第十八話 潜在妖力と因喰

籠女かごめ因喰いんじきを集めてる理由……」


屍々子ししこの呟きに、

籠女は小さく頷き、視線を落としたまま、しばらく口を閉ざしていた。


やがて、息を整えるようにして、言葉を選ぶ。


「……うん。ウチが因喰集めてんのはな……」


沈黙が、食卓の上に落ちる。


「オトンの意識を、回復させるためなんや」


声色は静かだった。

だが、その落ち着きは、脆さを押し隠したものに見えた。


屍々子はすぐには応じず、少し間を置いてから静かに返す。


「……そうなんだ。因喰って、そんなこと出来るんだ」


籠女の表情が、わずかに引き締まる。


「普通は出来ひんな……。

ただ、ミズトさんは"それ"が出来るんよ」


屍々子は、探るように視線を籠女へ向ける。


「それって、どんくらいすごいの?」


籠女は一度、言葉を飲み込むように間を置いた。


「……すごいなんてもんやない。前代未聞やな」


屍々子は「そうなんだ」と小さく漏らし、思案するように視線を天井へ転がした。


「でも因喰ってさ、アタシはどんな物かは良くわかんないけど……なんか危ない物ってイメージ」


籠女は否定しなかった。

むしろ、静かに頷いてから答える


「アンタの考えは間違うとらんよ」


その一言で、屍々子の視線は自然と籠女へ向いていた。


「因喰は、正しく使えばドーピング。せやけど、使い方を誤れば──」


声が、ひとつ低く落ちる。 


「──危険物や」


屍々子はふと思い出す。

廃神社で、獣のように理性を失った男の事を。


「そういえば、籠女言ってたよね。因喰のせいで"暴走"する…って」


視線が、ゆっくりと自分の右手へ移る。


「アタシのことを殺した男が、急に動物みたいになったのは、因喰のせいだって」


籠女は短く息を吐いてから、言葉を継いだ。


「あれはな……。侵色しんしょく言うて、因喰が因子に──」


そこまで言いかけて、籠女はふっと言葉を止めた。

眉を下げ、右手を顔の前で軽く立てる。


「ごめんな、屍々子。ウチの悪い癖、出てもうた……」


屍々子は小さく首を振る。


「んーん、大丈夫。むしろ──」


そして、そっと微笑んだ。


「いつもそうやって、わかりやすく教えてくれてありがとね。せんせっ」


籠女は一瞬だけ目を細め、それから口元を緩める。


「出たな、屍々子の人たらし。

アンタのそないなとこ、ホンマずるいわ」


張りつめていた空気が、わずかにほどける。

籠女の胸にあった重さも、少しだけ和らいだように見えた。


ふーっと籠女は息を吐いた。

言葉を探すみたいに、少し間を置く。


「因喰はな……」


言い出してから、ほんの一瞬、言葉を止める。


「少し前までは、"因子調律核いんしちょうりつかく"っちゅう名前で取り扱われとったんや」


「名前は補助装置みたいな名称やけど、ゴリッゴリの違法ドーピングや。

それを体内に入れるとな、因子と反応して、使える妖力量が増えるんよ」


屍々子の眉が、戸惑い含む。


「ん……?」


「使える妖力量って……。妖力って、空になったりするの?」


籠女は目線で頷き、すぐに言葉を継ぐ。


「うん。なるで」


少し考え込むように視線を彷徨わせてから、噛み砕く。


「んー……血液みたいなイメージやな。

妖力は使うと、時間経ったり、食事とか睡眠で補われるんや」


「まぁ、血液は空になった時点で死んでまうけどな」


冗談めかした言い方だったが、笑みは浮かばない。


屍々子は視線を落とし、考え込む。

少し間を置いて、口を開く。


「じゃあ因喰は、足りない分の妖力を補ってるってことか」


屍々子の言葉に、籠女はすぐには答えなかった。

一拍置き、静かに息を吸う。


「それは、半分当たりで──」


言葉の合間に、沈黙が落ちる。


「──半分ハズレや」


屍々子が顔を上げる。

意味を探るように、首がわずかに傾いた。


「……半分ハズレ?」


籠女の声色が、そこで変わる。

軽さが消え、輪郭だけが残った。


「怪異の身体にはな。

"今、自分が出せる妖力"の他に、"まだ身体の中に眠っとる妖力"ってのがあるんよ。

で、その身体の中に眠っとる妖力ってのは──」


視線が、屍々子を真っ直ぐ捉える。


「──"潜在妖力せんざいようりょく"って言われとる」


「ほんでな」


籠女は、低く息を整えてから続けた。


「因喰は、その潜在妖力を……無理くり引っ張り出す道具なんや」


言葉は淡々としていたが、そこに含まれる響きは重い。


「潜在妖力はな。本来は、身体の成熟とか、専用の訓練とかで、時間をかけて表に出てくるもんや。

せやけど因喰は、その過程を全部無視する」


「でも、それだけならまだ暴走は起きん。

問題は、引っ張り出す分の潜在妖力が無くなった時や」


息を詰めるように、言葉を落とす。


「因喰が……因子に直接干渉を始めるんや。

侵色──つまり、"因子の暴走"が始まるんよ」


言葉が、ゆっくり沈む。


「侵色が始まった怪異は、もう戻らへん。治す方法も、止める手段もない」


「妖力を求めて、殺戮を繰り返す化け物になる。それだけや」


その言葉が落ちてから、しばらく誰も口を開かなかった。


屍々子は視線を伏せ、湯気の消えかけた卓上をぼんやりと見つめる。


因喰──あまりにも危ういそれが、どうやって籠女の父の意識に辿り着くのか。

答えは出ないまま、思考だけが静かに巡っていた。


沈黙を破ったのは、籠女だった。


「……鍋、冷めてしもうたな」


何気ない調子で、卓を一度見回す。


「屍々子。まだ食うんやったら、温め直すけど?」


屍々子は顔を上げ、少し間を置いてから首を振った。


「あ、大丈夫かな。もうお腹いっぱいだし……。

籠女、ありがとな。ごちそうさま」


「ん、ええよ〜」


軽く返して、籠女はそのままキッチンへ向かう。


屍々子も腰を上げ、後を追うように食器へ手を伸ばした。


「なぁ籠女。この皿も、このまま持ってって大丈夫?」


問いかけに、キッチンの奥から籠女が顔だけ覗かせる。


「ん? そのまま座っとってええで」


その言葉が終わるのとほぼ同時に、彼女の傍で、青緑の光が一瞬、弾けた。


次の瞬間。


白い手が、数本──音もなくキッチンの方から伸びてくる。

それらは迷いなく卓上の皿や椀を掴み、重なり合うこともなく、すべてを抱えて奥へと消えていった。


あまりに自然で、あまりに異様な光景だった。


屍々子は、ぽつりと呟く。


「……めっちゃ有効活用してる」


日常の延長にあるはずの能力が、どこか現実感を削ぎ落としたまま、静かに機能していた。


そのとき、キッチンの方から、また籠女が顔を覗かせた。


「あ、屍々子。風呂、もう沸いとるで。先に入ってええよ」


続けて、タオルの置き場所や、シャンプーは好みで選べること、着替えはどこに揃えてあるかを順に教えてくれる。


どれも、ここで暮らす人間の動線をそのままなぞったような、無駄のない説明だった。



♦︎



屍々子は風呂場の戸を開けた。


「……風呂、でっか」


思わず声が漏れる。

あのリビングの広さを考えれば不思議ではないが、それでも一瞬、足が止まる。


湯に浸かり、身体を洗い、頭を流す。

余計なことを考えない時間が、じわじわと身体の奥まで染み込んでいく。


やがて風呂を上がり、身体の水気を拭き取り、

籠女に言われた通りの場所へ手を伸ばしたところで──


屍々子は動きを止めた。


「あ……替えの下着、ないじゃん」


それに気付いた、その直後だった。


目の前の扉が、きぃ、とわずかに開く。

隙間から、白い手がぬるりと滑り出てきた。


手には、小さな袋が提げられている。


そのまま床へ、ぽとり。


役目を終えたように、白い手は何事もなかったかのように引っ込み、扉の向こうへ消えていった。


屍々子はその袋を拾い上げた。

そして、中を覗き──眉をひそめた。


入っていたのは、確かに自分のサイズの下着。しかも何着も。


ただし。


「……え」


一枚、また一枚と広げていくうちに、顔が引きつる。


「めっちゃ……柄、柄してるんだけど」


派手な色に、目を引く模様。

どれもこれも主張が強く、視線を逸らしたくなるほどだった。


一通り眺めてから、ふと違和感に気づく。


「あれ……?」


置いてあったはずの制服が、どこにも見当たらない。


「……まさかな」


嫌な予感を抱えたまま、屍々子は着替えを選ぶ。

その脇には、明らかに質のいい服が何着か並んでいた。

生地も縫製も、触れただけで違いが分かる。


その中で、自然と手が伸びたのは、淡いピンク色の一着だった。

軽くて、柔らかくて、指先に吸い付くような肌触り。


──可愛い。


そんな感想が浮かんだことに、少しだけ戸惑いながら、それを身に纏う。


着替えを終えてリビングへ戻った瞬間、屍々子は固まった。


視界の先にいた籠女が──屍々子の制服を、普通に着ていた。


「……籠女?」


思考が追いつかないまま、声が漏れる。


「アタシの制服着て、何やってんだ?」


籠女は何でもない顔でこちらを見る。


「ん? 久しぶりに制服着てみよ思ってな」


軽く肩を回し、続ける。


「……やっぱウチやと、ちょい無理あるわ──」


一拍。


「──胸のとこ、ちょっと苦しいな」


次の瞬間。


「だあああああうるせええええっ!!」


その日の会話は、そこで完全に打ち切られた。






──この女、また他人の尊厳を──

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