第17話 セイレーン
富士山を背後に、しばらく二人はゆっくりと湯船に浸かった。
「よく男性向けの漫画だと女湯の会話で、『○○ちゃん、胸おっきーい!触らせて~』ってあるじゃないですか。」
「いつの時代だよ。」
星の言うことは、時々、古い。
「昔はそう言う様式美があったんですよ。」
「はあ…。」
「でも、実際って胸の話題ってすごくデリケートじゃないですか。お前はバカかって思いません?」
星の言葉に、みつきは自身の胸を見下ろした。みつきの胸はふっくらとしていて、標準よりも少し大きい。星のようなスレンダーな胸が羨ましいと、常々思っていた。
「そうだねえ…。大きくても、小さくてもコンプレックスになるよね。ましてや、触るとか論外。」
「ですよね。」
星は自分の胸を両手で押さえて、溜め息を吐いている。どうやら思うことは同じらしい。
それからしばらく男の夢を壊しつつ、他の客が入ってくるまでを過ごした。そして、温まりすぎて少し熱がこもる感覚を覚えて、ようやく二人は脱衣所に向かった。
「みつきさん、どうぞ。」
下着姿で扇風機の前でくつろぐみつきに、星はコーヒー牛乳を手渡した。礼を言って受け取り、ポンッと音を立てふたを開ける。ぐいと瓶を傾けて、冷えて甘ったるい、コーヒーとは名ばかりの乳飲料を飲んだ。熱い体に冷えた液体が流れ込み、胃にたまっていく感覚を覚える。
「美味しい。」
一気に飲み干してみつきは、ぷは、と息継ぎをした。
「お風呂上がりのコーヒー牛乳って、最高だと思いませんか。」
腰に手を当て、星も一気飲みをする。
「私、侮ってた。銭湯、さいこー。」
「でしょ?」
うんうんと頷くみつきを見て、星は笑った。
またおいで、との言葉を背後に受けながら、星とみつきは夕方の商店街を歩き出した。息は白いが、その寒さは肌に心地よい。
みつきはいつの間にか、星との歩幅を合わせるようになっていた。歩く速度が一緒だと、星の横顔を見やすい。顔を少し、傾ければいいのだ。
「らーらーらら、」
星は機嫌良さそうに、小さく歌を口ずさんでいる。その表情に生みの苦しみはない。
「星って楽器は何ができるの?ピアノとか?」
ネットシンガーと言う職業の勝手な想像を、みつきが口にする。
「楽器? 私、何もできないんですよ。何なら音符も読めません。」
「え、そうなの?じゃあ、どうやって曲作ってるの?」
みつきの驚きの声を、チッチッチ、と指を振って星は制する。
「今って、音楽ソフトが色々出ていて便利なんです。」
「へえ、文明だね。」
星は、そうだ、と今度は手を打つ。表情がくるくる変わって、見ていて本当に飽きない。
「今度、みつきさんも作曲してみませんか?私、教えますから。」
今、人気のシンガー直々に教わる機会があるとは。
「いいの?私、ファンの人に刺されないかな。」
割と本気で心配していると、星は大丈夫と胸を張った。
「素顔を出していないんで、バレませんよ。」
「そうだったね、そう言えば。」
星は配信で使っていたアバターをそのまま、本人像に使っていた。たしか上半身が人間で、下半身が鳥という不思議なイラストのアバターだった。
「あれって、なんかの妖怪?」
「セイレーンです。」
セイレーン。美しい歌声で、船乗りを惑わせる精霊。
「名前をもじってみたんです。そう言えば、思い出した。」
セイレーンを名乗るなら歌がうまいんじゃないかと言われ、それをきっかけに歌声を披露したのだと星は言う。
星はその頃、音楽ソフトで作曲をしていた。
その中で特別の一曲を歌った。
「人生って、本当に面白いですね。」
その一曲がたくさんの人の心に刺さったのだ。ありがたいことだと言って、星は微笑んだ。
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