かを思い出したようにハッと天を仰いだ。


「そうだ!まだ私の名前、まだ言ってなかったよね。私の名前はね…」


 そう言うと、彼女は自身の名を口にした。

 どこでも聞くような親しみのある名前だけど、『日野』という姓も相まって、将来に希望を抱いてしまうような、よく笑う彼女にぴったりな名前だと思った。

 その後、クール男子君…もとい木ノ橋翔楼君も自己紹介してくれた。


 この出会いは、今日だけの泡沫のような出来事。きっと明日にでもなれば、私の存在は記憶の片隅で燻るだけの、取るに足らない思い出の紙片となっていることだろう。このときの私はそう思っていた。

 ところが、そうはならなかった。

 翌日から私の日常は一変する。


「お~い、楓ちゃ~ん。一緒に遊ぼうぜ~ぃ」


「ひ、日野様!」


「ぶふっ!なんで様付け?やっぱり楓ちゃん面白な~。ギャップ萌え!」


 さらに翌日。


「ほ~ら、恥ずかしがらずに言ってごらん。私のなっまっえっ!勿論、『様』はいらないよ~」


「で、できません。出会って数日の人を下の名前で呼ぶなんて、私には無理です~!」


「あちゃー…。茶待君から訊いてたけど、ここまで重症だとはねぇ。そうだ!私、いいこと思いついちゃった!」


 私にとって下の名前で呼び合うなんてのは、親しい者同士ができる高度な交流手段だ。互いの親密度すら測れるその行為を、内向的な私は本能的にはばかられた。

 そしてさらに数日が経った頃。


「ヒ…」


 彼女はニヤニヤとしながら、期待の眼差しを私に向ける。


「ヒノノン…」


「よくできました!ほれ、ご褒美によしよししてあげよう。よしよしよしよし~!」


 私の都合などお構いなしに、彼女は何度も話しかけてくれた。恐れ多くて下の名前も呼べない私に、彼女は折衷案せっちゅうあんとして、『ヒノノン』という呼びやすい愛称までくれた。

 無論、最初は戸惑った。私なんかに構うなんて、何か裏があるんじゃないかと勘ぐったこともある。

 でもこの数日に彼女と行動を共にして、彼女の人柄はなんとなくわかってきた。

 ちょっとお頭はアレなところがあるけど、彼女は誰にでも優しくて、周囲に笑顔を絶え間なく振りまく、太陽のように眩しい人だ。

 まるで私とは正反対。近くにいるいるだけで、私の陰のオーラが私諸共もろとも浄化されていく気がした。

 もう一度言うけど、彼女は私とは正反対だ。この世でもっとも遠い存在、それなのにやたらと距離が近い。


 ヒノノンに振り回されるまま、うつらうつらと日々が過ぎた。

 共に講義を受け、お昼を一緒に取る。

 私の警戒心が薄れてきた頃には、木ノ橋君と茶待も一緒に、休日に遊ぶようになっていた。

 カラオケ、ラウンドワン、ゲーセン、流行りの喫茶店にショッピンング。これまでの日々で一度も訪れることのなかった場所に、私たちは何度も足を運んだ。

 そうしているうちに、一人ぼっちたった頃とは違う温かい感情に満たされた。

 そして気づいたときには、私は以前の自分と違う、

新しい私になっていた。


「楓、なんか前より明るくなったよな」


 幼馴染にそう言われ、私は頭を捻った。


「そうかな?うん、そうかも。ヒノノンとみんなのおかげだよ!」


「ミミちゃ~ん!そんなこと言ってくれるの?嬉しいよ~」


 ヒノノンは喜びのあまり、私をギュッと抱きしめた。


「ちょ!ヒノノンくすぐったいよ~。ゴメンね翔楼君、彼女さんは私にメロメロみたいだ」


「頼むミミ。僕の彼女なんだ、返してくれないか?」


 そんな冗談を言い合える仲へと、私たちの関係は進展していた。

 

 ー


 季節は夏。待ち合わせより随分早く到着した私は、喫茶店でミルクと砂糖をブレンドした甘いアイスコーヒーを啜って時間を潰していた。店内の窓から外を覗くと、活気と熱にに満ちた街並みを、季節に流行したオシャレな服装の人々が颯爽と行き交っていた。

 その景色の中に見覚えのあるシルエットを見つけ、私は慌てて席を立ち会計を済ませた。

 

「ミミちゃんゴメンね~。待った~?」


「ううん。私も今来たところ」


 ヒノノンと合うのが楽しみで、本当はもっと早くに着いていたなんて恥ずかしくて言えない。


「じゃあ行こっか」


「うん」


「そういえば翔楼の奴、最近付き合いが悪いなぁ。私というカワウィ~彼女をほったらかしにして何やってんだか」


「茶待は今日、好きなアニメの映画があるからって来なかったけど。たしかに翔楼君、用事があるからって何処か行っちゃうことが多くなったよね」


 茶待はともかく、翔楼君は私でもわかるくらい付き合いが減った。

 だがそんな話よりも、ヒノノンは映画の話に興味をそそられたようで、今日のスケジュールは、私たち二人で映画を見に行くこととなった。


 ポップコーンを片手にいざ開映。

 ヒノノンの要望に応えて、観ることになったのはファンタジーのアニメ映画だ。

 内容は中世より古い時代、世界のことわりからこぼれ落ちた一体の怪物がたくさんの人を食べちゃうんだけど、ある女の子との出会いをきっかけに少しずつ人の心を知り、人間と成っていく物語だ。

 だけど最後に怪物は、新たに生まれ落ちた怪物の手によって女の子と離れ離れになってしまう。そして、あまりにも悲しい結末を辿った。

 というかこれ、茶待が観るって言ってた映画のような…


「うええぇぇぇぇん。悲しい…悲しいよ~」


 映画鑑賞が終わって近くのお店で昼食を摂った。スパゲッティをすすりながら涙と鼻水を垂れ流すという高度な芸当を見せつけてくれたヒノノン。食べ終わるや否や、映画館で手にした戦利品を漁りはじめた。戦利品といっても、ただの限定グッズだけど。


「いやぁ…泣けたなぁ。おっ!これ私が欲しかったヤツ!ラッキー!」


「ああいうの好きなの?私には、あの結末は悲しすぎたなぁ」


「好きっていうか、あれって私が呼んでる原作漫画の遠い昔のお話なの。私はアニメから入ったんだけどね。これが泣ける泣けるってーわけよ」


 それからヒノノンは、その原作のラノベについて私にもわかるように、それはもう熱く語ってくれた。

 茶待がいれば、この場はさらにヒートアップしていたことだろう。

 以外な二人の共通点に、次あるかもしれないラノベ話に私もついていけるよう、食い入るように耳を傾けた。


「でも、あの終わり方は本当にショックだったなぁ」 

 

「安心してよ。終わりはあんなだったけど、原作の方では二人は生まれ変わってちゃんと再会を果たすんだよ。まぁ、あんまりネタバレはよくないよね。気が向いたら、アニメかラノベ、もしくは漫画を観るといいよ。オススメするから」


「そうなんだ、よかった~。茶待がラノベを持ってだろうし、ちょっと読んでみようかな」


 終わりが終わりだったばかりに、違う形であれ二人かまた巡り合うと聞いて、私の中に芽生えていたモヤモヤが少しだけ晴れた。

 そしてヒノノンは新しい趣味仲間の誕生に、またも鼻息を荒くしていた。


「あの物語ってたしか、『愛』と『居場所』がテーマなんだよね~」


 そういったテーマを、映画を鑑賞した後に聞かされると、たしかに話の内容とガッチするものがあった。

 怪物は産まれたばかりの頃、心というものを知らなかった。だけど人を食べることでその情報を獲得して、言語を知り、道すがら女の子と出会ったことで、少しずつ人間としての成長を果たしていく。

 そして愛を知り、怪物は女の子を拠り所にした。女の子も同様、人になった怪物を愛した。上映中に感極まった私が、幸せになってほしいと心から思うほどに。

 でもその『愛』は報われることはなかかった。

 ここからは知っての通り、新たに産まれた怪物の手によって、二人は離れ離れになってしまう。正確に言うと、女の子が死んでしまったのだ。悲しいことに。

 ここから先を知るには原作を読むしかないようだ。少しネタバレをくらったけれど、ヒノノンが推すんだからきっと面白いに決まってる。

 そうに…違いない…。

 …映画みたいな鬱展開じゃないよね?


「居場所といえば、ミミちゃんにとっての居場所ってー…何処だい?」


 ムフフと笑うヒノノンから、哲学を孕んだような疑問を唐突に投げかけられた。私は反射的に思考を巡らせた。

 居場所、その言葉で最初に思い浮かぶのは私が暮らすマンション、あるいは両親の住む実家…だろうか。

 しかし、この答えでは安直過ぎるかもしれない。なにしろ彼女は期待に満ちた表情で、私の返答を今か今かと待っている。

 ひょっとしたら私は今、試されているのかもしれない。


「わ、私の居場所は、みんなが居てくれる場所だよ。ヒノノンが居て翔楼君が居て…あっ!あとついでに茶待ね。大好きな友達が集まる場所こそが、私の大切な居場所なんだ、と…思う」


 つらつらと思ったことを口に出した。

 以前の私なら、そんな言葉を吐くこともなかっただろうし、言える勇気もなかった。友達という存在が、私を強くしてくれたんだとしみじみ思う。

 その甲斐もあって、私の選んだ答えはヒノノンにとって、大層満足のいくものだったらしい。

 鼻を大きく膨らませて、それはもうご満悦の様子。

 

「おっ!嬉しいこと言ってくれるね~。でもね、私もおんなじなんだよ。ミミちゃんと翔楼と茶待君。みんながいる場所が、私の大切な居場所。それにしてもミミちゃんの口から平然とそんな言葉が出るなんて、ミミちゃんもだいぶ私たちに溶け込んだね~」


「ふふ、たしかに。そういえば、もうすぐ予定してた夏祭りだよね。私、友達と夏祭り行くの初めて!凄く楽しみ。そうだ!ヒノノンってお祭りは浴衣着て来るの?」


「うん。翔楼が私の浴衣姿見たいって言ってたからね。煩悩彼氏様の御要望に応えて上げるんだ。ミミちゃんは?」


「私は、う~ん、どうしようかな…。浴衣なんて着たことないし…」


「えっ、着たことないの?だったらなおさら着なよ。人生で一度も浴衣着ないなんて勿体ない。ミミちゃんは可愛いんだから絶対似合うよ!うん、私はミミちゃんの浴衣姿見たい!茶待君もきっと喜ぶよ!」


 何故、そこで茶待が出てくるんだろうと不思議に思った。まぁ、茶待についてはどうでもよかったので、深く追求するようなことはしなかった。

 今年の夏は、人生初の友達と一緒の夏祭り。内心、楽しみで仕方がない。せっかくなので、私も浴衣を来ていくことを約束して、その日はヒノノンと別れた。

 

「楽しみだなぁ、夏祭り!」


 ー


「ミミちゃ~ん!あけましておめでとう!」


「ヒノノンも、あけましておめでとう!」


 楽しい時間というものは瞬くように過ぎ去っていくもので、熱気に満ちていた夏祭りが、つい昨日のことのように感じられる。

 人生で初めて着た浴衣。綿飴を頬張って口周りをベチャベチャにした茶待。可愛い彼女さんに振り回される翔楼君。圧倒的エイム力で射的屋の店主を半泣きにさせたヒノノン。祭りの最後を締め括った圧巻の打ち上げ花火。

 本当に楽しい一日だった。

 それからの日々も、かけがえのないも思い出として大切に胸にしまってある。

 それだけ、みんなと一緒にいる日常が私には充実したものだった。

 

「ヒノノン、その着物可愛いね~」


「ミミちゃんも似合ってるよ~」


 本日はめでたい新年の始まりということで、いつもの面々で初詣はつもうでへと足を運んだ。神様のお社は、右も左も新年の無病息災を祈る参拝者であふれかえっている。私たちも神様の祝福をほんの少しでも賜るために、賽銭箱に心ばかりの賽銭を投げ入れて早々に参拝を済ませた。なにしろ、この温暖化問題が深刻化するご時世に珍しく、コンコンと降りしきる花びらのような雪によって、世間は白銀の世界へと染まりきっている。

 簡単に言うと寒い。すっごく寒いのだ。


「じゃあ、最後におみくじでも買って帰ろっか。このあとはみんなでコタツで温まりながら、マリオパーティでもしよう。ズビ……」


 極寒の中では、太陽の如きヒノノンすらも、いつもの元気がヒエヒエに凍えきっていた。心做こころなしか表情も青い。どうやら寒いのは苦手らしい。なんだか、ミッ◯ィーに見えてきた。可愛い。

 翔楼君が笑いながら「結局、やってることいつもと一緒だね」と呟いているうちに、社務所へと到着。一人ずつおみくじを購入していく。


「俺、中吉ちゅうきちだ。まぁ占いなんてこんなもんだろ。なになにぃ、恋愛成就?」


 一番乗りでおみくじを手にした茶待は、早速に中身を確認すると可もなく不可もなくといった絶妙な表情を浮かべた。続いて私も手にしたおみくじを開封する。


「うわ~、私凶だよ。嫌だな~」


 新年早々、神様の残酷なお告げに絶句する私。しかし私の横では、私以上に深刻な表情で、おみくじを見つめているヒノノンの姿があった。


「ぐぬぬ、大凶…だと?ちくしょーう!翔楼!翔楼はどうだった?」


 ヒノノンは慌てて翔楼君に振り返った。彼は自分のおみくじを目にしながら、顔色ひとつ変えずに呟いた。


「僕も大凶だ」


「なんにぃ~?見せて見せて!」


 翔楼君の手からおみくじをひったくると、その記載された内容にヒノノンはさらに青い顔をしだした。


「うわ~、本当だ。カップル揃って大凶とかすごく不吉…」


「まぁ、おみくじなんて所詮運試しだからね。必ずしも、書いてある通りになるとは限らないよ」


「もう、翔楼ってば危機感がないなぁ。そうだ!もう一回おみくじを引いて、この悪い運勢を上書きしよう。ちょっと待ってて」


 そう言うと、ヒノノンはスタスタと走り去って、社務所に並ぶ列の最後尾へと並んでしまった。

 

「これってありなのかな?」


「さぁ?」


 頭をもたげながら茶待に問いかけると、彼もわからんといった様子で肩を竦めた。

 そして彼氏さんはというと、どういう理由わけか、さっきは占いなんて信じるに値しない…みたいなことを言っていたにも関わらず、物憂げ瞳でおみくじを真剣に凝視していた。


「どうしたの?やっぱり不安?」


 ハッと我に帰った翔楼君は、ゆっくりとこちらに顔を向けた。


「さっきはあんなことを言ったけどね、僕だっていろいろと思うところはあるんだ」


「へぇ、意外。こういうの、まったく信じてないと思ってた」


「そうでもないよ。それに、このところ不幸続きでね、すがれるものがあるのなら神様にだってお祈りするさ。そのために神社ここに来たんだしね」


「たしかに」


 翔楼君の意外な発言に、私は思わず瞳を大きく見張らせた。

 すると突然、彼は普段見せないような神妙な面持ちで、私の方へと向き直った。


「なぁ、ミミ」


「なに?」


「僕はさぁ、こう見えて極度の心配性なんだ。僕もつきっきりで、■■彼女の隣にいられるとは限らない。だからさ、約束してくれないか?」


「何を?」


「もしものときは、君が隣で■■彼女を支えるって」


 翔楼君の言葉に対し、「もちろんだよ」と私は笑って返した。

 それよりも、なんだか今日の翔楼君はいつもより弱々しく映って見える。それだけ、おみくじの内容が悪かったのかな?


「おっまたせ~。へへー、どーよ!」


 そこへ、今年度の運勢を欲張ったヒノノンが、意気揚々と社務所から帰ってきた。右手には『大吉』と書かれたおみくじを、これ見よがしにぶら下げて。


「やっぱり!私はツイてる!」


「いや、これ…『大凶』の運勢を『大吉』で相殺しただけでは?」


「ちーがーいーまーすー!私の運勢は、すでに強運モードに移行したの!ほら、翔楼のぶんも買ってきたあげたからさ、早く開けてみて」


 ヒノノンはそう言って、反対の手からもう一枚のおみくじを翔楼君に手渡した。


「う~ん、なんだか憚られるな~。ズルをするみたいで神様に申し訳ない」 


「な~に言ってるのー。もう買っちゃったんだからさ、開けちゃいなよ」


 なんだか押し切られる形で、翔楼君は泣く泣くおみくじを開封した。

 途端に彼の口から、「あっ」っと素っ頓狂な声が漏れる。


「大吉だ」


 それを聞いて、何故か鼻高々に胸を張るヒノノン。

 

「ほらね、さっきの大凶は通り雨みたいなものだったんだよ、ただタイミングが悪かっただけ。もう私の強運はゾーンに入ってるんだ。翔楼!私の強運に感謝するんだね!」


 なんだそりゃ、と私たちは腹を抱えて笑った。

 さっきまであった翔楼君の弱々しい雰囲気も、いつの間にか消え失せている。


「ありがとう。それじゃあ僕も、■■の強運にあやからせてもらうとするよ」


 その落ち着いた口調も、冷静沈着な素振りも、いつもの翔楼君だ。

 だけど、最後に一瞬だけ滲み出た、哀愁が漂った瞳を私は見逃さなかった。

 最近の翔楼君はバタバタと忙しそうだし、悩み事でもあるのかもしれない。もしそうなら相談に乗ってあげたい。

 かといって、私如きが彼の悩みを解決してあげられるだろうか?


 …まぁ、ヒノノンがついてることだし、きっと大丈夫だよね。


 このときは、翔楼君が見せた僅かな違和感に憂慮したけど、その程度にしか考えてなかった。

 実際、それからも彼はそいつもと変わらない様子で私たちに接していたものだから、私の思い過ごしだったと自分の中で完結していた。

 ところが、翔楼君が見せた違和感は、のちに大きな波紋となって私たちに衝撃をもたらすこととなる。


 大学二年に進級してすぐ、ヒノノンが今までに見せたことのない今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で私と茶待の前に現れた。

 そのとき、私は初めて知った。

 ヒノノンや私たちの前から、翔楼君が消息を絶ったということを。


 ー

 

 翔楼君が音信不通になって数カ月。

 ヒノノンは気丈に振る舞っていたけど、内心では落ち込んでいることぐらい見てればすぐにわかった。

 そして彼女は、今も翔楼君を探している。私と茶待はもちろん。クラスの数人も捜索に協力してくれているけど、雲行きは難航しているのが現状だ。

 なにかのヒントになればと思って、翔楼君が姿を消す前、不審な点がなかったかヒノノンに尋ねた。しかし、特段これといった変化は見られなかったらしい。

 ところが話を最後まで聞いていると、私の中である疑念が芽生えた。

 そもそも翔楼君はどうしてヒノノンに別れを告げた後、大学まで辞める必要があったのだろうか。後ろめたかったとか?

 でも私の知る限り、彼は勉強熱心で、ドがつく程に真面目な性格だ。物事を途中で投げ出すような人物では決してない。

 どうにも引っかかる。そのことはヒノノンもわかっているようだった。

 もしかしたら翔楼君は、なにかしらの事件にでも巻き込まれて、だから人知れずに私たちの前から姿を消したのかもしれない。

 あくまでそういう可能性もある…という話もあった。


 翔楼君の捜索大事だが、私たちの本分は学生だ。勉強もおろそかにはできなかった。


「なんかゴメンね。いろいろ付き合わせちゃって…」


「ううん、気にしないでいいよ」


 翔楼君がいなくなって成績が極端に落ちた彼女を、私と茶待でサポートした。

 それが後ろめたいのだろうか、ヒノノンの表情には陰りが見えた。きっとこれまでは、成績の良い翔楼君が彼女の面倒を見ていたんだろう。途端にヒノノンの成績がガクッと落ちるたところを見ると、学面においては翔楼君の存在が大きかったことが窺える。

 それだけではない。時間を見つけては尋ね人を探しに街へ乗り出し、大学では居眠りをするほどに、ヒノノンは疲れ切っていた。

 まるで今のヒノノンは、太陽を見失った向日葵ヒマワリみたいで見ていて辛い。

 ヒノノンのためにと、私も意気込みを見せた。

 

……早く、翔楼君を見つけなきゃ。

 

 しかし、その熱意も虚しく、成果はまったくと言っていいほどでなかった。時間は刻一刻と過ぎていく。

 唯一、喜ばしい成果を上げるとすれば、ヒノノンは無事に留年を免れたということくらい。これには彼女も、嬉しそうに表情を綻ばせた。

 久々に見た彼女の心の底からの笑顔に、私は胸を撫で下ろした。

 そしてこれを気に、状況も少しずつ変わっていく。

 ヒノノンが私たちに、翔楼君の捜索を打ち切ると言い出しのだ。


「ゴメンね。でもこれ以上、みんなに迷惑はかけられないよ。って、一年以上も付き合ってもらって言うセリフじゃないよね。あはは」


 結局、翔楼君が失踪した理由はわからず終い。きっとヒノノンにとって、これは苦渋の決断なんだろう。本当は山程の未練が残っているはずなのに、彼女は前を向こうとしてる。

 いろいろと思うところはあったけれど、ヒノノンがそう決意したのなら、それを阻むような真似をする者は誰一人としていなかった。

 こうして一人が欠けたまま、少し物足りない感じの何気ない日常が戻ってきた。

 

 でもそれは嵐の前の静けさ。新たな悲劇の前触れに過ぎなかった。

 

 ある日、皆勤賞だったヒノノンが、珍しく大学に来なかった。

 そして翌朝、彼女が亡くなったことを大学の人伝に聞かされた。

 

 ー


 着慣れない喪服もふくに違和感を覚えながら、茶待のスマホの案内を頼りに、私たちは目的地までの道のりを重い足取りで進んでいた。

 涙で滲んだ視界のせいで、歩くペースが遅くなった。そのせいで茶待との足並みが揃わない。

 いや…私が無意識に進むのを拒んでいるんだ。

 進む先で待ち受ける現実を見るのが、私は怖くて仕方がなかったんだ。


「大丈夫か…?ほら、これ使えよ…」


 そう言って、茶待から手渡されたハンカチで涙を拭った。それでも、大切な友達を失った悲しみはあまりにも深く、涙腺が崩壊した瞳はとどまることを知らない。


「…………」


 葬儀場までの道中は茶待も表情が暗く、口数も少なかった。


「こっちだ…」


 茶待の指示で次の歩道を右に進んだ。西に傾いていた太陽が正面に立ちはだかかり、その眩い夕陽が私たちの視界を遮った。私はすかさず目を瞑る。

 道すがら次に目を開けたとき、すべてが夢であればと何度も願った。だが悪夢は覚めない。

 目を開けた途端、また黄昏の日差しが私の瞳に現実を突きつける。

 ただでさえ、私は涙で視界が悪い。私は顔を伏せて、なるべく太陽を直視しないように進んだ。

 そして、正面にいるであろうコンクリートに地面に伸びた誰かの影を踏んだところで、私はふいに足を止めた。

   

「…………え?」


 顔を上げた瞬間、私は驚愕した。

 何故ならそこには、私たちが…ヒノノンがずっと探していた行方知れずの尋ね人、翔楼君の姿が逆光の中にあったのだから。


「翔楼君…?」


「ミ…ミ…?」


 彼も私たちに気づいて、ピタッと動きを止めた。

 その懐かしい顔は心做しか痩せていて、目尻は真っ赤に腫れていてる。 

 私たちと同様に喪服に身を包んでいた彼に対して、私はいろんな感情が込み上げてきた。

 最初は、彼が無事だったことに胸がホッとした。ようやく彼を見つけたことに喜びまで覚えた。

 だけど次に頭に浮かんだのは、翔楼君を見つけるため、もがき苦しんでいた大好きな親友の姿。

 私は覚えている。ヒノノンが自分の時間まで惜しんで、街中を探し回っていたことを…。

 私は知っている。彼女がどんな思いを抱えて、彼のいない日々を過ごしてきたかを…。

 そして次の瞬間には、私の中で赤黒い感情が炎のように燃え盛った。


「なんで…」


「…………」


「なんでここにいるんだよ!」


 私は翔楼君に距離を詰め、怒りに任せて胸ぐらを引っ掴んだ。

 横では茶待がなだめようとしていたけど、私は聞く耳を持たない。

 ただ目の前の元凶に、山のように募った想いをぶつけなければ私の気が収まらなかった。


「ヒノノンが!ヒノノンがどんな思いで!」


 だけど私の口から出たのは、自分でも思いもしなかった罵詈雑言の嵐。口汚い言葉で何度も彼を罵った。

 彼女への罪悪感からか、翔楼君は俯いたまま呆然と受け入れていた。

 それから彼は何度も、か細い声で「ごめん…」と謝った。


「こんな結末になるなんて思ってなかったんだ。…ただ僕は、彼女に幸せになって欲しくて、だから…」


 そう言った翔楼君の表情は、悲嘆に歪んでいた。

 けれど、ヒノノンの前から消えた理由を話さない上に、言い訳じみた言葉を並べる彼の態度は、私にとって火に油だった。

 私は言った。

 …言ってしまった。


「お前のせいで死んだんだ!お前が…お前が■■ちゃん彼女を殺したんだ!」


 それから後のことは、よく覚えてない。

 気づいたときにはヒノノンの葬式の場で、懸命に息を殺しながら涙に暮れていた。

 そこに翔楼君の姿はなかった。喪服を着ていたし、彼も葬式に顔を出すつもりだったんだろう。私が二人の再会を邪魔してしまったんだ。

 

 心の底ではわかっていた。

 ヒノノンが亡くなったのはただの事故で、翔楼君は何も悪くないってことを。だけど、彼女のことを思ったら、言葉にせずにはいられなかった。

 ヒノノンはずっと貴方のことを想ってたんだよ、そう伝えたかったのに、私は自分の怒りを優先させてしまった。

 もう自分自信が、どんな理由で泣いているのかもわからない。

 ヒノノンが亡くなったこと?

 翔楼君に対して暴言を吐いて傷つけた自分への自己嫌悪?

 それとも、たった数日で友達を二人も失ったこと?

 もういろんな感情で、私の心はぐちゃぐちゃに捻れていた。


 ー


 あれから、茶待意外の人とまともに話せていない。

 所詮は隣に誰かが居てくれることで、自分が大きい存在だと錯覚しているミジンコ精神の持ち主の私だ。

 気弱だった頃に、私はいつの間にか逆行していた。

 正直、みんなと集まっていた頃が恋しい。

 でも、もう戻れない。

 私は大事な居場所を、自分自身で粉々に砕いてしまったんだ。

 ヒノノンが大好きだって言ってくれた居場所を、私が壊してしまったんだ。


「ん…?」


 不意に震えるスマホ。それは手元に置いてあった私のスマホではなく、机の上に放置された茶待のものだった。どうやらメールのようだ。当の本人は、トイレで席を外している。と、そこへ丁度、茶待が帰ってきた。


「茶待…スマホが鳴って…」


 彼に知らせようと、スマホに視線を送る。そのとき、一瞬だけ見えてしまった宛名に私は目を疑った。


馬翔楼ばかける


 …翔楼君?


 私は彼のスマホを引ったくり、その画面のトップに表示された内容を凝視した。


『申し訳ないけど、猫の面倒を見てくれないか?(期限は未定)』 


 内容はどうあれ、チャンスだと思った。

 完璧でなくていい。翔楼君に謝って、私はあの大好きな居場所を少しでも元通りに修復したい。自分自身のため、そしてヒノノンのために。

 

「ちょっ!俺のスマホ勝手に…」


「茶待、お願い!」


 焦る茶待の言葉を遮り、私は真剣な眼差しで彼を見据えた。


「私を、翔楼君に会わせて!」


 その後、私は無事に翔楼君との再会を果たした。

 だけど、目的は果たせなかった。

 謝りたかったのに、私は口を噤んでしまったんだ。

 本当に臆病な自分が大嫌い。

 

 だけど、私たちの止まっていた運命は、思いもしなかった形で動き出す。

 翔楼君から預かった黒猫がのちにとんでもない奇跡を起こすことを、このときの私はまだ知る由もなかった。


「ナウ~(ミミちゃ~ん)」


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