第2話 女神、墜落す。~そして紅蓮の空竜を討つ~

 風の匂いが変わった。

 難なく着地し丘を下っていたカケルは、顔を上げる。空がざわついている。

 雲の間で、炎のような影が動いた。

「……あー、嫌な予感しかしない」

 その瞬間、雷鳴のような咆哮が響く。

 空を裂いて現れたのは、全身が燃えるように赤く輝く竜だった。

 紅蓮空竜ぐれんくうりゅう――災厄の象徴とされる空の覇者。

 その翼一振りで村が吹き飛ぶ。そんな伝説級の存在が、いま町に向かって飛んでいた。

「……初日からボス級とか、世界観のバランス大丈夫か?」

 紅蓮空竜が喉を膨らませ、赤熱した炎をためこむ。

 狙いは――丘の下、リベリスの町。

「おいおい、あそこ町だぞ。火の玉で丸焼きにする気か」

 そのとき。

 背後から轟音。

 ――ドガァァン!

 土煙とともに、金髪の何かが空から落ちてきた。

 まっすぐ頭から。

「ぐえっ……っ! い、生きてます!」

「……お前、登場の仕方がもう衝撃特売レベルだな」

「な、なんですかそれ!」

「派手に落ちすぎて、丘の風情…価値まで吹き飛んでるぞ」

「そういう言い方やめてくださいっ!」

 地面の穴から這い出たルシアナは、顔に土をつけながら怒鳴る。

「わ、私は監視役として落とされたんです! あなたのせいで!」

「監視する前に、まず着地の練習からな」

「もぉぉぉぉぉっ!」

 そのとき、空が真紅に染まった。

 紅蓮空竜の顎が開き、炎が一点に収束する。

 まっすぐ――町の中央に向けられた。

「っ!」

 ルシアナが息をのむ。

「ダメです! この距離じゃ間に合いません!」

 カケルは空竜を睨みつける。

「いや、間に合う」

 そして……一歩、踏み出した。

 風が裂ける音。

 彼の姿が、視界から消える。

 次の瞬間、カケルは紅蓮空竜の首元にいた。

「俺、二度と“前借”は使えないらしい。

 ――なら、自力でやるだけだ」

 右手を上げ、軽く手刀の形に構える。

 力を入れたり魔法を使うわけでもない、ただの動作。

 だが、空気が悲鳴を上げるほどの速度だった。

 ――ゴキリッ。

 生々しい音が響いた。

 紅蓮空竜の首が、不自然な角度に折れる。

 炎のブレスは、町に向けた軌道を通らずに真横へ。

 山裾の湖近くの森に着弾し、爆炎が吹き上がる。

 空竜の体がバランスを失い、空をもがくようにして墜落を始めた。

 その下にいたのは――。

「え、ちょ、うそでしょ!? ちょっと待ってぇぇぇぇぇぇっ!」

 ルシアナが必死で逃げ惑う。

 スカートをたくし上げ、丘を転げ落ちるように走る。

「神なのに、避けるの下手だな!」

 隣に着地したカケルが声をかけながら並走する。

「落ちてくる竜の下で冷静に突っ込まないでくださいぃぃっ!」

 ドオオオォォォンッ!!!

 爆風と土煙。

 カケルは風を盾にして、ルシアナを庇うように片腕を広げた。

 紅蓮空竜は、地面に叩きつけられた瞬間、動かなくなった。

 ――静寂。

 ただ、焼け焦げた風だけが草原を撫でた。

 カケルのインベントリに紅蓮空竜の亡骸が収納された。

「おいおい、マジで倒しちまったのか。

 ちょっと首を折っただけなんだけどな」

「“ちょっと首を折った”って軽い言い方やめてください!」

 ルシアナが叫んだ瞬間、空中にウィンドウが開いた。

《紅蓮空竜 討伐完了》

《獲得報酬:紅蓮空竜の遺体》

《感情債務増加:-7億ルーメ》

「……あら、また借金が増えたな」

「うわぁぁぁん! もうやめてください! 負債が増えていくぅぅぅ!」

「俺だって好きでやってるわけじゃない」

「町を救っても赤字って、どういう世界ですか!」

「経済構造が終わってるな」

「笑い事じゃありません!」

 ルシアナは泣きそうな顔でカケルを指さした。

「あなたが解決しすぎると、世界の“感情”が生まれないんです!

 人々の恐怖も勇気も、あなたが先回りして奪ってるんです!」

「……なるほどな

 つまり俺は、“困るはずだった未来”を消してるわけだ」

「そうです! まさにそれです!」

「だったら、次からは“誰かの心が動く余地”を残せばいいんだな」

「余地?」

「全部俺がやるからいけない。――人が助け合う“余地”を作る。

 そうすれば、感情は戻るだろ」

 ルシアナは目を瞬かせた。

「あなた、皮肉屋のくせに……たまに真面なことも言うのですね」

「社会人経験ってやつ」

「またそれぇぇぇっ!」

 二人の声が、草原の風に溶けた。

 焦げた匂いと、燃える森の赤が空を染める。

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