第18首 処刑祭が好きなミナは、首を狙われる



 ミナは、処刑祭の夜がいちばん好きだ。


 屋台の灯りが星みたいに並び、

 甘い匂いと肉の匂いと歌声がごちゃまぜになる。

 首が落ちる音より、その前後に流れるざわめきの方が、ずっと胸を高鳴らせた。


 ──少し前までは。


     ◇


「ミナ、今日はもう帰りなさい」


 広場の端で、焼き栗屋の夫婦が言った。


「もう遅いからね。丘の方から、また変な噂が降りてきてる」


「首なしの幽霊? それとも“首姫さま”?」


 ミナが目を輝かせると、夫婦は同時に眉をひそめた。


「そういうこと、あんまり人前で言わないの」


「首の話は、祈りの邪魔になるからね」


「……はーい」


 不満を隠しきれない返事をして、ミナは紙袋を抱え直した。

 今日の売れ残りの栗を、少し多めに分けてもらったのだ。


 石畳を歩きながら、ふと足を止める。


 首の高いところにある鐘楼を見上げると、教会の鐘はまだ鳴っていない。

 でも──耳の奥では、別の音がした。


 ――カチリ。


 歯車の噛み合う、金属みたいな小さな音。


「……まただ」


 胸がきゅっと縮まる。


 数日前から。

 誰もいない路地や、布団の中で、何度もこの音を聞いていた。


(処刑台の夢を見てからだ)


 ミナは首筋をさする。


 ぞわっと鳥肌が立った。


 指先に、かすかな「段」が触れる。

 傷とも違う、薄い線。


 痛くはない。

 でも、そこに触れるたびに、耳の奥で“カチリ”が鳴る。


「……やだな」


 処刑祭は好きだ。

 首が落ちる瞬間だって、目をそらさずに見てきた。


 でも、自分の首に何かがついてくるのは別だ。


(あの夢のせいだ)


 ミナはぎゅっと目を閉じた。


 処刑台の上。

 転がる首。

 血の匂い。

 籠の中で笑っていた、白いドレスの女の人。


『来年は、あなたの首の番かもしれないわね』


 夢の中で、首だけになった女がそう囁いた。


 目を覚ましたとき、首筋にこの線があった。


「……夢、だよね?」


 誰にともなく言って、ミナは走り出した。


     ◇


 孤児院の門をくぐると、中庭に人影があった。


 ランプを持った若い侍女と、修道服の女。

 孤児たちにパンを配っている。


「ミナ、遅かったわね」


 修道女が声をかける。


「教会からの施しの日よ。殿下がお心づかいくださったの」


「殿下って、あの首を見てた王子様?」


「しーっ!」


 修道女が慌てて口に指を当てる。


「そんなこと言ってはいけません」


 ミナは、配り終えたパンかごのそばに立つ侍女を見た。


 柔らかな栗色の髪。

 胸元に小さな十字架。


 ミリアだ。


 以前、礼拝堂の掃除を手伝ったときに、少しだけ話したことがある。

 優しい人だが、最近はどこか疲れた顔をしている。


「ミナちゃん、こんばんは」


 ミリアが微笑んだ。


「栗、今日もらったの? いい匂いね」


「ミリアさんも食べます?」


「ううん、私は大丈夫。みんなで食べなさい」


 そう言いながら、ミリアはミナの首元を見る。


 一瞬だけ、目が見開かれた。


「……あれ?」


「どうしました?」


「今、首のところに……」


 ミリアは手を伸ばしかけて、途中で止めた。


 そこに、薄い赤い線が走っていたのだ。

 まるで、刃の影だけが先に刻まれたみたいに。


 瞬きをした瞬間、線は薄くなって消える。


(見間違い……?)


 でも耳の奥では、はっきりと音がした。


 ――カチリ。


 さっき、礼拝堂でレオンと話したときに聞いたのと同じ音。


「ミリアさん?」


「あ、ごめんなさい。なんでもないの」


 慌てて笑顔を作る。


「ミナちゃん、最近よく夢を見るって、修道院の先生に聞いたわ」


「うん。処刑祭の夢」


 ミナは嬉しそうに言った。


「首がいっぱい出てきて、みんなで歌ってて……。

 でも、最後にわたしの首が呼ばれるから、そこだけちょっとやだ」


「呼ばれる?」


「うん。誰かが言うの」


 ミナは、自分の喉をそっと押さえた。


「『次はミナの首』って」


 ミリアの背筋が冷たくなった。


(これは……)


 礼拝堂で聞いたばかりだ。


 線の入った首は、「呼ばれる首」だという話を。


「ミナちゃん」


 ミリアは無意識に声を潜める。


「その夢の中で、誰がそう言うの?」


「顔、見えないんだ」


 ミナは首を振る。


「頭に布かぶってる人とか、鎧着た人とか、いろいろだけど……。

 みんな同じ声で、『首の順番』を言ってる感じ」


「首の順番……」


 耳の奥で、また“カチリ”が鳴る。


 ミリアは、笑顔を崩さないまま、震える手でミナの髪を撫でた。


「ミナちゃん。明日、また礼拝堂に来られる?」


「え?」


「殿下が、街の子たちの話を聞きたいって仰ってるの。

 処刑祭のこととか、夢のこととか……」


「王子様が?」


 ミナの目が輝いた。


「行く! 行きます!」


「うん。じゃあ明日、午前のお祈りのあとでね」


 ミリアはそう言ってミナと別れた。


 背を向けた瞬間、顔から血の気が引くのがわかった。


(線が……見えた)


 礼拝堂の壁に刻まれた線。

 死体置き場の帳面の線。

 ミリアの首筋にも、レオンの首筋にも入っている細い印。


 それと同じものが、ミナの首に。


(この子の首が、“呼ばれようとしている”)


 ミリアは、パンかごを持ったまま走り出した。


     ◇


「……なるほどね」


 死体置き場の一室。

 ランプの灯りの下で、カイが腕を組んだ。


 ミリアから全部聞き終えたところだ。


 レオンもそこにいた。

 首筋の線が、話を聞いているあいだ中ずっと疼いている。


「首の夢を見てる子どもで、処刑祭が好きで。

 首の順番を聞かされてる」


 カイは短く息を吐いた。


「……完全に“狙われてる首”ですね」


「誰に?」


 レオンが問う。


「首姫か。それとも教会か」


「どっちも、かな」


 壁に立てかけてある帳面を手に取り、カイは新しいページを開いた。


 昨日までなかった、細い線が一本。


 端に、小さく丸印がついている。


「さっき“カチリ”が鳴ったときに、ここに増えました。

 線首の数が一人」


「名前は?」


「まだ書けません」


 カイは首を振る。


「名前をつけた瞬間、その首は“物語の中の首”になっちまう。

 落ちるか、救われるか、そのどっちかまで連れてかれる」


 ミリアが唇を噛む。


「じゃあ……ミナの名前を書かなければ、この線は……?」


「消えはしません」


 カイは穏やかに言った。


「でも、“誰の線か分からないまま”にはしておける。

 少なくとも、今は」


 レオンは帳面を覗き込み、線を見つめた。


 自分や姫やカイの線とは違う、まだ薄い一本。


「この線が、ミナの首なのかどうか……」


「殿下が、確かめに行くんでしょう?」


 カイが口角を上げた。


「明日、礼拝堂に呼ぶんですよね。街の子どもたちを」


「ああ」


 レオンは頷いた。


「もともとは、処刑祭の在り方を聞きたいと思っていた。

 でも今は少し違う」


 首筋が、熱い。


 耳の奥で、“カチリ”が鳴る。


「俺は、“落ちるはずの首”を見分けたい。

 そして──可能なら、その数を減らしたい」


 カイは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。


「殿下、そんなことを考える王子、処刑人泣かせですよ」


「嫌か?」


「逆ですよ」


 カイは帳面をぱたんと閉じた。


「“誰の首を落とすか”だけじゃなく、“誰の首を落とさないか”を考える処刑人は──」


 首筋の線が、かすかに光った気がする。


「ちょっと、かっこいいじゃないですか」


 ミリアが、ほっと息を漏らした。


「じゃあ……ミナは、守れる?」


「守るって、決めるしかないですね」


 カイは簡単に言った。


「姫様が何と言おうと。

 教会がどんな祈りをささげようと。

 “ミナの首は数えない”って、ここで決める」


 帳面の端に、カイは小さな×印を付けた。


 まだ名前のない線の横に。


「これは?」


「“落とさない首”の印です」


 カイはレオンを見る。


「殿下。王子の線で、これを守ってください」


 レオンはゆっくりとうなずいた。


「約束しよう」


 指先で、自分の首筋の線をなぞる。


「ミナの首は、処刑祭の飾りにはさせない」


 ――カチリ。


 三人の耳の奥で、同時に音がした。


 死体置き場の奥。

 城の地下の「首を祀る部屋」。

 首になった姫リリエラもまた、その音を聞いていた。


「……まあ」


 布の下で、リリエラは笑う。


「守るって言った首ほど、物語は狙いたがるのよね」


 彼女の声は、まだ誰にも届かない。


 ただ、静かに数は増えていく。


 狙われる首と、

 守られようとする首。


 次の処刑祭までに、どちらが多く数えられるのか──

 まだ、誰も知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る