星の歩みと闇の呼気

 石畳を踏むたび、

 胸の星が淡く鳴る。


(まだ……

 “乱れ”が残ってる……)


 星芒は確かに街へ調和を広げた。

 ほとんどの怒号は静まり、

 人々は光の波に包まれている。


 でも──


(祠の奥……

 あそこだけ、まだ“闇”が鳴いてる)


 遠く、黄昏の街タスカ・ディーアの中央へ続く路地の向こうで、

 空気がわずかに揺れた。


 夜が震えている。

 まるで街の奥に潜んだ何かが、

 呼吸するたびに風を歪めているみたいに。


 剣聖は、

 あの祠の闇に立ち向かっている。


(急がなきゃ……!)


 私は胸に手を当て──

 星の響きに耳を澄ました。


 青い光が脈を強くし、

 視界に星々の線が淡く広がる。


 これは、│星芒の啓示ステラ・レヴェラ

 “道を示している”証。


「……うん……

 分かってる……」


 私はうなずき、

 祠の方角へ駆け出した。


   ◇


 夜の通りには、

 さっきまで怒りの黒い影をまとっていた人たちが

 光に包まれて座り込んでいた。


「……あぁ……

 どうして、あんなことで……」

「胸が、ようやく……戻ってきた……」

「マオリ殿……光を……ありがとう……」


 近くにいた老人が、

 私の手をそっと取る。


「若いの……

 おぬしの光で、わしらは争いを避けられた……

 本当に、ありがとう……」


「いえ……

 まだ終わってないです……」


 そう言って、私は手を振りほどかず、

 優しく握り返した。


(街の“心”は整ってる……

 だからこそ、祠の闇が浮かび上がった)


 “みんなを救ったからこそ”、

 街の奥に眠る“もっと古い乱れ”が

 姿を現したんだ。


(行かなきゃ……!

 剣聖さんを一人にしちゃダメ……!)


 私は老人の手をそっと離し、

 祠のある方へ走る。


   ◇


 祠へ近づくにつれ、

 空気が冷気を帯びていく。


 まるで夜そのものが、

 怒っているみたいに。


(星が……ざわついてる……

 これは……ただの闇じゃない……)


 胸に手を当て、

 私は足を止めた。


「……星のみんな……

 お願い……もう一度……道を……!」


 │星芒の啓示ステラ・レヴェラが震え、

 視界いっぱいに星座が広がる。


 星座は静かに線を結び──

 祠の内部を指し示す光となる。


(やっぱり……

 あの奥に“核”が……)


 次の瞬間、

 祠の奥から、

 まるで呻き声みたいな低い“呼気”が聞こえた。


「ッ……!?」


 背筋が凍りつくほど冷たく、

 獣の息とも、風の音とも違う。


(何……?

 あれは……“人”じゃない……)


 喉がひりつく。

 星芒が痛いくらい脈を刻む。


 闇の中で、

 何かが目を覚ましている。


   ◇


 祠の入口へ着いたときだった。


 爆ぜるような衝撃が

 祠の奥から響いた。


「剣聖さん!!」


 私は叫び、

 迷わず祠の中へ駆け込む。


 星光が、

 闇の空気を切り裂くように揺れた。


 剣聖の声が聞こえる。


「来るな、マオリ!

 ここは──」


 その一瞬。


 祠の中心にあった“闇の核”が

 形を変えながらゆっくりと振り返った。


 影ではない。

 闇でもない。


 “人の憎しみが固まったもの”──

 街の誰かが失い、

 忘れ、

 押し込めた何かが形になったような存在。


 その瞳に、

 青い光が刺さったように揺れる。


(私の光……

 “これ”に反応してる……!?)


 剣聖が叫ぶ。


「マオリ!

 そいつは──

 この街の“名誉の影”だ!!」


「名誉の……影……!」


 闇の核が、

 目を細めるように形を揺らし、

 私に向かって一歩踏み出す。


 ──ドクン。


 胸の星が、

 痛いほど強く脈打った。


(来る……!

 私に……向かって……!)


 影が腕を振るう。

 空気が裂ける。


「──っ!!」


 私は叫ぶより早く、

 反射的に光を解き放った。


「│星芒の秩序ステラ・オルド!!」


 星の裁決スターリー・ディクリーを維持していた星座が

 一気に私の周囲で輝き、

 防壁のように立ち上がる。


 影の一撃が

 星芒の壁で止まる。


 だが──


「……っ!?

 止まった……けど……!」


 壁が震えている。

 まるで“押されている”みたいに。


(そんな……

 星芒の秩序が……押されてる……!?)


 剣聖が歯を食いしばって言う。


「マオリ!

 そいつは……

 “この街が長い年月の中で押し込めた傷”だ!

 秩序では完全には防げん!!」


「じゃあ……

 どうすれば……!」


「“調和だ”!!

 そいつを抑えられるのは──

 街の心を整えた光だけだ!!」


(│星芒の調和スターリー・ハルモニア……

 でも……

 こんな至近距離で……!?)


 影がさらに力を込め、

 星芒の秩序が軋む。


 光の壁が裂ける直前、

 私は胸に手を当てた。


(街を……全部整えた光なら……

 街の“傷”にも届く……?

 だったら……!)


「お願い……

 星のみんな……

 力を……!」


 私は強く叫ぶ。


「──広がって!!

 │星芒の調和スターリー・ハルモニア!!」


 青い光が

 祠の中いっぱいに爆発した。


 闇の影が震え、

 裂けるような叫びを上げる。


 街で溶けた人々の心と同じように、

 その影もまた、

 ゆっくり、ゆっくりと

 光の中に溶け始めていく。


(届いてる……

 この闇にも……!)


 私は、

 光のただ中で震える影を見つめた。


「あなたは……

 ずっと閉じ込められてたんだね……

 痛かったよね……」


 影が揺れた。

 悲しみの色を帯びる。


「もう……

 大丈夫だよ……」


 青い光が祠を満たし──

 闇の影は、静かに崩れ落ちていった。


 闇の影が静かに崩れ落ち、

 祠の空気から、重たい圧がすっと消えた。


 まるで、

 長い長い夜がようやく明けたみたいだった。


(……よかった……

 本当に……よかった……)


 胸の星が、

 さっきまでの激しい脈動をやめ、

 子どもみたいに穏やかな鼓動へと戻っていく。


「……マオリ」


 崩れ去った闇の向こうから、

 ゆっくりと剣聖が歩み出てきた。

 肩には霧のような黒い粉がうっすら積もっていて、

 彼がどれだけの攻撃を受け止めたのかが

 はっきり分かった。


「剣聖さん……!」


 駆け寄ろうとした瞬間、

 剣聖は軽く手を上げて制した。


「大丈夫だ。

 お前の光が届いた。

 闇は……ようやく眠った」


 その声はいつもの強さとは少し違って、

 どこか安堵が混じっていた。


(剣聖さんも……限界だったんだ……)


 私は息を吸い、

 胸の星にそっと手を当てた。


 祠の内部には、

 まだ青い残光がやさしく漂っている。


 人の怒りが、悲しみが、失望が──

 形になって閉じこめられていた場所。


 その中心にあった影は、

 いま静かに消えていった。


「これで……

 もう、この街の“名誉”は乱されないね」


 そう言うと、

 剣聖は少しだけ目を細めた。


「いや──

 名誉は、守られたのではない。

 “戻った”のだ」


「戻った……?」


「名誉とは、

 誰かが与えるものではなく、

 人々が望んで選び続けてはじめて形になるものだ。

 君の光はその“選び直し”を助けただけだ」


(……そっか……)


 胸の星が、小さくきらめく。


 その光の瞬きがまるで

 「それでいいよ」

 と言ってくれたみたいで、

 私は胸がじんと温かくなった。


   ◇


 祠を出ると、夜風が頬を撫でた。

 星明りが石畳を照らしている。


 祠の前では、

 さっきの混乱が嘘みたいに静かになった住民たちが

 青い光の余韻に包まれていた。


「みんな……」


 怒号を上げていた人たちも、

 拳を握って喧嘩しようとしていた人たちも、

 今は胸に手を当て、

 自分の心の奥にそっと触れるみたいに目を閉じている。


 中にいたリヴィアが

 私を見つけて駆け寄ってくる。


「マオリ殿……!

 本当に……ありがとうございました……!」


「リヴィア……。

 怖い思い、いっぱいしたよね……」


 少女は震えて、小さく首を振る。


「……怖かったです。

 でも……

 わたし……ずっと……

 街のみんなが、

 誰も傷つかなければいいって……

 それだけを……」


「うん……分かるよ……」


 祠の奥で見た影──

 あれは、きっとこの街の人々が

 言えなかった気持ち、

 蓄積してしまった痛みだった。


(だれでも……

 そういうの、持ってるよね……)


 胸の星が揺れ、

 街の全景へ視線を向ける。


 黄昏の街タスカ・ディーア


 灯りが点々と続くその街は、

 まるで光の波の上に浮かんでいるみたいだった。


(きれい……)


 でも、

 この美しい街の奥に、

 こんな深い痛みがあったなんて。


「マオリ」


 剣聖が隣に立った。


「この街は今日、

 ひとつの選択をした。

 名誉ではなく、

 “名誉を選び直す心”を」


「……はい」


「だが──

 夜刃ノクティア・ラミナは消えていない。

 影の男も、ここで終わりではないだろう」


 私は夜空を見上げた。


 星が静かに瞬いている。


(そうだよね……

 今日の影は、夜刃の“ほんの一部”。

 まだ……他にもいる……)


 胸の奥で星座がゆらめく。


 でも。


(私は……ひとりじゃない)


 祠の中でみた影を包んだ星光。

 街のみんなの想い。

 剣聖さんの後押し。


 それを全部背中に感じながら、

 私はそっと拳を握った。


「街のみんなが……

 また笑って過ごせるように……

 これからも、がんばります……」


 剣聖は静かに頷く。


「それでいい。

 星が導く限り──

 君の光は、人を繋げる」


(うん……

 がんばる……!)


 私は祠を振り返り、

 深く、静かに息を吸った。


(名誉を壊すんじゃなくて……

 名誉を、“選び直す”光……)


 青い星光が、

 祠の石壁にほんの少しだけ滲んだ。


 それはまるで

 夜明けの一番星みたいだった。

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