第31話

 黄泉比良坂よもつひらさかへと続く、瘴気しょうきに包まれた道の脇。先ほどの激しい戦闘の痕跡が、桔梗ききょうの浄化と桜花おうかの異質な神威かむいによって、清涼せいりょうな灰となって散った後だった。


 ​桔梗ききょうは半身に神威かむいの疲弊を抱え、涼しい顔を装ってはいるが、内心の消耗は大きかった。月読命つくよみもまた、鏡の分鏡ぶんきょうの結界を維持した消耗が癒えぬまま、静かに呼吸を整えていた。


 ​そんな中、桜花おうかはふと、何かが閃いたかのように、空を仰いだ。


 ​「そうだ、おだんご!」

 ​桜花おうかは、唐突にそう叫ぶと、2人に満面の笑みを向けた。


 ​「ききょうとよみちゃんが疲れているから、桜花おうかがだんごを創ってあげるね!しーろにも!」

 ​桜花おうかは、まるで当然のように、そう宣言した。その口調には、過去の記憶の影は一切なく、ただ純粋に、疲れた人を癒すという、無垢な衝動だけが込められていた。


 白虎びゃっこは、桜花おうかの隣でよだれを垂らしながら目を輝かせている。

 ​「……桜花おうかちゃんのお団子がここで食べれるの……?!」


 ​月読命つくよみが静謐な声で問いかける。

 ​「ふむ。この場で、どのようにして団子を創るか、見せてもらうとしよう。材料はおろか、水や火気もないこの場所で、まさか無から有を創り出すというのか」


 ​天叢雲剣あまのむらくものつるぎのような、定められた単一での武神具ぶしんぐ顕現けんげんではなく、全くの無からの神威かむいによる物質の創造は、国産みを行うがごとき極致きょくちであり、それを何の予兆もなく、無作為に行う幼神の存在に、彼もまた平静を装うのが精一杯だった。一体どのような手順で、団子という物質を創造するというのか。


 ​桜花おうかは、澄んだ瞳で空を見上げ、そっと右手を翳した。彼女の銀色の髪が一瞬、淡い桜色さくらいろに染まる。


 ​「うん。おだんご、おいしくなぁれ」

 ​その瞬間、周囲の空間が、一瞬だけ淡い桜色さくらいろに染まった。それは、先ほど彼女が放った神威かむいの、銀色の輝きに桜色さくらいろが混じったような、優しくも強靭な光だった。

 ​桜花おうかは、神威かむいを凝集させようともしない。神威かむいを消費するのではなく、因果律を直接操作していた。


 ​【みんなが喜ぶ美味しいお団子が、たくさんお皿に並んでいる】


 ​その無垢な願望が、そのまま世界の新しいことわりとなった。


 ​彼女の小さな手のひらの上に、大きな木の器がぽんっ!と現れ、みたらし、胡麻、よもぎ餡、香ばしい味噌だれ、さらには季節外れの栗餡や桜の塩漬けを混ぜ込んだ珍しいものまで、様々な味の団子が、数十本、これまたぽぽんっ!と、でたらめに積み上げられた。一本一本が完璧な焼き加減と照りを持ち、湯気一つ立たないが、口に運べば温かさを感じさせる、矛盾した完璧さを具現化していた。


 ​驚き過ぎて月読命つくよみの目が、面白いほどに点になった。

 ​「な……数十本!? しかも、この多岐にわたる味付けと形状を、一度に、一瞬で創り上げたというのか……!」

 ​(でたらめな、力……。この幼神の中に、何かの過去の記憶の残滓が……いや、そうではない。この「団子を作る」という、その無作為で単純な願望が、世界の真理しんりを書き換えるほどの力を持つ。先の戦闘での効率の良さと、この創造の無作為さ。全てが規格外……)


 ​完全にことわりから外れた現象を目撃し、愕然がくぜんとした。しかしそれは、でたらめに、しかし完璧にことわりを書き換える力だった。


 ​桔梗ききょうは、その団子を手に取り、その完璧な形状と、一切の神威かむいの淀みがない清浄せいじょうさに、内心戦慄せんりつした。

 ​(儂の因果律の権能けんのうは、既存のことわりを破壊し、上書きするためのもの。だが、桜花おうか神威かむいは、無からことわりを創造する。しかも、消費した神威かむいは、周囲の大気から、わずかばかりの清浄せいじょうな気を吸い上げたのみ……まるで、世界の根源に、素手を突っ込んで直接引っ張り出しているかのようだ。力の消費という世界のことわりそのものを無視している……)


 ​桔梗ききょうは、静かに胡麻団子を一口食べた。口の中に広がる甘く香ばしい風味と共に、団子を嚥下した瞬間、激しい戦闘で消耗しきっていた桔梗ききょう神威かむいが、急速に回復していくのを感じた。

 ​「これは……! 単なる神威かむいの回復ではない! 疲労という因果律そのものを、「満たされている」ということわりに書き換えておる……!」


 ​月読命つくよみも、味噌団子を口にする。団子が喉を通った瞬間、彼は驚きおどろきのあまり目を見開き、そして深く息を吐いた。

 ​「……これが、慈愛による創造か。まさしく、我らが知る天照大御神あまてらすおおみかみ権能けんのうを超越しつつある……」


 ​白虎びゃっこは、何も考えずにみたらし団子を頬張り、満面の笑みを浮かべた。

 ​「わー! おいしい! ききょうちゃん、よみちゃん、しろ、力いっぱいー!」


 ​桜花おうかは、神々の驚愕きょうがくをよそに、満足げに微笑んだ。

 ​「ふふ。みんなが元気になって良かった」



 ​―しばらくして、桔梗ききょうは、手に残った団子の残滓を眺めながら、深い思案に沈んだ。

 ​(この子は、儂の眷属けんぞくであり、娘だ。儂が、命と引き換えに繋ぎ止めた。そのことわりは、儂とこの子を繋ぎ止めているが、力関係は、既に儂を遥かに超えている)


 ​桔梗ききょうにとって、桜花おうかは救うべき命の1人。初めはただそれだけだった。彼女が桜花おうかを「娘」と呼ぶのは、この強大な力を持つ幼神を、人間的な情感に繋ぎ止めるための、神としての、そして親としての、最後の防波堤ぼうはていだった。


 ​桔梗ききょうの頭の中を、秋人の面影が掠めた。

 ​かつて、想い人である秋人を救えなかった無力感。その時、ことわりを曲げられなかった後悔が、結果として桜花おうか妖狐ようこの神へと変貌させた。桜花おうかの誕生は、桔梗ききょうが過去に背負った因果律への介入の失敗が生み出した、異質な結果だった。そして、今、目の前の娘は、そのことわりを無邪気に踏み越えている。


 ​桔梗ききょうは、静かに自分自身に問いかけた。

 ​(儂が、過去の因果から目を背け、この子に「娘」という役割を押し付けているのではないか? この圧倒的な力を持つ存在の「保護者」を名乗る資格が、儂にあるのか? 儂の愛は、この子の無垢な力を、世界のことわりに繋ぎ止めるくさび足りえるのか……)


 ​その時、桜花おうか桔梗ききょうの顔を覗き込んだ。

 ​「ねえ、ききょう。おだんご、美味しい? この味噌だれ、よみちゃんが美味しいって!」


 ​桔梗ききょうは、内面の嵐を悟らせまいと、静かに微笑んだ。

 ​「うむ。格別に美味い。そなたが、儂の疲れを癒してくれたのだな」

 ​「えへへ」


 ​その笑顔は、桔梗ききょうの心に深く突き刺さる。この無垢な笑顔こそが、彼女を「娘」として護り、導かねばならないという、桔梗ききょうの唯一のことわりだった。


 ​月読命つくよみは、2人の様子を静かに見つめていた。彼の神威かむいは、周囲の瘴気しょうきを冷静に観測し続けている。

 ​(桔梗ききょうの覚悟は、計り知れない。彼女は、自分の過去と、この子の創世の力の異質さの両方を背負おうとしている。我は、この旅の果てまで、彼女たちを護り通す。須佐之男すさのおが待つ根の国で、全ての因果が収束するまでは……)


 ​月読命つくよみは、自分の胸の中に渦巻く懸念を、押し殺すしかなかった。彼は、神々の御子の真の護り手として、この新しいことわりの目覚めを、最後まで見届ける覚悟を決めた。


 ​―休息きゅうそくは、終わりを告げた。

 ​桔梗ききょうは立ち上がり、己の神威かむいがほぼ完全に回復していることを確認した。桜花おうかの団子の効果は、凄まじいの一言に尽きた。それは、理不尽りふじんなまでの創世そうせいの力だった。


 ​「さて、桜花おうか白虎びゃっこ。我らは、これより黄泉比良坂よもつひらさかへと踏み込む。そこは、根の国へと続く、穢れの道の入り口だ」


 ​桔梗ききょうは、真剣な表情で、2人の幼神を見据えた。

 ​「黄泉比良坂よもつひらさかは、世界のことわりが最も不安定な場所。一歩足を踏み外せば、魂すら穢れに飲み込まれる。特に桜花おうか、そなたの持つ新しいことわりは、この地の淀みにとって、最も誘惑ゆうわくの的となろう」


 ​桜花おうか白虎びゃっこは、強く頷く。

 白虎には、桜花に追加で創造してもらった数十本の団子を風呂敷で包んで背負ってもらった。


 ​月読命つくよみは、八咫鏡やたのかがみを虚空に収め、その蒼の瞳を光らせた。


 ​「須佐之男すさのおへの説得。そして、その先の黄泉の国の真実しんじつを掴むため。全力を尽くそう」


 ​桔梗ききょうは、幼い桜花おうかと、まだ純粋な笑顔を向ける白虎びゃっこに、静かに背を向けた。そして、目の前にそびえる、瘴気しょうきの渦巻く黄泉比良坂よもつひらさかの洞窟へと、迷いなく踏み出した。

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