第6話 迷い
その頃、静寂な教会の祭壇では、精霊力を激しく消耗して気絶しかけていたロイが起きようとしていた。
「あたたたた⋯⋯やれやれ、僕も歳かな?久しぶりの精霊の儀だったとはいえ、気絶してしまうなんて情けないや。とほほ⋯⋯」
ロイは、服のヨレを直して立ち上がると、未だに魔法陣の上で固まっている二人を心配そうに見つめる。
(まだ戻って来ていないのか⋯⋯あの二人、大丈夫かな⋯⋯?)
すると、急に二人がこてんと横になり、目を覚ました。
「痛っ⋯⋯くない?なぁ~んだ、夢だったのか。」
「やあ、おかえり。リオンくん。精霊の儀で何があったか、良かったら聞かせてくれるかな?」
ノルンは、精霊の儀の事をロイに話した。
精霊ではなく、女神アルタナと出会ったこと、新たにノルンとミリアという名前を授けられたこと、冒険者として生きる道を与えられたこと。
そして――
「そうか。『あのこと』も知ってしまったのか⋯⋯」
「はい。それで、ミリアが⋯⋯」
ロイがミリアを見ると、蹲って泣き喚いていた。
悲しさは限界突破し、苦しみ悶える様子に、ただただ心が痛むばかりである。
「ママ⋯⋯会いたいよ⋯⋯ぅぅ⋯⋯」
「――どうも、さっきからこんな調子で⋯⋯」
繰り返し口にするミリア。
ノルンは、少しでも苦しさを和らげようとするが、釣られて泣き出してしまいそうな表情を浮かべた。
「ごめんね⋯⋯ノルンくん、ミリアちゃん。こんなに辛い目に遭わせちゃって。」
「いいんです。どの道、いずれ知ることになるんですし。本当のことを教えてくれて、ありがとうございます、ロイさん。」
「どういたしまして、と言っていいのかな?」
重苦しい雰囲気は連鎖し、純白の教会を黒く蝕んでいく。
「――さて、もう日も落ちる頃だし、二人も疲れちゃってるでしょう?家に帰って、ゆっくりお母さんの温もりに甘えなさい。」
「ママ⋯⋯本当の、ママ⋯⋯」
ミリアは、未だに落ち込んでいる様子であった。
そんなミリアをそっと抱き、ノルンは一礼をして、教会を後にした。
誰もいない教会で、ロイはひとり物思いにふける。
(女神様から名前を授かった、勇者と女神の末裔、か。)
ロイは、面倒くさそうに鼻息を鳴らす。
(あの二人、幸せになれるといいな。)
夕焼け空が広がっていく中、ノルンとミリアは行きの馬車と同じ馬車に揺られていた。
「坊ちゃん、お嬢ちゃん!無事に成人できたらしいんだってな!めでてぇじゃねぇか!」
「「⋯⋯」」
「いや〜若いっていいな〜!俺っちも、昔は色々と夢があったな〜懐かしいぜ〜!」
「「⋯⋯⋯⋯」」
他の客が誰も居ない馬車の中、ガタゴトと揺れる音、車輪がカタカタと動く音、時折嘶く馬の鳴き声、軽やかな蹄の音。
そして、能天気な御者の声だけが流れてゆく。
「――お二人さん、何があったかは知らんが、若いモンが落ち込んでると、俺っちまで悲しくなっちまうよ⋯⋯」
「⋯⋯なんかすみません。」
「しがないおっさんで良ければ、相談に乗ってやろうか?ちょうど、俺っちも休憩したかった事だしよぉ!」
御者は、夕日が照り返る湖の畔に馬車を止めた。そして、近くのパン屋さんへと走り出した。
「ほれ、こんなもんしかないが、二人で分けて食いな。」
戻ってきた御者の手には、サンドイッチが握られていた。
「ありがとう⋯⋯ございます。」
ノルンは、サンドイッチを受け取り、ミリアに半分渡す。
「ミリア。腹減ってるだろ?せっかくおじさんがくれたんだから、これ、食べるか?」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん⋯⋯(ぐずっ)」
涙に濡れた顔をようやく少しあげたミリアは、今できる精一杯の笑顔を一瞬だけ見せた。
そして二人は、今日の出来事を御者に相談した。
「――そっか⋯⋯お二人さん、そんなに辛い思いしちまったのか。すまんな。」
この時御者は、能天気な自分を殴りたいと心の底から思っていた。
「それで、坊ちゃん達はこれからどうするんだ?」
「どうするって、どういう意味ですか?」
御者から思いもよらぬことを言われ、戸惑うノルン。
「そのままの意味だ。冒険者として生きるのか?」
「ええ、それしか道が無いので――」
「――甘いな。」
「えっ?」
陽気で優しそうな御者は、少しだけ厳しい顔を見せた。
「冒険者の道は厳しい。俺っちもかつて、自由気ままに強く生きる冒険者に憧れたもんだ。」
そう言うと、御者は昔の思い出を語り出した。
冒険者として悠々自適に生きたかったが、勇気も力も知恵もない自分は駆け出し冒険者のまま借金だけが増えていく。
膨らむ希望と夢はいつしか虚無に変わり、自分を見失ったままダラダラと生きてきた。
「――とまあ、現実はとても残酷だったという訳さ。」
「あの、それじゃあ僕達は何を目指せば――」
「それは、結局自分自身で決めるこった。あー、例えばお嬢ちゃん。」
「⋯⋯私?」
御者は、唐突にミリアに尋ねる。
サンドイッチを唇で咥えたまま、ミリアはキョトンとした顔を御者に向ける。
「そうだ、君だよ。さっきまで泣いていたのに、えらく美味しそうにサンドイッチを食ってるじゃぁねぇか。」
「⋯⋯はい。パンは大好きなので。」
「お嬢ちゃんは、パン屋に憧れている――と俺っちは思うんだが、違うか?」
「すごい!何で分かったのですか!?」
今日一日しか会っていないのにも関わらず、あっさりと自分の事を言い当ててしまう御者にすっかり感心したミリア。
「俺っちは、たくさんの客を見てきたからな〜大抵のやつは、好きなもんを決して隠すことはできないんだ。」
「なるほど?」
イマイチ納得がいかない様子のミリア。
「――まぁ、好きなことに一直線に進むのも悪くねぇってこった!ところが坊ちゃん、君はダメだ!」
「どうしてですか!?」
急にノルンの方を向いたかと思えば、厳しい視線をぶつける御者。
ノルンは、驚いて御者にその真意を問う。
「今のあんちゃんは、芯がない。迷子のちっぽけな存在ってことよ。」
「うう⋯⋯」
「冒険に出れば、いつ誰がどうなるか分からん。本当に自分が守りたいもの、そのひとつかふたつぐらい、持ってみたらどうだ?」
「本当に自分が守りたいもの⋯⋯」
ノルンは、あれこれ考える。
幼い頃から、ミリアを妹のように可愛がっていた。
それなのに、何が足りないのだろうか?
「別に他人じゃなくたっていい。人じゃなくたっていい。金でも、自分自身でも、自分の夢でもプライドでもな。少なくとも、迷ってはいけないぞ〜」
御者の言葉を聞き、ノルンはハッとした。
(そうか。僕は、迷っていたのか⋯⋯)
アルタナから、事実を告げられた瞬間から、ミリアは『本当の妹』ではなくなった。
その事実を受け止めてしまったからこそ、自分の道に迷ってしまったのだろう。
「あの、おじさん。」
「なんだ?」
「もし、おじさんが僕の立場だったら、どうしていましたか?」
「さあな。俺っちには分からん。」
ノルンが御者に尋ねるも、御者はそっぽを向いて答えをはぐらかす。
「だがな、今のあんちゃんを一番よく知ってるのは、他でもない、あんちゃん自身だろ?だったら、ありのまま生きればいい。それだけだ。」
(ありのまま生きる?)
御者がくれた言葉を飲み込めないまま、ノルンは心の中で反芻させようとする。
「さぁて!お嬢ちゃんも泣き止んだし、そろそろ暗くなっちまうぜ!出発するぞ!二人とも乗った乗った〜!」
御者は重い腰を上げ、手をパンパンと叩いて土を払う。
そして、馬車の中へと二人を促した。
ノルンがミリアの顔を見ると、ほんの少しだけ笑顔が戻ったように見えた。
それが夕日に照らされていたからなのかどうかは分からないが、ノルンはミリアの心を強く信じていた。
「さぁて!急いで若いカップルを送らにゃ、二人の母ちゃんから何言われるか分かったもんじゃねぇ!飛ばしていくべ!」
そう言って、御者は馬車を全力で走らせて二人を家まで運んで行った。
やがて、二人の家が見えてくると、玄関の外でリンが手を振って待っていた。
「――うし、無事に家まで着いたぞ。それにしても、お二人さんの母ちゃん、えらいべっぴんさんやな〜」
「あら、ありがとうございます♪そう言って貰えて嬉しいわ♪」
御者にお世辞を言われ、すっかり気を良くするリン。
「へへっ。確かに、この二人を無事に届けられましたぜ。さて、代金をいただくとしようか。」
リンは、二人に往復分のお金を渡していたにも関わらず、気前よく払ってしまった。
なんともチョロい女である。
「おっと、こんなには受け取れんな。可愛いカップル割って事で、お安くしておくぜ!」
「あら、いいのかしら?ではお言葉に甘えて♪」
少しだけ安くなった運賃に喜ぶリン。
その横で、ノルンとミリアは顔を赤らめてモジモジしていた。
「今日は私の大切な子達を安全に運んでくれて、ありがとうございました。(ぺこっ)」
「いいってもんよ!ほな、俺っちはこの辺で。達者でな〜!」
そして、御者の姿は遠く小さくなって夕焼けに消えていった。
「――さて。」
リンは、家族だけになるやいなや、すぐに愛する我が子達をぎゅっと抱きしめた。
「おかえりなさい!リオンちゃん、アビィちゃん!」
「ただいま。母さん。」
「ママー!」
二人はいつものように、『母』に甘えるのであった。
その顔には、確かに満面の笑みが浮かんでいた。
しかし、二人の知らないほど遠く、心の底の迷いはまだ消えないままなのであった。
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