​第17話:鉄の女、覚醒

​ 人事部長のデスクの前で、僕は深く頭を下げていた。

​「……本気かね、高村くん。君のような優秀な人材が、なぜ急に九州へ?」

「はい。一身上の都合です。どうしても、東京を離れなければならない事情ができまして」

​ 人事部長は怪訝な顔で、僕が提出した封筒――異動願――を見つめている。

 これでいい。

 受理されれば、僕は最短で来週にはここを去る。日野も納得するだろう。

​「……わかりました。手続きを進めま――」

​ バンッ!!

​ 突然、部長室のドアが乱暴に開かれた。

 驚いて振り返ると、そこには肩で息をする佐伯玲子が立っていた。

 鬼の形相だ。

 普段の冷静沈着な彼女からは想像もつかないほど、髪を振り乱し、目は怒りに燃えている。

​「部長、会議中ですよ!」

「黙りなさい!」

​ 玲子さんは人事部長を一喝すると、カツカツと大股で歩み寄り、デスクの上の封筒をひったくった。

​「さ、佐伯部長……?」

「この書類は預かります。というか、破棄します」

​ 彼女は躊躇なく、僕が徹夜で書いた異動願を真っ二つに引き裂いた。

 ビリリ、という音が部屋に響く。

​「なっ……! 何をするんですか!」

「黙りなさいと言ったのよ、バカ!」

​ 彼女は僕の胸倉を掴み、怒鳴った。その瞳には涙が溜まっている。

​「あんた、私が気づかないとでも思った? 昨日の夜のあんたの顔、まるで死に行く兵士みたいだったわよ。……抱かれてる最中にあんな悲しい顔されて、私が何も感じないとでも思ったの!?」

​「……っ、でも、こうするしか」

「日野でしょ」

​ 図星だった。

 彼女は僕の手を強引に引き、出口へと向かった。

​「来なさい。落とし前をつけに行くわよ」

「どこへ!?」

「第一営業部よ。日野のところ」

​ 彼女の握る手は、痛いほど強かった。

 僕が守ろうとした彼女は、僕が思うよりずっと強く、そして気高かった。

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