第1話 「『食の記憶』は確実なのか?」

私は、食べる事が好きだ

私は、マンガが大好きだ


昭和58年(1983年)に連載を開始し、一時期は日本を席巻した作品がある。


『美味しんぼ』


発行部数は一億を超えて、それは日本の食生活を大きく変えたと言っても過言は無いだろう。


だって


今、納豆にカラシ付いているでしょ?

あれは美味しんぼで「納豆にカラシを混ぜると匂いが和らぐ」

って紹介されてから始まったの。


それまで、納豆にはカラシもタレも付いてなかったの。


スーパーで売っている野菜や生鮮にも「〇〇県産」とか「有機栽培」とかあるでしょ

美味しんぼ以前はね、そんな表記無かった。


昭和の食べ物って、今よりずっと添加物も保存料も多かった。

それも美味しんぼが問題提起して、メーカーが頑張って

平成以降は「添加物をどれだけ使用しないか」が、評価されるようになった。


美味しんぼについては、主張が強く偏る部分もあり

賛否両論を良く巻き起こした作品ではありますが


私は、日本の食生活に「革命」を起こした作品である点を評価しています。


と、美味しんぼについての評価評論は、今回ここまでにします。


ただね、美味しんぼを読んでいて、懐疑的になる部分がありました。


今回のタイトル『食の記憶』です。



美味しんぼで、たまにある展開が


「子供の時食べた物を大人になって食べて、昔の記憶が蘇る」


これはどうなんだろうなあ、と疑問に思っていました。


だって、人間は成長するわけですし

見聞きするものや得られる知識で、若い時と晩年では思想志向も変化するだろうし

「舌」つまり味覚だって、時と共に変化してもおかしくはないでしょう。


子供の頃おいしかったと感じた食べ物が、大人になって「同じ美味しさ」に

感じられるのかなぁと、半信半疑でした。


と、このエッセイのメインタイトル

「ノスタルジィ・グルメ」

に、自ら喧嘩を吹っ掛けてます。第一話からね。


その疑問を払拭しようと思ったのが、12-3年ほど前。


当時私は40代半ば、関東に嫁いで在住して10年は過ぎていました。


結婚前までは、東北の…正直に言います「宮城県」に住んでました。


宮城の県北の街に18歳まで在住。

その街は、意外と飲食店が多かったです。


ただ外食は余りしませんでした。

父が洋食や中華を体質的に受け入れない人で

たまの外食はいつも「蕎麦屋」


物心ついた時から、色々と蕎麦を食べてきました。


最も記憶に古く、店内も味も鮮明に残っていたのは

船橋屋ふなばしや」という蕎麦屋です。


当時は大きな橋の側にあり、木造りの店は広めで奥に座敷もあった。


夏に食べた「天ざる」が、一番好きでした。


麵は細目でコシがあり、ツユは濃くて他の店より甘みが強く

からりと揚がった天婦羅は、表面はさくりと歯触りがよいが

素材は生きている、絶妙な揚げ具合。


私が幼稚園~小学校低学年まで、よく「船橋屋」に通ってました。


実は当時、私は食の細い子供で、身体も小さく細かったです。


母は「米の飯を余り食べてくれない」とよく愚痴られました。


ササニシキの産地だ、まずいわけないです。

でも確かに当時、米飯を食べた記憶が余りありません。


でも蕎麦は好きでした。

米は食べないのに、幼稚園の時にざるそば一杯完食。

小学校で、天ざる完食でした。


夏の店内は開放的で、全てが木造り

店先の風鈴は涼やかな音色を奏で

手前では、頑丈な作りのかき氷機の中で、巨大な氷が回っている。


かき氷も食べたかったが、食い合わせが悪いと食べさせてもらえなかったのは残念です。


ただ私が小3になった時、同じ町内ですが自宅を引っ越しました


「船橋屋」からは遠くなり、以来別の蕎麦屋に通ってました。


時は経て私は中年になりました。

宮城を遠く離れ、神奈川で過ごす事10年以上が経過。


実家には、1年に一度は帰っていたかな。


ある年「船橋屋」の蕎麦が食べたくなりました。

先に言った「食の記憶は維持されるのか」を試してみたいという気持ちから。


あの日から

小さい私が、天ざるに夢中になってからもう

35-6年ほど、経過していました。


ネットで調べると、まだ「船橋屋」は存在しました。

ただ場所は、町内ですが移転してました。


秋の彼岸に、故郷の宮城に向かう。


帰省のルートですが

東北新幹線に乗り、実家に最も近い「くりこま高原駅」で下車

そこからレンタカーで20-30分ほどで、故郷の街に行くのです。


だって電車もねぇバスもそれほど走ってねぇって地域だもの。


移転した「船橋屋」に着く。

店は住宅街の中にありました。


店内に入る、ちょっと暗い。

14時あたりに行ったので、席は空いている。

店員が賄いを食べています。


メニューを広げながら不安が過る。

私の舌の記憶以前に、店そのものの味が変わっていることも考えられる。


まあ遠路はるばる来たんだ、まずは食べようじゃないか。


迷わず「天ざる蕎麦」を頼み

薄暗い店内で、待ち続けました。


目の前に運ばれてきた「天ざる蕎麦」は、見た目美味しそうだった。

まずはガラケーで記念撮影。やるよね?


そして蕎麦を一口、ツユに付けて口に運ぶ。


……!!


風鈴の音が、耳の奥から響いてきた。


細めのコシのある麵

色は濃くて甘さのあるツユ。


三十数年を超えて、その味は残っていた。


私の味覚の記憶にも、その店にも。


天婦羅ももちろん、あの日の味だ。


暗めの店内で一人、夢中に天ざる蕎麦を口に運ぶ。



『食の記憶』は、本当にあると確信した。



美味しい想い出は、身体と記憶に刻まれ、色褪せる事は無いんだ。


だから、これから色々記していきます


私の『味の記憶』


今後とも、お付き合い頂ければ幸いです。


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