第24話

​海沿いの製塩所せいえんじょ跡地。桔梗ききょうは、その場にうごめく十数体の異形の群れを前に、九尾の力を解放した。


​「ことわりを乱す淀みよどみよ。この九尾の神威かむいをもって、おぬしらの存在を分解してやろう」

桔梗ききょうの背後に揺らめく淡い九本の尾の影は、まるで世界に張られた帳をそよがせるかのようだった。

彼女は一呼吸置き、その両掌に神威かむいを収束させた。金色の炎を内包した、強力な浄化の炎弾。その炎弾は、周囲の瘴気しょうきを瞬時に焼き払いながら、異形の群れへ向けて放たれた。


​通常の妖怪であれば、この一撃で霊核れいかくが焼き尽くされ、即座に浄化されるはずだ。

​しかし、その炎弾は異形どもを震わせたものの、致命傷には至らない。彼らを繋ぎ止める瘴気しょうきの粘着力は、桔梗ききょうの予想を上回っていた。


​「くっ……! この淀みよどみ、並大抵ではないな!」

桔梗ききょう歯噛みはがみした。炎弾が着弾した異形は、体表がわずかに溶けただけで、すぐに粘液状の瘴気しょうきがその傷を覆う。霊核れいかくは、本来互いに打ち消し合う性質を持つにもかかわらず、高密度の瘴気しょうきによって無理やり一つの生体として機能していた。


​「なんと出鱈目でたらめなッ!!」

桔梗ききょうは次なる炎弾を生成したが、異形の群れはそれを許さない。彼らは瘴気しょうきを鞭のように伸ばし、桔梗ききょうめがけて一斉に襲いかかってきた。

桔梗ききょうは素早く身を翻し、鞭状の瘴気しょうきを炎弾で迎撃するが、異形は数の利を生かし、次々と新たな瘴気しょうきの触手をぶつけてくる。


九尾の神といえども、個々を浄化する手間をかければ、確実に神威かむいを浪費する。この粘着質な戦闘を続けることは、不利に繋がる。

桔梗ききょうが次の一撃を放とうとした、その刹那。

​異形の群れ全体に、凄まじい痙攣が走った。数多の集合意識が、この九尾の神には「個別の力では敵わない」と瞬時に判断したのだ。十数体の異形は、奇妙な悲鳴を上げながら、互いに瘴気しょうきの粘液で絡み合い、肉塊と化し始めた。


​「な、何っ!?」

瓦礫がれきが吹き飛び、建物がさらに崩落するほどの、悍ましいおぞましい結合の音が響く。粘液状の瘴気しょうきが、幾多の霊核れいかくと肉塊を貪りながら、一つへと収束していく。


​やがて、その場に屹立きつりつしたのは、先ほどまでの十数体分の悪意と破壊力を集約した、巨大な単一の怪物だった。

​体高は優に七丈、およそ20メートルを超え、全身は黒い瘴気しょうきに覆われている。だが、その禍々しいまがまがしい見た目の特徴として、胴体の前面には、村人の手足や頭部が、未消化のまま皮膚のように張り付いていた。苦悶の表情を浮かべた顔が、怪物の胸元や腹部に歪に埋め込まれているのは、まさにこの怪物が村人を貪りらった証だった。


​「なんという……悍ましいおぞましい! 一体、何人なんびともの村人をらえばこのようなことになるのだ!!」

霊核れいかくの数はさらに増え、その結合も強靭さを増していた。複数の霊核れいかくは、互いを守り合うように結びつき、内部崩壊のことわりすら完全に克服している。これこそが、八咫烏やたがらすが報告した「いずれの妖怪とも区別がつかない異形」の最終形態だった。

​巨大な怪物は、咆哮を上げ、桔梗ききょうにその巨体を叩きつけようと突進した。地面が振動し、津波のように瘴気しょうきの波が押し寄せる。


桔梗ききょうは、神威かむいを解放し、押し寄せる瘴気しょうきを九尾の霊力で弾き飛ばす。


​「ここまでことわりを歪めるか! 白虎びゃっこを蝕んだ瘴気しょうきの源流は、これほどまでに邪悪なものが作り出したというのか……!」

桔梗ききょうは苦戦を強いられていた。これほどの大きさ、これほどの霊核れいかくの集合体を相手に、ただ浄化の力で分解しようとすれば、神威かむい過剰かじょうに消費し、長引くことになる。


​巨大な異形は、その歪に隆起りゅうきした巨豌きょわんを振り上げた。その一撃は、鉄塊が家屋を粉砕するかのような威力で、桔梗ききょうを狙う。

桔梗ききょうは、霊力で編んだ結界で受け止めたが、異形の純粋な物理的な破壊力は、九尾の神といえども重い。「ぐぅっ!」と呻き声うめきごえを上げ、結界がわずかにひび割れる。


​そして、間髪入れずに、異形のもう一本の腕が、脇腹を強かしたたかに打ち付けた。

​ドォン!

​凄まじい衝撃音と共に、桔梗ききょうは砂埃を巻き上げながら、空高く弾き飛ばされた。着物が乱れ、濡羽色ぬればいろの髪が夜空に散る。


​「ぐッ……重い! 速すぎる!」

​異形は、その巨体からは想像できない速度で、吹き飛ばされた桔梗ききょうを追撃する。胴体に張り付いていた、人間の未消化の腕が、瘴気しょうきを纏いながら、空中を漂う桔梗ききょうめがけて凄まじい勢いで伸びてきた。


​このまま追撃を受ければ、甚大じんだいな被害を負う。神威かむいで防御するにしても、消耗が激しすぎる。長期戦は避けねばならない。高天原にいる桜花おうか白虎びゃっこのためにも、ここで決着をつける必要がある。

桔梗ききょうは、空中で回転し、追撃の腕を避けようと試みるが、異形の腕は獲物を欲しているかのように、避けた先から逃げ道を塞いでいく。


​逃げ場はない。


桔梗ききょうは、追撃の瘴気しょうきの腕が目の前に迫った瞬間、きつく目を閉じた。


​(チッ……やむをまい!ことわりを無視した存在には、より根源的な力をぶつけるまでッ!)

​彼女は全身にみなぎ神威かむいを集中させ、かつて須佐之男すさのおより遥か昔に授かった権能けんのうの名を、心の奥底で呼んだ。


​(因果いんがを断ち切る――ッ!!天叢雲剣あまのむらくものつるぎ!!)

桔梗ききょうの持つ八つの権能けんのうの一つ。その権能けんのうの力が、一言も発せはっせられることなく、彼女の神威によって手元に顕現けんげんした。


天叢雲剣あまのむらくものつるぎは、瘴気しょうきを押し退ける清浄な力を放ち、刀身は夜闇の中で青白く輝くほどに白い、両刃の細身の刀として現れた。


​​顕現けんげんしたばかりの剣を、桔梗ききょうは空中で、追撃してくる瘴気しょうきの腕に対し、横一文字に払い切った。


​刀を振るう風切り音のみが響き渡り、追撃の腕は寸断され、切られた傍から浄化されていく。

​間髪入れず、無数の瘴気しょうきの触手が、まるで黒い激流げきりゅうのように、一斉に桔梗ききょうめがけて噴出した。その群れは空を覆い尽くす勢いで、桔梗ききょうを捕食しようと迫る。その速度は、最初の一撃よりも遥かに早く、重い。


​空中で身体を半回転させ、回避と落下を同時に開始した。体勢を制御するための神威かむいと刀の精度のみで、彼女の体は流麗りゅうれいな軸を保つ。

​迫る腕の内、一本目を剣のみねで受け流すと、その衝撃を逆手に取り、再び一回転。振り下ろしの軌道に乗せて切断した。

​まるで演武を見ているかのように、彼女の体は夜空に美しい流線型りゅうせんけいを描いた。


​その反発力を推進力に変え、一瞬で軸をずらし、二本目、三本目の腕の間に滑り込んだ。腕が交差する瞬間に合わせて、水平方向への閃光せんこうのような一閃を放ち、二本を同時切断する。


​直後、その隙を狙うかのように四本目、五本目が角度を変えて左右から挟み込むように迫る。

咄嗟とっさに一回転し、左袖を広げた。神威かむい補強ほきょうされた着物の袖は、四本目の腕をわずかに押し流す盾となる。その一瞬で生まれた時間差を利用し、五本目の腕が到達する、その内側の僅かな隙間に、叢雲むらくもを滑り込ませた。


​刀は、まるで蛇の鎌首かまくびねるかのように、複雑な軌道を描き、両腕の霊力の繋ぎ目をまとめて切断する。同時に霊核れいかくの力を失い、その場で腐敗するように崩れ落ちる。


​さらに​体をひねらせながら、常に斬撃を繰り返し、落下速度を、触手の密度に比例して乗算式に加速させていく。

​まるで流星りゅうせいが夜空を切り裂いて落ちるかのように、桔梗ききょうの全身は金色の神威かむいの光に包まれた。


​迫る無数の触手に対し、彼女は一切の減速を許さない。触手が迫るたびに、それを足場にして加速を加え、その触手の歪な結び目を瞬時に断ち切る。


​威力が加速的かそくてきに上乗せされていく重たい風切り音の斬撃が、鬼神きしん如きごとき手数で連続して空に響き渡る。一瞬で十、二十と、触手が空中で霧散むさんし、清浄な光の粒子へと変わっていく。


​触手の「存在を歪に繋ぎ合わせ成立させている因果いんがそのもの」を寸断しているため、切断された部位は瞬く間に浄化され、後退する。

瘴気しょうきの奔流を駆け抜けながら、常に流線型りゅうせんけいを描く。誰も入り込む余地の無い、因果いんがを断ち切る卓越たくえつした演武。


​​全ての追撃を断ち切った桔梗ききょうは、塵一つ立てることなく、静かに着地した。金色の瞳は開かれていたが、その表情には、一切の感情の揺らぎがない。

​彼女は、天叢雲剣あまのむらくものつるぎを両手でしっかりと構え、巨大な異形の怪物へと、静かにその切先きっさきを向けた。


​一方、村の奥深くでは、朱雀すざく瓦礫がれき瘴気しょうきの中で必死に村人の救助活動を続けていた。


​「結界が限界ですわ! 高台はもうすぐ、急いで!」

​彼女が風と炎の力で張った結界は、徐々に瘴気しょうきの圧力に押し負け、淡い朱の光が揺らぎ始めている。

​その時、朱雀すざくの背後から、異常な羽音はおとが接近した。


​振り返った彼女の目に映ったのは、高さが朱雀すざくと同じぐらいの巨大な蛾の異形だった。白銀の鱗粉りんぷんをまき散らしながら、その体からは、不気味に節くれふしくれだった人間の腕が四本生え、さらに、黒く毛羽立っけばだっ猫又ねこまたのような二又の尻尾、そして頭部には、歪にねじ曲がった鹿のような角が数本生えていた。

​この異形もまた、ことわりを無視した複数の妖怪の寄せ集めだった。


​「厄介な者が……! わたくしの結界を狙ってきましたか!」

​蛾の異形が羽ばたくはばたくたびに、大量の鱗粉りんぷん朱雀すざくの結界に向かって飛散する。この鱗粉りんぷんは、霊力そのものを腐敗させる作用があり、朱雀すざくの結界の強度を急速に奪っていった。


​「くっ、このままでは結界が破られ、村人が瘴気しょうき鱗粉りんぷんに晒されてしまう!」

朱雀すざくは、救助を一時中断し、応戦を決意した。闘装の背中から、燃えるような紅蓮ぐれんの翼が広がる。


​「先手必勝せんてひっしょう!」

​彼女は瞬時に距離を詰め、腰に帯びた長身の刀、四神守護刀\ 朱雀ししんしゅごとう\ すざく一閃いっせんした。朱雀すざくの神力と炎の力が刀身に集中し、真紅の炎が竜巻のように螺旋らせんを描く焔の炎斬撃ほむらのえんざんげきが、蛾の異形へと放たれた。中・長距離での戦闘を得意とする彼女の、渾身の一撃である。


​しかし、異形の動きは想像を絶するほど素早かった。巨体にも関わらず、ひらりと身を翻し、斬撃を紙一重かみひとえで避ける。朱雀すざくの炎は、異形をかすめることもなく、遠くの海面を焼いた。

​回避に成功した異形は、さらに大量の鱗粉りんぷん朱雀すざくと結界に向けて撒き散らす。結界は音を立てて劣化し、ヒビが入り始めた。


​「まずいですわ……! 鱗粉りんぷんを防ぎながら、この速さの相手に中・長距離で決着をつけるのは困難。近接戦闘に持ち込めば、結界が破られ、村人が巻き込まれる!」

朱雀すざくは、神力の消費と疲労により、既に顔色が悪くなっていた。このままでは、朱雀すざくの神力と結界が先に力押しで負け、中の人々もろとも異形に蹂躙じゅうりんされてしまう。

朱雀すざくの瞳に、焦りの色が浮かんだ。


​(桔梗ききょう殿、早く……! わたくし一人では、もう持ちません!)

朱雀すざくは、最後の神力しんりょくを翼と刀に集中させ、結界を守るために、炎の壁を構築し始めた。その炎は、朱雀すざくの命の輝きそのものだった――。


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