ナザレのナザレ

@Claiven

第1話

「皆さま、大変お待たせいたしました!」

司会者が弾むような声で叫んだ。すると会場全体に設置されたスピーカーから、式典の開始を告げる聖歌が流れ出した。その声の波は穏やかに巨大なドームの天蓋へと満ちていった。無数の星々の下、観客たちは次々と立ち上がり、聖歌を口ずさんだ。

オルガンの厳かな音色が荘厳に響きわたる。音響学的に完全設計された舞台の上で震えるように鳴り、観客たちはその音に合わせて賛美を重ねた。扇状に広がる客席から放たれた敬虔な歌声は、まるで宇宙そのものへと打ち上げられていくかのようだった。歓声が頂点に達すると、司会者は誇らしげに叫んだ。

「本日はまさしく記念すべき日でございますよね?」

彼が言葉を切り出したその瞬間、真紅のドレスをまとった女性が舞台に上がった。裾は果てしなく長く、引きずられて床を覆い、もはや舞台の三分の一を侵食する勢いであった。彼女はリズミカルな声音で語り始めた。

「はい。本日、地球政府はついに――イエス様との接触のためのタイムマシン使用を正式に許可いたしました! 本日この場において、私たちは過去へと遡り、イエス様にお目通りする予定なのです、皆さん!」

彼女の宣言と同時に、漆黒の空間に無数の花火が打ち上がった。火花は精密に計算された信仰と光学技術により、完璧な十字架の形状を描いた。四隅は神々しく湾曲し、交差点には柔らかなマージンが施されている。審美的にこれ以上ないほど整った十字架の周囲を、無数のドローンが飛び交った。ドローンは十字架の上に繊細なホログラムを重ね、そこに磔にされ血を滴らせるイエスの姿を映し出した。

その光景に信者たちは、何の疑問도抱かないまま光を仰ぎ、十字を切った。しかし、観客席を熱狂させた十字架の花火は、十数秒後には呆気なく消滅した。圧倒的なディテールの割に、あまりにも虚無的な幕切れであった。だがその残滓は、想像以上に深刻な痕跡を残した。

司会者を含む一等席の者たちはめまいを訴え、観客の半数は視力を失った。さらに生き残った者の半数は、角膜に十字型の裂痕のような傷を負い、数年後には白内障の悪化により手術を受ける羽目になった。だが、彼らはまだ幸運なほうであった。最後列に座った観客は安物花火が撒き散らした放射線を真正面から浴び、一部は即死し、一部は神を発見した。だがここにいる者たちは、そんな出来事すら気にとめなかった。

この世に起こるすべては祝福であり、奇跡であった。見ず知らずの誰かが、趣味半分でたった一週間で作り上げた黒い虚空に浮かぶ青い泥団子の上に生まれたことすら、「ありがたいことだ」と胸を張って受け入れているのだ。世界中の矛盾を受け付ける顧客センターも、アフターサービス窓口も存在しないというのに、である。

観客が涙と十字架に視線を奪われている間にも、司会者たちは進行を続けた。

「いやはや、いよいよ謎に包まれたイエス・キリストの御姿を、この目で確認できるかもしれないというだけで胸が震えますね。ところで本当なんですか? 世界中どこを探しても、イエス様のお顔を記録した史料が存在しないと?」

男性司会者が問うと、女性司会者は唇をきゅっと結び、いかにも気に入らないという表情で答えた。

「はい、その通りです。残念ながらイエス様の容貌に関する具体的史料は、いまだ確認されておりません。そのせいで、一時期はイエス様が黒人であったという噂も飛び交いましたし、仏教との関連を主張する人々は、東洋から“ブッダの話を西洋へ持ち帰った人物こそイエスだ”なんて説まで持ち出してきました。」

「なるほど。それでは、くだらない論争に終止符を打つため、私たちはこの場に集まっているわけですね! 全宇宙のキリスト教徒、イスラム教徒、そしてアブラハム諸宗教連合の皆々様の悲願――そのために!」

「そうです。ただし、一般人が過去へ行くのは極めて危険です。特に衛生面で。現代の病原菌が過去へ蔓延し、タイムパラドックスを引き起こす恐れもあります。ですので私たちは、完全に清潔な状態を保ったロボットを派遣することにしたのです。過去におられる“あの方”は、私たちの子であるロボットに御言葉を授けてくださるでしょうし、私たちは初めて、その聖なる光を分かち合えるのです!」

女性司会者が声を張り上げると、男性司会者は舞台奥を指し示した。ほどなくして、巨大な円筒状の機械装置が地面からせり上がってきた。司会者はそのタイミングを逃さず、観客が期待で息を呑む中、声高らかに宣言した。

「さあ、皆さま! ご紹介いたしましょう。あの御方のもとへ参上するロボット――ナザレ-1225であります!」

嵐のごとき拍手が会場を揺らした。円筒装置は銀色に輝きながら、徐々に霧のように溶けていった――いや、消えたわけではない。透明化し、中に収められていたロボットが露わになっただけであった。

その姿は、奇妙なほど“人間的”であった。目が二つ、口が一つ、鼻は二つの穴をきちんと備えている。やたらと長い髪と無造作な髭は、まるで何かの既視感を狙い澄ましたような風貌だった。だが皮膚は銀色であった。そのため観客は、まるで銀製の十字架から引きちぎられた救世主のレプリカでも見ているような錯覚に陥った。もちろん、それは主催者側の意図どおりであった。

このイベント告知がネットに流れた時点から、既に疑問と非難の声は山ほど寄せられていた。ロボットを過去へ送ることに懐疑的な者たちは抗議メールを送りつけ、会場周辺でデモを行った者すらいた。

彼らの主張は単純だった。

「イエス様に会いに行くのに、なぜ鉄の塊を送るのか」

しかし今、その抗議者たちは項垂れ、声ひとつ出せずにいた。何しろ、目の前のロボットが「イエス様っぽい何か」に見えてしまう以上、文句のつけようもなかったのである。イエスらしきを前に水を差せるほど彼らは勇敢ではなかった。

ふっ――これだから聖像擁護派というものは。

司会者は満足げな表情を浮かべて続けた。

「ナザレは昨日組み立てられたばかりの完全無欠のロボットです。」

「そうなんです。補助推進装置を腰部に搭載し、各種翻訳機能も搭載しています。アラム語から古代ギリシア語まで、網羅的に対応可能です。」

「とはいえ、百聞は一見に如かずと言いますからね。それでは、そろそろナザレを起動してみましょうか?」

二人の司会者は笑顔で円筒を軽く叩いた。

「ナザレ、意識はあるか?」

問いかけと同時にロボットの双眸が点灯し、ぎこちなく瞬きをした。ゆっくりと首を回し、観客を見渡すと、まるで前夜に飲み過ぎた酔っ払いのように舌打ち混じりに呟いた。

「001101001101。やあ、世界。」

「ナザレ。おお、正常に稼働しているのですね。」

「見りゃ分かるだろ。つーかさ、あんた誰? 初対面でため口って礼儀どうなってんの?」

ロボットの鋭い切り返しに、男性司会者は一瞬言葉を失った。観客席には、信仰か緊張か判然としない不穏なざわめきが広がる。ナザレはそんな空気など意にも介さず、のほほんと笑った。

「ははっ、気にしないでくださいよ。誰であれ、ため口でいいんです。僕、昨日生まれたばかりなんで。」

「な、なるほど……ユーモアのセンスも搭載されているわけですね……。」

司会者が乾いた声で取り繕うと、会場の空気はますます冷え込んだ。下手をすれば、この銀色の新人類の隣で生まれたての殉教者になりかねない。危険な沈黙を察した女性司会者が慌てて話題を切り替えた。

「ナザレ。イエス様とお会いしたら、どんな質問をするか考えていますか?」

ロボットは人工脳を検索しているように沈黙した後、ごく短く答えた。

「機密事項につき回答不能。」

「そ、そうですか。それでは──」

司会者たちが次の質問を用意するより先に、ナザレが勝手に話を始めた。

「ありますよ。イエス様に捧げる歌があるんです。ここで披露してもいいですか? 僕、歌うの得意なんで。」

その言葉に司会者たちは顔を見合わせ、安堵したように微笑んだ。

(やっと信仰心を刺激する厳かな賛美歌が流れ、会場が一体化するだろう)

――彼らはそう思い込んでいた。

「ええ、ぜひ披露していただけますか?」

二人は期待に満ちた声で答えた。だが残念ながら、ナザレとは、そういう設計思想のロボットではなかった。

ロボットは右手を胸の前に掲げ、左腕を肩の高さに持ち上げると、空中でギターを弾く真似をした。口から放たれたのは、場違いなほど軽快な伴奏であった。ほどなくして、歌が始まる。

ナザレは胸を張り、無意味にキメ顔を作った。

そして、場の空気を一切読まず――歌い始めた。

[オー! ヘイ〜、ジィ〜ザァス♪

タララッタンタン、ア〜メェ〜ン〜♪

アベンジャーズより有名〜! 未来の推しメン〜!]

サンバとフォークソングを足して二で割り、さらに宇宙要素で台無しにしたようなメロディが、聖歌で満たされていた式場を一気に蹂躙した。視力が戻りつつあった信者たちは、ぽかんと口を開け、魂が抜けた顔でロボットを見つめた。

(もしくは魂が抜けていたほうが幸いだったのかもしれない)

それでもナザレは続ける。

[オー! ジィ〜ザァス! パラパッパパ〜♪

誕生日は十二月二十五日〜!]

信者たちの眉間に深いしわが刻まれる。

[十二月二十五日は〜♪

昔っから太陽神の祭りの日〜!

でも〜! われらのジィ〜ザァス!

骨董品じゃないぜ〜!]

どこからどう見ても冒涜的だった。

[彼は銀河系いちのスター歌手〜!

永遠に輝けスペース・サンバ・フォーク〜!]

ここまで来ると、もはや彼らの脳は現実逃避を始めていた。

信者たちは聖書と十字架を握りしめ、今にも壇上に突撃しそうな顔をしていたが、たった一つの事実だけが彼らの脚を止めた。

日頃から崇拝してきた“イエスっぽい何か”が、今そこに存在している。

……いや、少なくとも銀色の皮膚はそう主張していた。

ナザレは二番に突入した。

[オー! ジィ〜ザァス!

パララッラ〜ン! サンバのリズム〜!

十字架なんて時代遅れ〜!]

この瞬間、舞台裏で儀式を見守っていた主催側の顔は青ざめた。

本来、過去へ送り出すために用意された“敬虔で空虚なロボット”が、

まさかの銀河系ナンバーワンエンターテイナー志望とは、誰一人想定していなかったからである。

舞台裏の枢機卿たちは一斉にロボット会社へ抗議の通信を入れた。

「どういうことです!? イエス様に会いに行くロボットが、なぜサンバを歌っているのですか!」

しかし返ってきたのは、実に気の抜けた声だった。

「え、だって今の若者、みんなジーザスに夢中ですよ?」

「イエス様は何千年も前から人気でした!」

「何千年? 何の話です? 最近のバズり方、知らないんですか?

スペース・サンバ・フォークですよ? CMにも出てますよ?」

[磔になったヤツより、オレのほうが有名〜!

 ジィザァス・サンバ・クライスト〜♪]

「……まさか、“そのイエス”じゃなくて、“あのイエス”を見に行くとは?」

「当然でしょう! アブラハム諸宗教連合が、わざわざ依頼したんですから!」

「てっきり礼拝の盛り上げ役かと……それに肌を銀色にって注文が……」

「パイプオルガンの横に置いたら映えるでしょ? ほら、照明的に」

このあたりで、枢機卿たちは沈黙した。

反論材料が一つもなかったからである。

全宇宙規模の宗教的威厳 vs SNS式の俗物的バズり

勝敗は既に決していた。

株価と信者数と翌年の教典販売数が脳裏をよぎり、

誰一人、祈り以外の思考ができなくなった。

数多の枢機卿たちが頭を抱えている中、会場の奥――

鍵の紋章が刻まれた黄金の玉座に、一人の男が鎮座していた。

その肉体はもはや朽ち果て、目を開けるだけで奇跡に等しい。

生者か死者か、あるいは中間地点のエラーログなのか判別不能な状態であった。

にもかかわらず、彼はわずかに眼球だけを動かし、考えた。

その思考を読み取る補助機器が、代わりに声を発した。

「もはや仕方あるまい。注文の齟齬すら、天上の御方の御心なのだろう。」

「ですが、猊下! このままでは我々は破産です! ただでさえ信仰心が落ち込んでいるというのに、今時の若者はイエス様をシリアル箱のマスコットくらいにしか思っておりません!」

「だが客席に集った者たちを追い返すわけにもいかん。今日以外に式典を開く余裕などない。」

「しかしただ時間が経てば、何か良い案が──」

「そう、そう言っていたな、ドナルド枢機卿。

その結果、どうなった?

バチカン市国が、ディズニーに丸ごと買収されたではないか!」

空気が一瞬で凍りつく。

「おかげで我が家は消えたぞ!

そして今では、我らの聖地が、“ヴァチカン・ディズニーランド”に生まれ変わった!

あの忌まわしきアベンジャーズ・ローラーコースターの土台になってしまったのだ!」

「で、ですが、ディズニーがバチカンを買うなんて誰が予想できたと……」

ドナルド枢機卿はおそるおそる十字を切った。

教皇は目を細め、投げやりな悟りの表情で言い放った。

「もうよい。今日失敗すれば、アブラハム諸宗教連合は終焉だ。

我が名のもとに命ずる。

タイムマシンを起動せよ。

今すぐだ。

でなければ我々は、帰る宇宙船すら購入できぬ。」

沈黙が落ちた。

そして、一同は祈るほか選択肢を失った。

「聖者と聖霊と聖父のご加護を……」

枢機卿たちはスイッチを押し、タイムマシンが起動した。

舞台に佇んでいたナザレの身体が浮き上がり、司会者のドレスの裾まで重力を裏切るようにふわりと舞った。

予定外の作動速度に、司会者たちは声を失う。

女性司会者は裾を手で掴み、危うく宇宙へ連行されるのを防ぎながら、顔だけは笑顔を保った。

「ど、どうやら……時が来たようですね。ナザレが……ナザレへ向かいます!」

「ナザレは、東方三博士が到着した直後に降り立つでしょう。

戻ってきた暁には……幼子イエス様の御姿を、我々も拝めるはずです!

ああ――時間トンネルが、開かれます!」

しかしその声は、裂けるような轟音に飲まれた。

照明が一斉に消え、代わりに眩い緑光が会場を塗り潰す。

緑光は渦を巻き、観客席へ降り注いだ。

信者たちは顔を覆い、慌てて聖句を唱えた。

やがて光は天へ巻き上がり、ねじれ、震え、

最後には雫のようにちぎれ落ちた。

その形状は――よりによって、曼荼羅に酷似していた。

枢機卿たちは心底不愉快そうに眉を顰めた。

だが、苛立ったところでどうにもならなかった。

宗教史上最大の賭けは、すでに回り始めてしまったのだ。

彼らは震える指で十字を切りながら、時間の裂け目へ吸い込まれていくナザレを見送った。

聖父と聖子と聖霊のご加護がありますように。

その祈りだけが虚空に残った。

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