第9首 処刑祭が大好きなミナは、夢を見る

 ミナは、処刑祭が大好きだった。


 まだ十にも満たない、小さな女の子。

 坂の下の貧民街で、雨漏りする屋根と薄い毛布と、母のため息の中で暮らしている。


 年に一度だけ、「楽しみ」があった。


 ──処刑祭。


 広場の真ん中に高い処刑台が組まれ、王や貴族や教会の偉い人が並ぶ日。

 パンが配られ、酒が安くなり、屋台がぎゅうぎゅうに並ぶ日。


 そして、「首が飛ぶ日」。


「見ていいのは大人になってからよ」


 母はそう言って、いつもミナを家に残した。


「血が出るの。可愛い子どもの見るものじゃないわ」


(でも、みんな笑ってるのに)


 窓から聞こえる歓声が悔しかった。


 だからミナは、こっそり抜け出して見に行った。


 人混みの後ろから背伸びして、隙間から処刑台を覗き込む。


 白いドレスの姫が立っているのを見た瞬間、息が止まった。


(きれい……)


 鎖も、血溝も、そのときのミナには全部「物語の飾り」に見えた。


 斧を持つ処刑人見習いの少年の背中。観客のざわめき。鐘の音。


 そして――


 斧が振り下ろされ、白百合姫の首が飛んだ瞬間。


 ミナははっきりと聞いた。


 ――カチリ。


 骨が折れる音じゃない。石に当たる音でもない。

 自分の首の中で、何かが噛み合ったみたいな音。


(いまの、なに……?)


 誰にも聞けないまま、その音だけがずっと耳の奥に残った。


     ◇


 処刑祭の夜。


 母は安い酒を少し飲んで眠り込んでいる。外からはまだ歌と笑い声。


 ミナは薄い布団の上で目を閉じた。


 瞼の裏で、白百合姫の首が何度も飛ぶ。

 飛んで、落ちて、転がって──


 そこで夢が切り替わる。


     ◇


 夢の中で、ミナは人気のない広場にいた。


 屋台も旗もない。空は灰色で、夜なのに暗くない。


 処刑台の上に、首がひとつ、ちょこんと置かれていた。


 白銀の髪。閉じたまぶた。笑っている口元。


(……白百合姫)


 近づくと、睫毛がふるえ、ぱちりと目が開く。


 青い瞳が、まっすぐミナを見た。


「こんばんは」


 夢のはずなのに、声は妙にくっきり聞こえた。


「処刑祭、楽しかった?」


 ミナの胸が、どきんと跳ねる。


「……ごめんなさい」


 勝手に口が動く。


「お姫様が死ぬの、綺麗だって、ちょっと……思っちゃって……」


「いいのよ」


 首だけの姫は、ころりと横を向いてミナを見上げた。


「そう思ってもらえないと、処刑祭は成り立たないもの」


「……怒ってないの?」


「怒ってたら、とっくにあなたの首を噛みちぎってるわ」


 さらっと物騒なことを言う。


 ミナは思わず、自分の首を押さえた。


「ねえ、あなた」


「な、なに?」


「さっき、“音”がしたでしょう?」


「おと……?」


「処刑台で私の首が飛んだとき。

 あなたの耳の奥で、ちいさく鳴ったでしょう?」


 ――カチリ。


 あの音だ。


「……あれなに?」


 怖くて嬉しくて、変な気持ちになった、と正直に言う。


「悪い子だから、そんな音がしたの?」


「違うわ」


 姫はこてりと首を傾げた。


「あれは、“物語に首がひとつ増えた音”よ」


「物語……?」


「ええ」


 青い瞳が少し楽しそうになる。


「この国には首がたくさんあるでしょう?

 酒場で笑う首、祈りながら垂れる首、寝台でため息をつく首」


 ミナはうなずく。


「でもほとんどは、“物語に出てこない首”なの」


「でてこない首?」


「名も残らない。誰にも語られない。“見ているふりで何も見ていない”首。

 そういう首は落ちても、誰も気にしない」


 ミナは、隣家の人がある日いなくなったときのことを思い出す。


「あたしは……?」


「あなたは違うわ」


 姫はにっこり笑う。


「カチリって鳴ったでしょう。

 あれは、“あなたの首がこの物語に入った音”。」


「……でも、あたし、ただ見てただけで」


「“見る”って、とても大事なこと」


 姫は静かに言う。


「何が行われているのか。

 誰が斬って、誰が笑って、誰が目をそらすのか。

 それをちゃんと見ようとする首だけが――」


 そこで一拍置き、言葉を変えた。


「いちばん、よく斬れるのよ」


「……よく、斬れる……?」


 ゾクッとするのに、惹かれてしまう言葉だった。


「ねえ、ミナ」


 名前を呼ばれて、びくっとする。


「……なんで、あたしの名前知ってるの」


「首っていうのはね、自分で自分の名前をぶら下げて転がるものなの」


 意味のわからないことを言って、くすくす笑う。


「私の首も、あなたの首も。

 どこかでちゃんと名を名乗って落ちることになってる」


「……怖いよ」


「怖いのは、いいことよ」


 姫の瞳が少し熱を持つ。


「怖いってことは、“見てる”ってことだから」


     ◇


 目を開けると、自分の布団の上だった。


 外はまだ薄暗い。母の寝息が聞こえる。


 胸がどきどきしている。


(……夢、だよね)


 首筋にそっと指を当てる。


 ひやり、とした。


 そこに、髪より少し太いくらいの「線」が、たしかに触れた気がしたのだ。


「……え」


 爪で触っても血は出ない。

 ただ、「ここから先はいつでも落ちますよ」と印をつけられたみたいな感触。


 その瞬間――


――カチリ。


 耳の奥で、あの音が鳴った。


 ミナは布団の中で身を縮める。


 怖い。

 でも、その奥で、どうしようもないくらい嬉しさがうずいた。


(あたしの首……ほんとに)


 物語の中に入っちゃったんだ。


 そんな言葉が、頭の内側でそっと響く。


(それでも──目は、そらしたくない)

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