第4話:検索と生成

出版社の24階。全面ガラス張りの喫煙ルーム。 ここからは東京の街が一望できるが、俺には基板の上に並んだ無機質なチップの集合体にしか見えない。


「……で、用って何だ? 高村」


佐伯涼介が、加熱式タバコのデバイスを唇から離して言った。 彼の吐く煙は、俺のものより上品で、どこか高い匂いがした。


「お前の本のことだ。『硝子の羅針盤』」


俺は自分のデバイス型落ちの旧モデルを強く握りしめる。


「あれは小説じゃない。データだ。お前、魂までクラウドにアップロードしたのか?」


佐伯は眉ひとつ動かさない。 窓の外、眼下を走る首都高の車の流れを見つめながら、淡々と答える。


「魂? 古いな。俺たちが売っているのは『感情体験』というパッケージだ。製造工程が手書きだろうが、キーボードだろうが、AIとの壁打ちだろうが、顧客ユーザーには関係ない」


「関係ある!」


俺は声を荒らげた。狭い喫煙ルームに怒号が反響する。


「俺は掘っている。Googleの検索結果の、誰も見ないような20ページ目の泥の中から、本物の言葉を探し出しているんだ。それが作家の足腰だろ。お前みたいに、プロンプトひとつで出力された合成品とは違う」


佐伯はゆっくりとこちらを向いた。 その目は、壊れたハードウェアを見るように冷徹だった。


「その『検索』が、お前の限界なんだよ」


「……何だと?」


「いいか、高村。お前はGoogle検索を『広大な海』だと思っているかもしれないが、それは違う。あれはGoogleという巨大企業が管理する『水槽』だ」


佐伯は指先で窓ガラスをコツコツと叩いた。


「お前が必死に掘っている『20ページ目の泥』さえも、アルゴリズムが『お前のような偏屈なユーザーにはこれを見せれば喜ぶだろう』と計算して配置した餌にすぎない」


「違う! 俺は自分の意志で……」


「意志?」 佐伯は鼻で笑った。


「検索エンジンのアルゴリズムに最適化された記事を読み、リコメンドされた広告を見て、フィルターバブルの中で踊っている。……それは生成AIにプロンプトを投げて、返ってきた答えを喜んでいるのと何が違う?」


「…………」


言葉が出なかった。 俺の誇り。人力マイニング。 汗をかいて情報を集めているという自負。 それらすべてが、「巨大テック企業の掌の上」という一言で、ぺしゃんこに潰された。


検索サーチも、生成ジェネレートも、根っこは同じだ。俺たちはデジタルな巨人の肩に乗っている小人にすぎない。俺はその巨人を操縦席コックピットから使っている。お前は……巨人の足元で、踏み潰されないように祈っているだけだ」


佐伯のデバイスが震えた。吸い終わりの合図だ。 彼は吸殻を捨て、スマートにジャケットを羽織る。


「もう連絡してくるな。話が噛み合わない。……お前と話していると、通信速度制限パケットロスが起きたみたいでイライラするんだ」


「佐伯、待て!」


「さよならだ、高村」


自動ドアが開く。 佐伯は一度も振り返らず、オフィスの喧騒の中へと消えていった。


残されたのは、俺ひとり。 そして、手の中で赤く点滅し始めた電子タバコ。


「……クソッ」


俺は窓ガラスに映る自分を睨みつけた。 そこには、時代に取り残された、ひどくちっぽけな中年の男が映っていた。


反論したい。 佐伯の論理を崩したい。 俺の「検索」には、もっと人間的な価値があるはずだ。


俺は震える手でスマホを取り出し、Chromeを立ち上げた。 検索窓に指を走らせる。


『検索 生成AI 違い 論破』 『人間 アルゴリズム 勝つ方法』


表示された検索結果のトップには、AIが生成した「強調スニペット」による要約が表示されていた。 皮肉にも、俺の疑問への答えさえ、AIが一番最初に教えてくれたのだ。


『検索と生成は補完関係にあり、どちらもアルゴリズムに基づきます。効率的なのは……』


「……うるさい」


俺は画面を親指で乱暴にスクロールさせた。 だが、どれだけスクロールしても、画面の向こう側に「俺の味方」はいなかった。


その時、スマホの通知バナーが降りてきた。 牧野からだ。


『先生! 過去の没原稿のデータ、整理終わりました! 凄いです、宝の山ですよこれは!』


宝の山? 俺が捨てたゴミが?


ふと、嫌な予感が背筋を這い上がった。 俺が検索インプットに絶望している間に、俺の過去アウトプットが、どこか別の場所へ運ばれようとしている。


バッテリー切れの電子タバコをポケットに突っ込み、俺は喫煙ルームを飛び出した。 だが、俺はまだ知らない。 俺の「作家生命」の終わりが、すぐそこまで迫っていることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る