第16話:最後の晩餐
その夜、僕は玲子さんのマンションにいた。
日野のことは言えなかった。言えば、彼女は間違いなく自分の身を犠牲にしてでも僕を守ろうとするだろう。
だから、僕は笑った。
引きつりそうな頬を必死で持ち上げて、いつものように手料理を作った。
「……美味しい」
パスタを食べる彼女の横顔は、穏やかで美しい。
この笑顔を、明日からもう近くで見られないかもしれない。そう思うと、胸が張り裂けそうだった。
「湊くん? どうしたの、手が止まってるわよ」
「あ、いえ。……玲子さんが綺麗すぎて、見とれてました」
「なによそれ」
彼女は照れ笑いをして、ワイングラスを傾けた。
「ねえ、湊くん」
「はい」
「今週末、空いてる? 久しぶりに映画でも……」
「玲子さん」
僕は彼女の言葉を遮った。
これ以上、未来の約束を聞くのが辛かった。
「……抱いても、いいですか」
「え……?」
「今すぐ、あなたを感じたいんです」
彼女は少し驚いた顔をしたが、僕の切迫した目を見て、静かにグラスを置いた。
「……いいわよ。私も、触れてほしかった」
僕は彼女を抱き上げた。
ベッドルームへ運ぶ足取りが重い。
これが最後になるかもしれない。
彼女の匂い、肌の温もり、鼓動の音。そのすべてを細胞に刻み込むように、僕は彼女を愛した。
涙が出そうになるのを、キスの雨で誤魔化しながら。
翌朝。
彼女がまだ眠っている間に、僕は部屋を出た。
テーブルの上には、書き置き一つ残さなかった。
代わりに、ポケットの中には、一晩かけて書き上げた「異動願」が入っていた。
午前八時。
誰もいないオフィスで、僕は人事部長への封筒をデスクに置いた。
これでいい。
これが、僕ができる最後の「騎士(ナイト)」としての役目だ。
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